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言葉と生活を、見直す
おもわず自分の耳を疑ってしまった。
「僕は、絶対に◯◯だと思います。」
絶対に?
〜だと思います?
仕事中ですこし慌てていたとはいえ、こうして文字に起こしてみるとよけいにこの言葉の奇妙さがめだつ。
さすがに文章を書くときにはおもったことをそのまま書かず、一旦あたまで咀嚼してから書くようにしている。なので、書いた文章の違和感がぬぐえない、というようなことはあまりないと信じている。
もんだいは、話し言葉だ。
いま読んでいるこの本にも書いてあった。
僕たちの会話はほとんどが無駄。
コミュニケーション自体に意味がないというわけではなく、「もっと簡潔にすませられる」という。
話しているなかで思わず発する「えー」とか「あー」とかを含めてそのまま文字にしてみたら、かなり滅茶苦茶なものになることが素人にも容易に想像ができる。
と、こういうことを今日ふと漏らした冒頭の日本語を材料にすこしだけ考えてみることにした。
−−−
僕は毎月の給料が入る15日に、銀行口座とクレジットカードの引き落としをチェックする。どれぐらい入ったかなとどうじにどれぐらい使ったかな、を把握するために社会人になってからずっとつづけている。
昨年の12月1日から図書館で働きはじめた。
それから僕はこの1か月ちょっとで「6万円」しかつかっていなかった。住居費はさすがに入っていないが、生活費も食費もすべて含めて。
20代男性のひとり暮らしとしてはどうなんだろう。少なくとも僕のこれまでの出費と比較するとかなり少ない。
でも、とりわけ節約をしているわけではない。食費もパン屋さんでもらった食パンの耳ともやしと納豆ばかりを食べているわけでもない。
旅行や大きな買い物は滅多にしないが(最近、Kindleを買ったが分割払いにしています)、スタバでコーヒーも飲むし、外食もする。
いちばんの理由としては、図書館で働きだしてから「浪費」が減り、「消費」ではなく「生産」をすることが増えたかなと感じるからだ。
いぜんは休日に目的もなくショッピングモールをただうろうろとしたり、アマゾンや楽天をよく散策していた。出費とはちょくせつ関係はないが、YouTubeもついだらだらとみてしまうことが多かった。
でもここ1か月ぐらいは、休みの日にもnoteを書いたり、なにか書くべきものが溜まっていたりする。
この記事はけっきょく最後まで書くのに7時間ぐらいかかったのだが、こういうことをだれに言われるでもなくやるのが好きになった。
アマゾンやYouTubeなどもアプリではなくブラウザからみるようにしている。いちいち検索するのは面倒なので気軽にアクセスしなくなるから。
僕は「生産」することを習慣にしたらあまりお金をつかわなくなった。
まえにどこかで、「たいていの贅沢はただの浪費」という話をきいたことがある。
自身の言動、収支の見直しは大人になればなるほど注意されることが少なくなるので、「我が振り見て我が振り直す」でいかなければならない。
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