自己責任論の暴力性
僕は今、40歳で、世代的には就職氷河期世代とゆとり世代の、ちょうど間の世代に位置しています。
この世代は、俗に
「プレッシャー世代」
と呼ばれており、多くの社会状況変化を乗り越えてきた世代とされているそうです。
そんな世代に属しているからこそ、僕は、ここnoteでもたびたび、
「自責思考が大切」
と書いてきたように思えます。
ある投稿では、
「すべて自己責任と考えた方が良い」
とまで言い放っていた気がします。
最近は少し、変化してきました。
「自己責任論や自責思考は大切だけれど、行き過ぎない方が良い」
といまは思っています。
というのは、いろいろ調べてわかったのですが、どうもこの「自己責任論」が、特に就職氷河期世代の方々を苦しめてきたのではないかという情報を目にするようになったからです。
僕はその世代に掠っている程度なのであまり実感はないのですが、当時、その前のバブル期の影響からか、
「人生は自分の手で切り開いていくもの」
とする風潮が強くなったそう。
バブル期は景気が良かったので、多くの人がそれで幸せになれた。
ただ、その後、不景気を迎えたのにその風潮だけは残り続けたせいで、就職氷河期の方々は、時代のせいで良い職に就けなくても、結婚などに恵まれなくても
「自分のせい」
と言われてきて、何も反論できない状況になってしまった、と。
僕は、もちろん今でも「他責思考」よりは「自責思考」の方が、一見、厳しいように見えて後ですごく美味しい思いや楽ができると思っています。
ですので、主に自責で生きた方がいいという考え方です。
ただ、その一方で、人生には、
「運」
も大きく関わってくるのが、厳然たる事実ではないかと思うんですよね。
たまたま、幼少期に自分が向いているものに出会えた。
たまたま、参加した飲み会で、良い仕事を振ってもらえた。
たまたま、生まれた家が資産家一族だった。
努力や積み重ねは大切なのですが、人の成功や幸福の要因として、それらが満たす割合は、せいぜい半分程度なのではないかと僕は考えています。
もう半分は、遺伝とか、家庭環境とか、もっと言うと「偶然、そこにいた」とか、運要素が占めているのではないでしょうか。
だから「自己責任論」を過剰なまでに信奉するのは、実態にも則していないし、ともすればそれは『言葉の暴力』になってしまうと私は思います。
能力も置かれた状況もみんな違うのだから、誰もが自分と同じようにできると思わない方がいいし、自分も「あのすごい人みたいになれる」、とは単純に考えない方がいい。
そして、それが叶わなかったときには、実力以外にいろんな要素が絡んでくるので安易に「自己責任」と、他者も、自分も切り捨てない方がいいと僕は思います。
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