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【映画評】 アン・リー(李安)『恋人たちの食卓』。崩壊と再生、奇跡の物語

空気感が違う。力学が違う。外国語を前にし、母語との単語相互の生み出す空気感や力学の違いに戸惑う自分がいる。その違和感を母語に還元することは可能なのか。外国語を学ぶとは、そんな違和感との戦いでもある。それを解消するには、言葉の背後へと向かうしかない。

たとえば「飲食男女」という表現。
日本語を母語とするものにとり、素直に読みとるならば「男と女の食事」、あるいは「男と女のための食事」のこと、と理解できる。だが、「男女」を〈男/女〉と二分するならば、それは〈性差〉と考えてもいいだろうから、ダイレクトに〝性〟そのものともなる。
「飲食」は言うまでもなく飲み食いすることだが、飲み食いの前提となる食欲は性欲と並ぶ〝欲望〟そのもの。そこに性差としての〝男/女〟を滲ませるならば、ドロドロした事態を思い浮かべるかもしれない。それが「飲食男女」の実相なのでは、とわたしは想像たくましくする。たとえば、伊丹十三『タンポポ』の卵の黄身を舌の上で転がし、やがては女性の裸体へ黄身を落下させる。そしてツァイ・ミンリャン『西瓜』の、舌先で西瓜の果肉を愛撫するかのようなシーン。口や舌による、性欲と食欲の未分化でありながらも神々しいとも思えるシーン。

『飲食男女』は、李安(アン・リー)監督『恋人たちの食卓』の中国語原題である。
日本語を母語とする者には、先に述べたように、このタイトルのもつ人間の在りように、(少なくともわたしは)狼狽と躊躇を覚えずにはいられない。それに対し、邦題「恋人たちの食卓」はなんて「柔らか」なタイトルなのだろう。原題の漢字の持つ匂いたつような直接性(繰り返すが、日本語を母語としてという意味において)に、デオドラント効果の脱臭作用を施したかのようにも思える邦題である。しかし、映画を見ればわかるように、決して「柔らか」い作品ではない。「恋人」「食卓」というタームは必ずしも間違いとはいえないのだが、そこにはこの作品特有の意味を内包していることに、映画を見た者は気づくに違いない。

『恋人たちの食卓』(1994)は、台湾の名優ラン・シャン(1930〜2002)が父親役を演じた〈父親三部作〉の第三作である。『推手』(1991)、『ウェディング・バンケット』(1993)に続くコメディーであり、アン・リー監督が初めて母国台湾を舞台とした、欧米人の出演しない作品である。

これら三作品は、〈父親三部作〉と称されていることからわかるように、父親と子どもたちとの家族関係を物語の主軸としている。
だが、このことのみで見ると、社会制度の近・現代化による家族制度の変化やそのことによる家族関係の軋轢を想像するのだが、その時間軸に、父親のアイデンティティーの揺らぎを潜ませるという構文法も、三作品に共通している。
『推手』では、母国・中国の政治変動やアメリカでの生活習慣の違いからくる自己喪失となる父親であり、『ウェディング・バンケット』では、儒教的観念と西洋的観念の衝突や息子とのジェンダー意識のズレと向き合う父親として描かれてる。

さて、『恋人たちの食卓』なのだが、主人公である父チュー(ラン・シャン)は、かつては5つ星ホテルの調理長を務めたほどの料理の鉄人。現在は後輩にポストを譲り、自宅での日曜日の晩餐に、自らの手料理で三人娘(チアジェン、チアチエン、チアニン)と円卓を囲むのを唯一の楽しみとしている。

アン・リー『恋人たちの食卓』-3

長女チアジェン(ヤン・クイメン)は、学生時代に男にふられ、そんなこともあってか、今ではキリストが恋人と周囲からからかわれるほどに信心深い教師。
次女チアチエン(ウー・チェンリン)は、仕事にも恋にも情熱を注ぎ、航空会社の重要なポストを務めるまでになった、映画製作年代の言葉で形容する才色兼備。
三女チアニン(ワン・ユーウェン)は、アルバイトに学業にと、無邪気に大学生活を謳歌している。
母は彼女たちが幼いときに亡くなっている。

男手一つで育てられた娘たちは、年齢とともに父と距離をとりたくなっている。
彼女たちが直面する大きな問題、それは家族生活と自己の未来との距離である。
家族生活とは父の存在であり、自己の未来とは恋のことである。図式化するならば「父=内部」と「恋=外部」であり、ようするに〝内部/外部〟の距離の拡大ということである。

スクーターの往来する台北の街路のショット、それに続いて、中華包丁でリズミカルに食材をさばく男の手。映画はこんなショットで始まる。
往来するスクーターとは彼女たちの恋。つまり、家から外部へと向かう運動のメタファーであり、食材をさばく男の手……これは父チューの手なのだが……とは、家という内部のメタファーである。
次女チアチエンが、父親のことは「料理以外に思い出せない」といみじくも恋人に告白するように、料理とは、かつては名料理長であった父親と不可分であるとともに、食卓を囲むという家族そのものである。
だが、娘たちはそれぞれ人生や恋に悩みを抱え、家族で食卓を囲むこと自体が苦痛でならない。それに、父の味覚が衰えていくことに娘らは気づきはじめている。それと共に、彼女たちは「外部=恋」へと向かおうとするのだが、それぞのれの〝内部/外部〟での立ち位置、つまり、家族との距離が微妙に異なっている。

教師である長女チアジェンは父が疎ましいと思いながらも、学生時代の失恋のトラウマから恋には縁遠く、家庭内では母のような役割を果たしている。ところが、彼女が担当する教室にバレーボールが転がり込んできたことから、バレーのコーチの存在に気づき、何かと優しくし接してくれるコーチのことが気になりはじめる。
次女チアチエンは、不倫相手と逢瀬を重ねながらも会社では実績をつみ、アムステルダム勤務という要職を得るところまできている。
三女チアニンは、女友だちのメッセージを恋人へ伝えるうちに、友だちの恋人と仲良くなってしまう。

それぞれ、父という内部から、外部へと気持ちは向かっていく。言うまでもないことだが、中華圏においては、食卓とは円卓のことである。円卓を囲むことで生まれる団欒という形態が家族の形態でもある。それは、円運動が中心へと向かう加速度を生み出すように、円卓を囲むことが家族の強度を意識させる。ようするに、円卓と家族とは同値(equivalence)なのである。

だが、円卓の中止へと向かう加速度があるならば、それとは反対に、遠心力のように、外へと向かう運動も必然的に生じる。それが自然の摂理である。円卓の構造とは、「中心化=食」と「脱中心化=恋人・性」という力学そのものとしてあるのだ。監督アン・リーは、円卓構造における力学に気づいていたに違いないし、原題『飲食男女』が邦題『恋人たちの食卓』へと翻案されたのは、「恋と食卓」の力学の意味、日本側配給会社スタッフの、そのことの知悉においてであろう。ここで補足するならば、アン・リーが「円卓構造における力学に気づいていた」と但し書きをするのはあまりにも日本的な傲慢さであり、中華圏の人々にとっては、ア・プリオリと言えるほどの事態、つまり、あえて指摘するまでもないことなのかもしれない。

三姉妹の運動でとりわけ面白いのは、長女チアジェンと次女チアチエンの〝内部/外部〟の運動の様相である。母の死後、恋に奥手であり、母親代わりを決め込んでいた長女は、先に指摘したように、バレーのコーチの出現により、父という内部から恋という外部への運動が生じはめる。それに対し、チアチエンは仕事と恋、絶えず外部の存在でいるのだが、あるとき、母親的存在となった姉の心から「わたしは締め出された」、と姉のチアジェンに詰問する。チアチエンは不倫相手から別離を言い渡されており、そのとき不倫相手の子を身籠っていたのだ。

姉からも男からも締め出されることになったチアチエン。〈内部⇄外部〉と揺れ動きながらも、外部へと向かう運動は小さくなる。次第に家族という内部へと運動を向かわせ、面白いことに、長女チアジェンと次女チアチエンの運動は奇妙な交差を見せ始めるのである。そしてチアジェンはバレーのコーチとの愛で、三女チアニンは女友だちの恋人の略奪愛で、それぞれ結婚する。父親と二人になってしまった次女チアチエン。彼女は父親のために料理を作ることにする。これまでは不倫相手に作っていた料理。そのとき、父親のチューは、チアチエンの料理が自分の作る味と違うことに気づく。父親は不快な表情をするのだが、これは母親が生前に作ってくれた「お母さんの味」だと彼女は告げる。
真の料理とは何か。名料理人と称されていたチューは、老いによる無味覚が起きていることに気づくことで、料理人としての自己のアイデンティティーは大きく揺らぐ。ところがここで、娘が作った「お母さんの味」に、「これは旨い」、とチューが再び味覚を取り戻すという奇跡が起きるのである。

アン・リー『恋人たちの食卓』-2

父親チューは娘たち三人、近所の老女チンロン(シルヴィア・チャン)、そしてチンロンのひとり娘を一同に集める。そして、チンロンのひとり娘との年の差婚を発表する。
驚きのあまり、母親のチンロンは卒倒する。そして、二人の間には子どもができていることも告白し、内部とも外部とも特定できないチューの運動で映画は終わりを告げる。
次女チアチエンは自己の回収される場所を失い、新たな運動を生み出すことで、わたしという内部を再生するしかない。ここに、崩壊しながらも再生・拡大する家族という、円卓の真の姿を見いだすことができるのである。

(日曜映画批評家:衣川正和🌱kinugawa)

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