抗わない生きかた。
以前、
「迷ったときは“間(あいだ)”をとれ」
といった内容を描かせていただいたのですが、最近、たまたま、僕のこの考えかたが
「仏教の思想に近い」
ことを知りました。
詳しく調べたわけではないのですが、中道というか中庸というか、仏教ではそれを大事にしている側面があるようです。
確かに僕の生きかたや物事の捉えかたは、かなり仏教の教えに近いところがあるかもしれません。
仏教にも国や宗派によっていろんな考えかたがあるものの、大まかに言えば、真理が一つではない点がキリスト教などの西洋思想との大きな違いだと思います。
これは日本に古来から伝わる
「神道」
もそうですよね。
神道には八百万の神という考えかたがあり、神的な存在はありとあらゆる場所に存在し、それが故に真理も無限に存在する。
そして日本で独自に発展した仏教は、神道と融合しているものもあります。
実際に「神仏習合」ということばがあり、日本人は神社にも行きますし、お寺にも参拝しますよね。
今日、僕はお盆以来、久々にゆっくり時間をとることができた日で、全身脱毛の予約を入れていたので、とある街へ向かいました。
日中のまだ明るい時間だったため、脱毛サロンまでの道中は暑くて頭がぼうっとしたのですが、普段と比べて時間に余裕があることもあり、本屋に立ち寄ったりする時間も取れて、のんびりと、終始リラックスした状態でいることができたんです。
そのときに、ふと、
「こんな風に、ゆったりとした心境でいることが大切なんだな」
と思いました。
「何が起きても動じない」というか、「それを受け入れる」というか、
「下手に抗おうとしない」。
そんな姿勢。
これって仏教とか神道の、東洋思想に近いと思う。
もちろん、自分の身に直接危険が迫ったときや不利益を被りそうなときは抗った方がいいのですが、受け流すテクニックというのも、必要なスキルではないかと思っています。
SNSなどを見るとどうしても人は他人と自分を比較してしまうし、もし自分がその人より下にいる(と思ってしまう)ような状況だと、現状に焦って抗おうとして、余計にど壺にはまってしまいます。
人にはそれぞれ向き不向きや、生まれ持っての性格があるし、そこに運も絡んできたりもするので、もちろん自分の実力は大事ですが、変えられない要素の方が自分への影響は大きいと僕は思います。
だから、不意に何か目に入ってしまってもそれを受け流す。
あえて鈍感になる。
ちょっとずつ、その技術を練習した方がいい気がしています。
そして僕ももっと、これがうまくできるようになりたいですね。