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冒険という名の
『極夜行前』というノンフィクションを読んでいる。
以前にこの『極夜行』というものを読んだのだが、その連作である。内容は前後するのでややこしい話だが。
極夜というのは。これを説明するのは僕ではなく作品を読んでいただければ嫌というほど身に染みてわかるはずなのだが。そうはいってもこのnoteも最後まで読んでほしいので簡単に書くと。
「冬季、南北の極圏で一日中太陽がのぼらない状態がつづく現象のこと」を言うらしい。
よく僕たち日本人は、夏は日が長くて冬はすぐに暗くなる、そんな認識があるかとおもう。ようはその究極形だ。冬が極夜で、夏が白夜(太陽が沈まない)となる。作品のなかでは、その極夜状態が数か月間つづく。
−−−
ただ。こういう極夜をほんかくてきに体験するのは前作(極夜行)の話。いま読んでいるのは、そのタイトルのとおり「冒険をする前準備」の話である。しかしそれでも、何度も北極まで足をはこんだり、海象におそわれたり、エピソード0のはずが十分に立派な冒険譚となっているから恐ろしい。
僕は、著者の角幡さんは最近になって読んで知ったのだが。大学生ぐらいの頃は「星野道夫さん」がすきだった。
『旅をする木』はお気に入りだったし、「別冊太陽」も買ってアラスカの夢のような舞台にしずかな興奮をおぼえていた。
−−−
とか言いつつ。僕はこういう冒険のようなたぐいの経験をほとんどしたことがない。
よく「趣味はなんですか?」ときくと、「旅行です」とこたえる人がいる。詳しくきくと、知らない世界を知れるのがたのしい、とか。じぶんの生活がいかにめぐまれているのかがわかるのがうれしい、なんていう人もいる。そうかんがえると旅行とは、到着前の列車のなか、現地での慣れない食事、寝心地がけっして良いとはいえないベッドと枕、それらすべてが非日常となり、それを味わうためにすることであるともいえる。
やっぱり僕は、ほとんど旅行すらもしたことがない。
そんなことをいうと、小さい頃にグアムや沖縄につれていってくれた両親から叱られそうだが。僕にとってのそれら経験は、親の背中を見ていればなんの苦労もなく過ごせるものだった。大人になってから訪れた日本の観光地ですら、あっと驚くような珍しい体験はなかなかできない。
いまはまだ、本で読むだけで十分満足できるが。いつかじぶんの足で、じぶんの目で見てみたくなる日がくるのかもしれない。
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この本を読んでいて冷静に、「何でこの人はこんな危険なことをするんだろう」と不思議におもう瞬間があった。
ただ、こんな僕でさえ無性に何かをしたくてしたくてたまらなくなるときがある。「そこに山があるから」ではないけれど、冒険をしないと気が済まない、スケールが桁違いなだけで誰にでもあるそういう欲求の話なのかもしれないとおもった。
そして、そこに意味とか効果なんてものはきっとない。「効果をかんがえて極夜を冒険する」なんてぜったいに選択を間違えているからだ。あるのは、ただしたい、それだけだとおもう。
いまの僕に置き換えるとすれば、noteがそう。見返りなんて求めずに、ただ淡々と毎日書きたい。
僕なりの極夜行は明日へとつづく。
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