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ホットヨガ体験で流した涙は、何の涙か

最近、昔の出来事をふいに思い出すことが増えました。その中で、「昔の私ってこんなんだったな~」というエピソードを思い出したので、当時の私を成仏させるためにも綴ってみたいと思います。8年前、ホットヨガの体験に行った時の話です。

疲れていた私が目指したユートピア

当時は若手からちょっと毛が生えたくらい。営業で数字を上げていくことに必死の毎日。人と話すのは得意な方だけど、難しいお客さんもいたし、「支店内ランキング」で、いつも下から名前を探した方がすぐ見つかる日々に疲れていました。

ぐぐーっと体伸ばして汗かいて、スッキリキラキラしたい。
ぽわーんと静寂に包まれて、ラブマイセルフしたい。

そうだ、ホットヨガ始めてみよ。

ある日そう思い立ち、2駅先のホットヨガスタジオに体験レッスンへ向かいました。

トラブル in ユートピア

前日の夜は20時以降食べない。水は1リットル以上持参。準備OK。
初めて入ったホットヨガスタジオは、むわっとした空気と暑さで結構びっくり。

15名ほどのクラスで場所は自由でしたが、体験の私は前方ど真ん中へ誘導され、始まるまで、素敵なインストラクターの女性が優しく声を掛けてくれました。

ムーディーな照明にヒーリング音楽、あぁなんて癒しの空間なんだろう。

・・・・・

いよいよ始まりました。
普段体を動かしていなかったので、とても気持ちがいい。

しかし、始まって数十分。異変発生。
苦しい。水を飲みたい。
でも動きが続いている。周りの生徒さんたちも誰も休んでいない。
ここで1人だけ止まるとめっちゃ目立つ。
いやでも、暑くてくらくらする。そろそろやばいぞ・・・・

限界を迎えてその場に座り込み、インストラクターさんが優しくスタジオの外へ連れて行ってくれたのでした。

流れたのは汗よりも涙だった

スタジオの外では、別のスタッフさんがケアをしてくれました。
そして私は号泣。
もし過去にホットヨガに通われていて、ロビーの片隅で慰められている女を見かけた方がいるとしたら、それは私かもしれません。

これは一体何が起きたんだろう?

当時の私は、何か重いものを勝手に背負い、そして何かにがんじがらめになっていたのでしょう。そしてそのことを、当時は認識できていなかったとも思います。

流した涙は何の涙か

最後までやり切れなかったふがいなさ。悔しさ。
いろいろあるけれど、今振り返ると一番大きかったのは、「他の人から“途中で退室しちゃった人“と思われる」という自意識だったように思います。
「最後まで人と同じように動かなければならない」という集団意識のようなものも根底にあったのでしょう。

それであんなに泣けた自分が今では不思議ですが、それくらい、人の目を気にして生きていましたし、完璧であろうとしていました。
ちょっと冷静に考えれば、誰も私の途中退室など気にしていないと分かるのですが。

人からどう見られるのかが自分の価値を左右する、という考え方が昔から癖付いていて、それが、まさかのホットヨガ体験で表れてしまったのでした。

(こんな私にはヨガが効きそうだと思い、この日に入会を決めました)

0にならなくても30くらいで上出来

今の私だったら、途中で喉が乾いたら、動きの途中でもすぐに水を飲むし、どうしても苦しくなったら、周りを気にせずすぐに外へ出ます。

それは何かすごい変化を遂げたわけではなく、今でも、人の目が気になる性質は根本的には変わっていません。

ただ、その性質が全然表れない時もあれば、強く表れてしんどい時もある。場面によって、どの程度出てくるかが変わっている感じ。
そういうもんなんじゃないかな、と最近ようやく分かり始めました。

「変えたい」と思う性質って、人から有難い言葉をもらったり、自己啓発活動をしたとしても、いきなり大きく変わったり、ましてやなくすなんてきっとできない。
0か100かじゃなく、今日は30くらいだな、とか。そういうグラデーションで出来上がっているものだと思えるようになりました。

その性質を、「変えなきゃいけないもの」「無くさなきゃいけないもの」と捉えると、一気に人生ハードモードになるんですよね。


そういうことに気付いていくのって、なかなか難しい。
難しいけどこうやって少しずつ、自分を上手く扱って、日々を過ごしていきたい。

8年前のこの時から、少しは、いや結構、私よくなったよね。

おわりに

当時、この話を友人たちに話したら、「そこで泣くなんて、まりらしいね!」と笑いました。
課題解決しようとするわけでもなく、私を分かった上で笑ってくれたから、このエピソードは笑い話として私の中に残っています。
多分みんな忘れてるだろうけど、ありがとう。

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