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「夢」の語源を探したい
変な夢を見た。
なんの脈絡もなく、職場の人と都道府県もわからない場所にある「銭湯」に一緒に入っている夢だった。幸いにも?あるていどの会話があった。その相手とは現実世界でも仲が悪いというわけではない、どちらかというと話しかけやすい部類に入る人なので、まぁありかな、という感じではあった。
ところで、数百年ぐらい前から数えきれないほど交わされてきたであろう議題のひとつに、なぜ寝ているときに見るものと、将来の目標とか野望とかを語る際につかわれる言葉が、おなじ「夢(ドリーム)」なのか、というものがある。
子どもの頃から僕も何度か考えたことはあるのだけれど、突き詰めて考えるほどの情熱はないため、ついに今まで満足するような答えが出たことはない。
が、今朝、駅までの道を歩いているときにふと閃いたのだ。
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はじめに、寝ているときに見るものを「夢」と名付けられるよりも前の時代に、こんな会話があったのかも、と想像してみたら急に愛おしく思うようになった。
A「なぁなぁ、昨日の夜に頭の中で◯◯と◇◇が▲▲しててんけどさ。なんなんやろ、あれ」
B「さぁ?あ、でも俺もこの前の夜、寝てるときに××が……」
同時に、確か平安時代ぐらいには「夢枕」という言葉があったことを思い出した。以前のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも、源頼朝(大泉洋さん)の「夢枕」に後白河法皇(西田敏行さん)が出てくるというシーンが印象的だった。
ということは、少なくとも今から1000年以上前には夜寝ているときに見るものは、「夢」という言葉が当てられていたことがわかる。
じゃあ、目標とか野望とかのほうの「夢」はどうだろう。
僕が考えるに、当時は「将来の夢」なんて言葉は存在しなかったのではないか。
末法の世ともいうぐらいだ。当時の人々、少なくとも畑を耕したり物を売ったりして日々を精一杯生きていた人たちにとっては、現世は辛く悲しいものだったのだと思う。そんな人たちが期待するのは、「来世」しかない。
ここまで考えて、この記事を書こうと決めた。
そう、来世とはすなわち夢の中と同じだ。自分の手ではどうすることもできなくて思い通りにはならないけれど、少なくとも今よりはマシな場所。そう願う人たちが、来世(いつか)ではこうなりたい、その欲望を表現する言葉として、夜に見る「夢」と同じく「夢」という単語をつかったのではないだろうか。
こうして考えてみると世の中はわからないことだらけだ。でも、それをひとつひとつ考え、こうしてまとめてみることは本当に楽しい。
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