カメラの世界は無限大
私が一眼レフカメラで写真始めたのは高2のGW明けである。それからもう大体3年半の月日が経ったと知り驚きが隠せない。
カメラのたのしみ方、そんなもの無限大である。
自分の撮る写真なんて技術も何もかも未熟なものである。カメラについて話すなんて恐れ多い話ではあるのだが、それでもまだこの面白さを知らない人に伝えたいことがある。ぜひとも聴いてほしい。
写真を撮ることは、本当に面白い。どこまでも楽しめてしまうのだ。
見えていなかったものが見えるように。
カメラを持つようになって1番の変化はなにより、季節の移ろいを敏感に感じとれるようになったことだ。見るもの全てが被写体となる世界で、何一つ見逃すまいと目をこらすようになる。
すると、自然と今まで見えていなかったものが見えるようになり、日常が作る美しさに目が眩むほどである。
なんてことのない道端に生えている草にだって光は注がれていて、それを受止め一身に輝いてることに気づくようになったのだ。
カメラは目前の光景をさらに美しくさせる力がある。
どう切り取るか、どう写すかは私たち次第だ。カメラは私たちの目となって「ここにこんなに素敵な景色があるんだ」なんて教えてくれるようである。
雨の日がイベントに
何もイベントになるのは雨の日だけではない。
なんだか気持ちがいい朝、月が綺麗な夜、ちょっと退屈な昼下がり、いつでもなんだってカメラでそれを写し取ることが出来ればかけがえのない一瞬に変わる。
おもしろいな、と思ったらとりあえず撮ってみることだ。
雨上がりの公園で水滴が水たまりに落ちる瞬間をひたすら狙って撮るだなんておもしろさ、カメラがなかったら気づけるものではない。
目に見えないもので頭がいっぱいになっているとき、スマホを手放して目の前の光景に没頭してみることって大切だ。
カメラのちからを借りて、自分の目でこの景色から何かを見つけることに集中する。
そうすることで頭の中を占めていたものを少しは忘れられるようになるかもしれない。まあいっか、なんて思えるようになるかもしれない。
情報が錯綜するこの現代、いつでも誰とでも繋がれるからこそ、そうできない時に感じる寂しさというのがある。そんな寂しさから逃げるとき、実はカメラがいい仲間になってくれるような気がするのだ。
カメラのたのしみ方
日に透ける花びらがこんなにも美しいということ。ガラスに反射する光によってこんなにもきらびやかな景色が作られるということ。
ほんの一瞬の、一筋の雫がこんな形をしていたということ。
どれもカメラを持って、そのファインダーを覗いたことで知った景色だ。
カメラのたのしみ方は千差万別、十人十色。これはあくまで私の一例である。
どうだろう、目の前の景色にちょっぴり特別さを与えてくれるのがカメラだと私は思う。
やはりこの機械、相当楽しいのではないだろうか。
私もまだまだこの沼からは抜けられそうにない。
だって私が見つける世界はこんなにも美しいのだ。
あなたなら、この見慣れた景色から何を見つけるだろうか。どんな些細な景色でも見る人にとっては特別となり得る。
そんな誰かのいろんな特別を私は見てみたい。そして私の特別を知って欲しい。
見たものを共有出来るのもカメラの楽しいところだ。
一体、あなたが見る景色はどんなものなのだろうか。
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