《映画日記19》 パリの映画日記(クリスマスのころ) リンクレーター / 今敏 / ゴダール / 奥山大史 / ほか
(見出し画像:今敏『千年女優』)
本文は
《映画日記18》三宅唱・中短篇集『無言日記2014』/『八月八日』/『1999』/ ほか
の続編です。
今号は「パリの映画日記」としましたが、映画の話題はそれほど多くはありません。映画を期待すると肩透かしを食らい、がっかりされるかも知れません。
なぜ「パリ映画日記」をnoteにあげようとしたのか。それは、現在公開(私の住む京都ではという意味)されている奥山大史『ぼくのお日さま』(2024)を見て、彼の前作『僕はイエス様が嫌い』(2019)を思い出したのです。そういえば、この作品をはじめて見たのはパリの映画館だったと。私が日々綴っている《映画日記》を読み返すと、2019年のクリスマスのころでした。
実は、私は柄にもなくJALのマイルを長年貯めているのですが、2019年、ヨーロッパに行ける最低マイルに達し、今年がチャンスだと、パリ行きを決めたのです。
私の所有マイルで渡航が可能な日程(必要マイルは変動相場制)を調べると、
往路は12月17日羽田・パリ便
復路は12月28日パリ・羽田便
この日程に決めたのは私の所有するマイルで、私の意思であるとは、必ずしも言えません。
本当は気候の良い春か秋に行きたかった。でも、それには数倍のマイルが必要で、私には永遠に不可能でした。
2019年末といえば、Covid19で世界が震撼する直前。というだけでなく、フランスは公共交通のゼネストで、身動きのとれない状況でした。身内からは、「なんでゼネストのパリなんかに行くの?」と反対されましたが、いつ終わるとも知れないゼネストの終息を待っていると、マイルの有効期限が切れてしまう。ゼネストのパリも面白いかも、と思い、パリ行きを決意したのです。それに、私のマイルだと閑散期の冬にしか行けないし、クリスマスのパリの表情も見たかったのでした。
パリに行った翌年、Covid19で海外渡航が禁止になり、「あなたはいいタイミングに行ったわよね、何か予感はあったの?」と身内。あんなに反対していた人たちが私を褒め称えるのでした。人間って適当。私も適当。
今号の《映画日記》は肩の力を抜き、ゼネストとクリスマスのパリの様子も含め、パリで見た映画について書くことにします。中身はほぼないので、ゆる〜く読んでいただければと思います。1万3千字余りですが、薄い中身なので、サラッと読めるはずです。
日付は省略しました。
伊丹空港→羽田空港。空港のカプセルホテルに前泊。
羽田空港10:55→15:40シャルル・ド・ゴール空港。
長時間の航空機で疲労困憊。
パリの空港スタップによると、ゼネストでも空港のリムジンバスは運行しているとか。15分〜20分間隔が通常運行だが、ゼネストで本数は極めて少ない。
うんざりするほど待った。痺れを切らしタクシーに変更する乗客もいたが、私は節約節約でじっと待った。東京のラッシュアワーに匹敵する満員のバスに揺られ、オペラ座前で下車。
予約したホテルは右岸のパリ10区。治安の悪い北駅へは徒歩圏内にある庶民的なホテル。
ホテルへはオペラ座から徒歩15分。出発前にプリントしておいたGoogleマップを見ながら歩きはじめたが、道が分からなくなった。私は地図が読めない。しかも、夜の街は方向感覚を麻痺させる。iPadに日本から持参したモバイルwifiを接続したが反応がなく、何度試しても接続できない。仕方なくタクシーを捕まえる。空港からタクシーにしておけばよかった。
パリの日の出は8:40。8時に目覚めても外は真っ暗。
暗い街路を眺めながらの朝食。
仕事に向かう人たちが足早に消えてゆく街路。
パリ観光の定番、モンマルトルの丘に行く。
モンマルトルの階段は息が切れる。以前はそんなことなかったのに。
(掲載した写真はすべてiPadで撮影)
モンマルトルの丘で気になったことがひとつあった。日本人観光客を見かけなことだ。
モンマルトルの丘といえばパリ定番の観光地。京都にたとえれば清水寺である。海外からの観光客が多くて当たり前のスポット。そんな観光スポットに日本人を見かけない。日本人ガイドに引率された大学生の団体一組のみ。大学生で団体旅行というのもなんだかなあ……。大学生ならひとりで歩いてほしいと思う。
アジアからの個人客は中国語、ハングル、そして東南アジアの言語。日本語が聞こえない。日本人は内向きになっている。
そうそう、日本人とは関係ないことだけど、モンマルトルの丘といえば似顔絵描き。観光客相手の似顔絵描きがわんさといる。彼らは観光客とみるや片っ端から声をかける。ところが、私は一度も声をかけられない。なぜ? パリ在住のアジア人、それとも、みるからみすぼらしい服装で、こいつはカモじゃない、と思われたの?
歩き疲れたのでカフェに入る。
持参したアンドレ・バザン『映画とは何か』を読む。
印象的な一文に遭遇。
この一文を読み、塚本晋也『野火』終盤の中村優子へ向けた正面のショットを思った。バザンの思考と比較するのは申し訳ないのだが、映画の「肉感」性とは中村優子の表情のことだと思ったのだ。そして、ドイツのアンゲラ・シャーネレク作品の顔たちのことも。もっとも、シャーネレク作品の顔たちに「演技を放棄」した「特権的なこんせき」を読みとることはできるが、用語「肉感的」は必ずしも相応しくない。非・肉感の表面である。
カフェを出ると小雨。
フランス人のように傘なしで歩く。マネをしているわけではない。ひとりだけ傘をさすのは恥ずかしいからだ。ただそれだけの理由。本当は傘を差したい。
パリの人はよく歩く。 ゼネストで公共交通機関が止まっていることもあり、足早に職場に向かう。日本だと、「どれだけの人がストで迷惑を被っているのか」と、マスメディアがマイナスイメージを扇動し、スト忌避感覚を蔓延させようとする。
「迷惑」は日本特有の用語で、「あなたの言いたいことは理解できる。でも、迷惑なんだ」、というように、相手の主張や論理を遮断する感情表現である。そこには、対話をも遮断する反・民主主義の暴力性がある。ちなみに、中国語の「迷惑」に、そのような意味はない。
ところで、フランス人はどうなのか。新聞によると、「ストは困るけれど、労働者の権利だ」と、6割のフランス人がストに理解を示している。日本人も迷惑論を捨て、ストに目覚めよ!
モンマルトルからサンマルタン運河を経てセーヌ川に。セーヌ川にかかる橋を渡り左岸に行く。
これまでの経験から、左岸には街の地理感覚がそれなりにある。気持ちも落ち着く。だが、今回前半のホテルは右岸にある。右岸はわからない。地図がないと迷子になりそうで歩けない。
8年振りに左岸のサン=ジェルマン=デ=プレ教会に行く。
教会の扉に、コンサートのポスターが。コンサートは25日と帰国前日である27日。
25日 サン=セヴラン教会。「Grande veilée de Noël(荘厳なクルスマス・イブ)」のタイトルでモーツアルト、ヘンデル、バッハ、カッチーニ、ヴィヴァルディの小品集。
27日 サン=ジェルマン=デ=プレ教会。チャイコフスキーのバイオリン協奏曲、プッチーニ『ミサ・グローリア』。
両日とも、数日後から宿泊するホテルの近くにある教会。無料のコンサートではないから、残金と相談。おそらく行けないだろう。
左岸のレストランで昼食をとる。
一口目は美味しい。だが、ひと皿の分量が多い。日本人には多すぎる。しかも味が単調で飽きる。こうなると、美味しいとか美味しくないという以前に、海外での食事は修行である。いや、苦行と表現した方が的を得ているかもしれない。ミシュラン級のレストランなら、純粋に「舌の快楽」だろう。しかし、わたしが利用する庶民的なレストランだと…。
不意に九条ネギうどんを食べたくなった。わたしの舌は味覚国粋主義。昼食でお腹いっぱい。夕食なし。
セーヌ川に沿って右岸を歩く。
空にスマホを向ける人たち。
私も空に眼をやる。
夕暮れ間近のパリの空に、大きな虹が架かっている。
建物に西日の当たる、まもなく夕刻という時間帯である。
パリの天気は気まぐれ。午前は晴れ間に薄い雲、小雨の可能性あり。昼過ぎに弱い雨。午後は雲に覆われた空。夕方は厚い雲に覆われ小雨。
京都とパリの今冬の気温を比較すると、最高気温は同じ、最低気温が京都の方がぐっと低い。京都の最低気温は0℃近い。
パリの朝は小雨が多いかな。そして不意の晴れ間。虹の架かったパリの空は素敵だ。
フランスのゼネストは3週目に突入。
クリスマス休暇直撃だが、市民はそれほど気にしていない様子。来年1月9日に大きなデモがあるとか。労働者は越年ストで闘う覚悟。私たちは労働力というモノではなく、労働者。より適切な表現を使えば、生活者という意識。さすがフランス人!
ルーブル美術館、プティ・パレ、パリ市近代美術館に行く。
美術館のハシゴに疲れ、チュルリー公園のクリスマス・マーケットへ。
クリスマス・マーケットでは子どもたちが楽しそう。
ある日のこと。
遅い昼食。
夕食はなしにしようかと思ったが、ホテルの近くにラーメン屋があり、夕食として味噌ラーメンを食べる。あまり美味しくないが、フランス料理に食傷気味の私にはホッとする味。日本スタイルのラーメンだが、経営者は日本人ではない。
はじめてパリを訪れたのは40年以上前。ホテルは、左岸のパリ5区にあるホテル・サンリス(Hôtel de Senlis)。エリック・ロメール作品の好き人なら知っているかもしれない。『獅子座』(1962)に登場する、カルチェ・ラタン近くのホテルだ。私の場合、たまたま宿泊したに過ぎないのだが、そのとき以来、宿泊地は左岸のホテルに決めている。カルチェ・ラタン近くには安ホテルがある。
今回前半のホテルは右岸。いまだに地理がつかめない。数日後には左岸のホテルに移動する。私は左岸が好き。サガンは好きでも嫌いでもないけれど。
気持ちは左岸にいっているけれど、実は右岸の下町風情も素敵。クリスマスの飾りつけが魅力。とりわけ夜が美しい。東京のような、エネルギーの過剰消費とも思えるケバケバしさがない。あんなにもエネルギーを消費し、「わあ、きれい」だなんて、東京人よ、「きれい」の背後にある闇を想ってみて!
パリの空はどんよりと低く小雨。こんな日は外出したくない。
テレビの天気予報番組METEO-PARISによると、
午前、曇り+時々日が差す+弱い雨。午後、厚い雲+時々日が差す+雨は弱まる。
つまり、盛りだくさんの空模様。ならば、パリ観光はやめ、ショッピングセンター、レ・アルの巨大ブックチェーンストアFNACに行き、MANGAとDVDを物色することに。リストは作ってある。
FNACで、DVDと日本の仏訳MANGAを探す。目当てのDVDはなかったけれど、買いたいMANGA多数。キャリーバッグの空き容量と相談し、帰国間際に購入しよう。
「ぴあ」のような情報誌で、リチャード・リンクレイター作品集の上映会を知る。会場はジョルジュ・ポンピドゥセンター。日替わりのプログラムだ。
この日の上映は、
2本の中編『Live from Shiva’s Dancer Floor』『$5.15/Hr』。
冒頭に数分の短編ドキュメンタリーが上映され、その後も予想した内容と違う気がする。中編2作品のはずが、短編と長編。あれれ?
もっとも、予備知識なしで見たのだけれど、なんか変。
終映後にチケットをチェックすると、
『Woodshock』(短編)
『It’s Impossible to Learn to Plow』
と書いてある。
情報誌が間違っていたのだ。
リチャード・リンクレイター『Woodshock』(1985)@ジョルジュ・ポンピドゥセンター
「Woodshock」? 「Woodstock」じゃないの?
「h」と「t」、一文字違う。
そういえば、リンクレイターはウッドストック・フェスティバル世代より10年ほど後の世代。ウッドストックは1969年。リンクレイターの短編は1985年。パンフレットによると、この日に上映されたリンクレイター作品は、オースティンで開催されたロックフェスティバル「ウッドショック」の7分のドキュメンタリーとのこと。ここで面白く感じたは、異なる世代による2つのロックフェスティバルというよりも、マイケル・ウォドレー『Woodstock』(1970)から一文字入れ替えることで、ちょっとした意地悪精神による、ささやかな解放感を映画内に醸成していることだ。実は「ウッドショック」は、「ウッドストック」のいかがわしさ丸出しのコピーでもある。タイトル『ウッドショック』はフレーム内の映像でありながら、フレーム外の存在『ウッドストック』でもあるということ。リンクレイターはそのことをいたずらまじりの精神で映画とした。面白いなあ。スーパー8で撮っている。
リチャード・リンクレイター『It’s Impossible to Learn to Plow by Reading Books』(1988)@ジョルジュ・ポンピドゥセンター
移動する身体。気ままな列車での移動と友人や親族との再会。いや、再会という表現は間違いだろう。再会は何かの意味を有する用語だから、ここでは、身体の移動としておこう。移動による身体を取り巻く環境、たとえば田舎の知り合い宅でソワーに座りテレビを見るとか、部屋で食事を作るとか、移動について吹き込まれたカセットテープを聞くとか。移動自体はなんら意味を有しない。そこにあるのは移動した身体なのであり、そのこと以外に意味などない。これをロードムービーと解釈できるのかもしれないが、本作は移動した身体(それはリンクレイター自身である)を執拗に呈示した、「存在の映画」なのである。しかも監督自身がカメラマン。手持ちはワンショットのみ。それ以外はカメラを三脚に据え、自身を撮っている。ひたすらカメラの前の身体を撮っている。
本作を見ながら、
「そこに在る」という身体の映画
宮崎大祐『TOURISM』(2017)、『遊歩者』(2019)
を不意に見たくなった。再上映はないだろうか。
ちなみに、本作は『スラッカー』(1991)の3年前、スーパー8で撮られたリンクレイター長編第1作である。
パリの天気予報:午前、薄雲に弱い雨。午後、雲に覆われるが晴れ間、のち、にわか雨の可能性。夕方は厚い雲に覆われ小雨の可能性。相変わらず気まぐれな天気。
普段はジュース類を飲まないけれど、パリは思いのほか暖かく、厚着だと汗をかく。で、ジュースを飲んだ。ストローがプラ製でなく紙製。日本は安倍首相がプラを排除しないなんて宣言するものだから、世界は驚きで腰を抜かしている。
修復中のノートルダム大聖堂を見に行く。
火災前の後塵の扶壁は毒虫の足のように見え、怪物だと思ったことがある。宗教は恐ろしい。
火災後の大聖堂は見るも無惨だけれど、たとえ文化財であっても、修復ははたして正しい行為なのか。なにもしないでそのままそっとしておいても。それも歴史の記憶。「文学は自然を模倣するが、自然は文学を模倣したりはしない」(ボルヘス)。
火災による崩壊であるとしても、それも自然の営為であり、文学を模倣(=修復)したりはしない。私の考えは非情だろうか。
左岸の映画館のチェックがてら、サン・ミッシェル通りの老舗書店Gilbert(注*)にMANGAをさがしに行く。つげ義春のMANGAを買いたかったが見つからず。
この書店には音楽ソフトのコーナーもあり、購入する気はないが覗いてみる。
J-POPはゼロ。アジア系はK-POPのみ。女の子のグループがK-POPのソフトを手にキラキラとした表情。若いって、いいな。とても嬉しそう。フランスも韓流ブーム。
アンナ・カリーナの回顧上映を見ようと思ったが、なんとなく疲れている。明日以降にし、ホテルに戻る。
今日もよく歩いた。
両足の薬指の裏に水ぶくれができて痛い。歩き過ぎで指が靴底に擦れているのだ。でも、右岸の地理に少しは詳しくなったかな。左岸のように、方向感覚が掴め始めたようだ。ゼネストに感謝?
右岸のホテルから左岸のホテルに移動。
キャリーケースを転がしながら、歩いて、歩いて、途中、昼食をとり、ふたたび歩いた。
パリ6区にある私の好きな街並サン=ジェルマン=デ=プレ近くのホテル。リュクサンブール公園にも近い。オデオン座から徒歩数分。
左岸のホテルには2012年2月にも宿泊している。
この時の航空券、なにかの間違いだろうと思えるほど安かった。だから行けたのだが……。
部屋からオデオン座が見える。2012年と同じ部屋なのかも。もっとも、前回も今回も、このホテルで一番安い部屋を予約したのだ。
昨夜までの右岸のホテルより快適。
2012年2月のフランス滞在は3週間弱だった。
南フランスのエクス=アン=プロヴァンスでは連日声をかけられ、20代から60代まで、いろんな人と出会える旅だった。京都から来たというだけで大切にされ、「自分の家だと思って、ずっとここにいてくれてもいい」とまで言われた。ホテルのレセプションでも好感触。レセプションの女性は私のパスポートに記されたKYOTOを目にし、KYOTO、と呟いた。そのとき、彼女の瞳は☆形になったような気がした。私は単に、京都で生まれ育ったに過ぎないのに……。
プロヴァンスでは、KYOTOはブランドなのかもしれない。
左岸のホテルに移動した日の気温 8℃/12℃。京都よりあたたかく、足早に歩くと汗が出る。京都と同じく盆地なので、湿度は高め。そのためか、東京のようにカラカラの空気ではないので喉に優しい。私の喉は喜んでいる。ホテルのレセプションによると、パリの冬は毎年あたたかいとか。
ところでパリの冬の気温、「パリの最低気温」<「京都の最低気温」=「パリの最高気温」<「京都の最高気温」という想定で厚手のロングオーバーを持参したのだが、まったく無意味。手に持って歩くのが煩わしい。京都とパリを入れ替えると正しい不等式になる。
離仏日の、ホテルから空港までの移動手段、どうしよう?ロングオーバーを手に抱えての移動はつらい。
運行の様子も判然としないリムジンバスを辛抱強く待つか、それともユーロが余ったらホテルから空港までタクシーという選択肢もありか。
サン=ジェルマン=デ=プレ教会近くの紅茶専門店で、オリジナル紅茶缶を2缶購入。店員に、「つげ義春のMANGAを探しているのですが、置いていそうな書店を知りませんか」と尋ねると、夫がコミック専門店に勤務しているので、電話で聞いてみましょうと言う。運良く「LA VIS(ねじ式)」の在庫あるという。書店に直行し、書店員に「LA VIS」を探していると申し出て購入。他に2冊のMANGAも購入。
その後、ホテル近くの映画館で、アニメ『千年女優 millennium actress』を見る。
今敏『千年女優』(2002)@Les 3 Luxembour(レ・トロワ・リュクサンブール)
ウィキペディアでは原案・今敏となっているが、原案を高峰秀子とするネット書き込みもある。どちらが正しいのかはわからないが、本作のヒロインである千代子の子役からの出発(高峰秀子の映画人生も子役からである)や彼女の主演作品の引用(二十四の瞳)もあるから、原案が高峰秀子でないにしても、監督は彼女のことを相当に意識したのではないか。昭和の映画史的には、女優とは高峰秀子のことである(原節子、京マチ子、田中絹代も忘れてはいけないけれど)と言っても過言ではないからだ。
それはともかく、現在において過去時制とは如何なるものか。つまり、記憶とは、ということ。記憶は平準でも平衡化されたものではないし、至るところ疎であったり稠密であったりもする。いわば厄介極まりないのだが、そのことを記憶の主体である私ですらコントロール、もしくは編集することはできない。いやいや、記憶に主体なんぞあるのか、と思いたくもなる。記憶とは私であり、私でない。
『千年女優』は女優と人生が一体となる記憶の作品である。高峰秀子=千年女優。ただ、女優を突然休止するというのは、原節子が映し出されているようにも思えた。記憶と映画の世界が混じりあう手法に見入った。
パリの映画館。観客の年齢層高め。あるいは高齢。近年のフランス映画の衰退はこんなところにも表れているのだろうか。20年前はこんなんじゃなかった。
リュクサンブール公園で写真を撮る。公園の北にはモンパルナス駅がある。モンパルナスで空港行きリムジンバスの確認とモンパルナス通りでガレット(crêperie)を食べたい。
ガレットはモンパルナス通りの店が美味しいとか。ガレットはフランス北西部のブルターニュ地方の郷土料理だが、この地区の人たちがモンパルナスに住み着いたという。ガレットの原料である蕎麦粉はブルターニュ地方の特産である。
モンパルナス駅前のリムジンバスの停留所はすぐに見つかった。ゼネストの影響は?バス停に航空会社の服装を着た人がいたのでリムジンバスの運行状況を尋ねた。バスは動いているとか。ただ、時間がかかる可能性があるので注意を、ということだ。ホテルから空港までタクシーとも考えていたのだが、経済的に、やはりバスだ。
国鉄のゼネストの様子を見ようとモンパルナス駅構内へ。一部の列車は運行しているようだが、少ない列車を目掛けて人の群れ。列車案内の構内放送が流れると、旅行者はいっせいにそのホームに移動。なんだか難民のよう。運行予定の列車が途中で運行中止となることもあるそうだ。わたしはシャルトルに教会を見に行きたかったのだが、帰りの列車が心配なので断念。
ランチに、目的のガレット。期待ほどには美味しくない。私が入った店がたまたま美味しくなかったのか、それともモンパルナス通りのガレットは評判ほどではないのか。私の舌に合わなかっただけなのかもしれない。
帰国2日前だが、サン=ジェルマン=デ=プレの人気店で食べたガレットは美味しかった。前菜の生魚介類、ガレット、デザートのクレープ、シードル酒。クレープは柚バター風味で絶品だった。グループ客はテーブル席、私のようなひとり客はカウンター席。カウンタースタッフとの言葉のやりとりが心地良い。
見る予定だったゴダール『アルファヴィル』。新しいタイムテーブルになっていて、上映は明日となっている。肩透かしを喰らったみたいでホテルに戻りたくなった。その前にベトナム料理店でフォーを食べる。
映画館 Les 3 Luxembourに、富田克也『典座-TENZO-』(2019)、奥山大史『僕はイエス様が嫌い』(2019)のポスター。
パリは日本映画に何を見るのか。日本というローカル、そしてパリからの視線というグルーバル。ローカルこそが普遍である。『僕はイエス様が嫌い』は未見だけど、ドキュメンタリー作品『典座-TENZO-』はローカルの中に普遍が宿ることの証左である作品。パリはそのことに気づくだろうか。
サン=ジェルマン=デ=プレ教会に行くと、偶然というべきなのか、パイプオルガンの音の調整をしていた。午後から無料のミニコンサートがある。もちろん、足を運ぶ。無料大好き。
サン・ミッシェル通りの書店Gilbertで楳図かずお『わたしは慎吾』第1・2巻のMANGAと、在日フランス人のMANGAを購入。これで購入したいMANGA6冊。これ以上は重くなるから自制。
ジャン=リュック・ゴダール『男と女のいる舗道』(原題)Vivre sa vie(1963)@La Filmothèque du Quartier Latin(ラ・フィルモテック・デュ・カルチェ・ラタン)
本作を見るのははじめて。アンナ・カリーナの美しさにあふれる作品。冒頭の顔のクローズアップ。最初に左からのショット、次に右からのショット、そして正面のショット。とりわけ横顔の鼻から口にかけての曲線は、小津安二郎の『秋日和』や『秋刀魚の味』に見る岩下志麻の横顔の線の流れに匹敵する美しさだ。
邦題『男と女のいる舗道』という愚かなタイトルはどうにかならないものだろうか。この邦題は“vivre”とも“sa vie”とも無縁だ。
アンナ・カリーナ追悼上映。
『男と女のいる舗道』から隣の映画館で上映されている『アルファヴィル』へハシゴと思ったが間に合わず、少し離れた映画館…今敏『千年女優』を見た映画館…で奥山大史『僕はイエス様が嫌い』を見る。
奥山大史『僕はイエス様が嫌い』(2019)@ Les 3 Luxembourg(レ・トロワ・リュクサンブール)
結論は、映画のハシゴに失敗して良かった。
気持ちがストレートに現れたタイトル「僕はイエス様が嫌い」も少年らしくて面白いが、映画の内容自体が素晴らしい。形や制度としての“祈る”ではなく、“祈る/祈らない”という意志の直接性。無理な演出を排することで、少年のシンプルな感情を捉えている。これができる監督はそういるものではないだろう。それとともに、演技しないことの不可能という大人の不自由を見た思いもした。少年は凄い!そして、慎ましく軽やかさが一瞬にして変貌する二つの衝撃音。一つ目は、少年ユラ(主人公の僕)の唯一の友人カズマが車と衝突する衝撃音。二つ目は、ユラが両手で打ち叩く聖書の打音。それも、劇性という奇をてらったものではない。20代前半の監督。これから楽しみ。
Les 3 Luxembourチケット売り場のエピソード。
一般10€のチケット。私とチケット売りとの会話。
10€紙幣を出し、「「僕はイエス様が嫌い」のチケット1枚お願いします」と私。
「小銭は持っていませんか?」とチケット売り。
ええ?きっちり出しているのに何を言いたいのだろうと思いながら、「持っていません」と私。
3€のバック。アレレ?朝の上映だから割引なのかな?
終映後、改めて料金表を見ると
学生、失業者、シニア……7€
となっていた。
私は学生には絶対に見えないし(20年前は学生かと聞かれた)、意思表示しなくても○○○だと世界的に認知されたのだ。悲しい!なんだかガンの末期宣告を受けた感じ。
パリは京都より暖かいと油断していたら、前日から風邪薬のお世話に。数日前から気温が下がっている。とはいっても、最低気温4〜5℃。ただ、京都より風が強いから、体感温度は低め。ホテルの暖房もやや低めの設定のように感じる。明日の最低気温は9℃に上昇だけど、油断してはいけない。
ホテルの部屋から見える向かいのオフィス。休日明けなのか、出勤前の時間なのに照明がついている。パソコンの電源も入っている。フランス人はバカンスばかりで働かないというイメージがあるが、実はよく働く。日本人と違うのは作業効率。無駄な労働はしないし、経営者も頭脳を使って生産性に向ける。つまり、経営者は賢く、労働者は無理強いを断固として拒むが能率も考える。だから、経済も技術も社会制度も世界最高水準を維持できる。労働条件が悪いと優れた人材が集まらない。日本の企業と真逆。目覚めよ!日本人!
ある日のカフェ。
私の隣のテーブルに、
クロード・ミレール『なまいきシャルロット』(1985)
のシャルロット・ゲンズブールのようなボーダーのシャツを着た可愛い小学生の女の子が勉強しいて、話しかけたいけど話しかけられない。なんだかドキドキしてる私。ロリコンじゃなくても、男なら(男に限らないかもしれない)みんなそうだと思うよ、私だけじゃなく。
パリで誕生日。嬉しいのかそうでないのか、複雑。「歳を重ねる」は美しい表現だが、一定の年齢を超えると、「歳を取る」、というのが実感だろう。
ジャン=リュック・ゴダール『はなればなれに』(原題)bande à part(1964)@La Filmothèque du Quartier Latin(ラ・フィルモテック・デュ・カルチェ・ラタン)
アメリカの犯罪小説をもとに製作したフィルム・ノアール。アンナ・カリーナと型破りな二人の小悪党の男の恋と犯罪の狂想曲。疾走感、そしてあっけなく死んでいくいつものゴダール風味はやはり魅力である。2017年に京都みなみ会館で見た作品。
帰国前日
喉の痛みが治らない。『はなればなれに』の後にアンナ・カリーナ『Vivre ensemble』とゴダール『Made in USA』を見るつもりだったが、ホテルに戻り休息。
ひと眠りし、ホテル近くのレストラン〈La Frasca〉で夕食。なんとなく隠れ家的なレストランだが、お客さん多し。パリ最後の夜だからまともな料理を食べたかった。
フランスとイタリアのクロスオーバー料理。和食も意識しているとか。
私が食べたのは和食とは無縁の料理…だと思う。ジャガイモのグラタンと牛のソテー。牛といっても日本の霜降りではなく赤身。牛肉とはこの味なのだとシェフの言葉。確かに肉の旨味に溢れている。料理にあうワインをグラスでお願いする。一口含んだ時はそれほど美味しいとは感じなかったが、肉と一緒に味わうとワインの風味が口内に広がってくる。ワインのお代わりをもらう。
デザートは何を食べたのか忘れた。
味覚で他人から不思議がられることがある。私は霜降り牛肉は好きではない。一口目は旨いと思うけれど、二口目になるとくどい。マグロも口にしたいとは思わない、フランス料理のバターたっぷりのソースもダメ、背脂の浮かんだラーメンも、生クリームたっぷりのスイーツも受けつけない。油脂成分がダメなのだ。
夕食後、ホテル近くのブルゴーニュワイン専門店で、2007年のワインをグラスで2種類飲む。1種類目はこなれたタンニンに感動。2種類目は時間の経過で深みに変化が生じてくる。高いワインだが、こんな機会でもなければ飲めないから奮発。パリ最後の夜だもの。コロナ前は円安の現在と違い円高だったし。物価も安かった。
ホテルをチェックアウト。ホテルに荷物を預け買い物に。サン=ジェルマン=デ=プレの紅茶店でお土産にチョコレートを購入。その後、サン=ジェルマン=デ=プレ教会北側の大修道院通り近辺を散策。好きな街並み。あてのない散策(promenade sans but)。心が和む。
キャリーケースを引きずりながらモンパルナス駅のリムジンバス乗り場に移動。ゼネストなのでバスも地下鉄も動いていない。徒歩で30分以上かかった。
駅でリムジンバスを数十分は待つ覚悟だったのに、駅に着いたとき、リムジンバスはすでにバス停に停車していた。滑り込みセーフ。すんなり乗れて呆気ない。モンパルナス駅で1時間ほど待つつもりだったから空港到着が早すぎ!羽田行きのフライトまで4時間以上あるじゃないの。
チェックイン開始は3時間前から。空港内のカフェで1時間過ごす。チェックイン。そしてゲートへ。
シャルル・ド・ゴール空港19:00→14:55羽田空港16:30→17:40伊丹空港
羽田での伊丹便乗り継ぎだけど、荷物をピックアップし再度国内線乗り継ぎカウンターで荷物を預け入れ。そしてバスで国内線ターミナルへ移動。さらに、国内線の混雑した保安検査。乗り継ぎ時間1時間半は短すぎる。
羽田空港でうどんを食べたかったけれど、そんな時間はなし。
伊丹空港に着いてからカレーライスを食べる。そして、伊丹空港からリムジンバスで京都駅へ。京都駅できつねうどんを食べる。どうしてもうどんを食べたかった。パリで九条ネギうどんを食べたくなってからずっとうどんのことを考えていた。そういえば私の海外旅行、日本に到着し自宅に戻る前に必ずうどんを食べている。この時のうどんの旨さときたら、至福。
(注*)書店Gilbert:中世から続くパリの学生街カルチエ・ラタンにある歴史的書店。4店舗あったがコロナ禍の2021年閉店。カルチエ・ラタンの象徴的書店だった。
《映画日記20》に続く
(衣川正和 🌱amateur-kinugawa)