心を乱される経験こそ心に良いのかも?
みなさんは、ここ最近、深く思い悩んだり、悲しくて涙が溢れたような経験はあるでしょうか?
大切な人との離別、事業の失敗、裏切りなど、何にショックを受けるかは人それぞれだと思いますが、大なり小なり、誰でもそういった、
「心が乱される経験」
をしてきていると思います。
かくいう自分はどうかというと、ここ一年くらいは、自分で言うのもなんですが、
「とても心が落ち着いた日々」
を過ごしています。
その一番の理由は、自分をずっと悩ませていた「お金の問題」が解決してきたこと。
焦燥感を抱くことがほぼ、なくなりました。
第二の理由として挙げられるのは、自分を信頼してくれている人たちに出会えていること。
僕は人間関係に関しては割とドライな方だと思っていて、正直、今でも
「自分は一人でも生きていける」
と思っていないこともないですが、それなりに着実に仕事をこなし、約束事を守ってきたことで、多くの方に支えられている実感はしています。
だからこそ、金銭問題に悩まなくて済むようになったわけなので。
その一方で、最近、こうも思うようになりました。
「『悩み』って必要なのかもしれない」。
と。
若い頃、僕は、若いが故に、お金以外にも多くのことに悩まされてきたと思っています。
それは、ときに友人関係だったり、恋愛的なものだったり。
ドライはドライなのですが、感情と理性の切り分けが上手くできなかった20代前半から35歳くらいまでは、毎月のように壁にぶち当たっていた気がします。
そこに資産が少なかったこともあって、一個一個の物事を必要以上に深刻に捉えていたきらいもあります。
事あるごとに右往左往して、自分で自分を追い込んでいたような。
ただ、いま振り返ってみれば、
「その過程が自分を精神的に成熟させてくれた」
とも思うのです。
さまざまなことに心を乱されたからこそ、その度に、目に見えない筋肉とも言えるのでしょうか。
それが心の中に形成されて強くなっていったと思っています。
ちょっと刺激されたくらいではへし折れなくなった。
ただ、その代わりに、
「悩みがないことで自分が空虚に感じる」
ことも実は、あるんです。
深い悲しみや寂しさに包まれたり、大きく傷ついたりはしないけれど、その代わり、心から喜べる機会も減ったというか。
悩みが多ければ多かった年ほど、良い思い出も多かったし、エキサイティングな一年を過ごしていた気がします。
ここから思うに、人間は、
「心が乱される経験こそ、精神の栄養補給に良いのかもしれない」
ということ。
ものすごく逆説的な表現になってしまいましたが、時折、苦しみや煩悶という刺激を自分という土壌に与えてあげる。
その刺激は、有害な農薬のように見えて実は、恵みの水かもしれない。
人生を豊かにするのに必要なものなのかもしれないです。
文字数的にここまでが限界なので、この件については、また機会があれば書いてみますね。
読んで頂き誠に有り難う御座います! 虐げられ、孤独に苦しむ皆様が少しでも救われればと思い、物語にその想いを込めております。よければ皆様の媒体でご紹介ください。