無法地帯に浮かんでいるのは、きっとひとりじゃない
年末年始の明るいにぎやかさに、ひっそりと尻込みをしています。
なんでこんな時に、この記事を書いているのかというと、日本のどこかで同じ気持ちでいる人へ、届いてほしいと思って書きはじめてみました。
何度も書いては、消し。書き直しては、下書きへ。やっと、今日投稿のボタンを押します。
パーっと明るい記事ではありません。
なので、すこし元気がない人に宛てた記事の内容なので、気分がのらない方は、どうかスルーしていただけたらと思います。
■最近のできごと
うつ病には至っていないけれど、
うつ状態から脱せられない数ヶ月を過ごしています。
ここ数年の年末は仕事の忙しさや、環境の変化(引っ越しなどなど)も相まって、そんなに気にも留めずに過ごしてきました。けれど年末年始にあまり幸せな思い出がないまま年齢を重ねてきてしまいました。
どちらかというと、その反対側の寂しい思い出が心の片隅にはあります。その思い出が飛び出してこないように、普段はちゃんと、しっかりと心の中で鍵をかけてあります。そして、目に付かないところにしまっておくので、安心して生活できています。
イメージとしては、そんな感じです。
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なのに、今年は心身ともに疲れてしまい、思い出の箱の鍵が壊れてしまった。その思い出の箱を何個か自分の傍らにおいて、気がついたら過ごしてしまっていた。
12月に入り、何度かメンタルダウンを繰り返した。
だいたい2日程度で回復する軽度なものから、1週間近くダウンを起こしたものまで。状態や状況はさまざま。
1週間近く落ち込んだあと。藁にもすがる思いで、通院している病院に行くと珍しく主治医の先生は驚いていた。それもそのはず。なんだか私は色々爆発していた。
普段、私は病院に行くのにも、まぁまぁ身だしなみを整えていく。なのに、今回は数日食べれていなかったせいか、とにかく頭と体が思うようにならない。何で食べれないかと聞かれても、分からない。なぜか食べ物が喉を通らなくなってしまった。フラフラしたり、よろめいたりしながら、這うように支度をしてやっとの思いで、病院まで辿りついた。
身だしなみなんて、もう、どうでも良かった。
髪型も整えず爆発したまま、キャップをかぶったので、爆発した髪がはみ出していた。すぐに着れるちょっと小洒落たスウェットを着て、季節外れの薄手のアウターを羽織って、ドすっぴんで病室に恥ずかしげもなく登場したので、「こんにちは」とあいさつしたとき、主治医の先生の目がまん丸くなった。
藁にもすがる行動とは、こういうことなんだろうな。と、思う。単身赴任中の夫に回復したあと、その時の事の様子を伝えると「いや、先生だって人間だもの、そりゃそうなるでしょ」と先生に味方してくれて、内心ホッとした。
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ざっくりにまとめると、私の心の中にはトラウマが何個かある。(らしい)
これは消えて無くなったりはしないそうだ。なので普段は距離をとって生活しているけれど、自分の防御壁が弱くなったり、何かのきっかけで、距離が縮まって、現実とトラウマの境目がなくなってしまうそうだ。
この説明を受けてから、少しほどけたような気持ちになったし。
半分、消えてなくならないのか、と思うと途方もなく思えた。
今回きっかけになった出来事に心当たりがある。それが分かっただけでも、ひと呼吸おいて落ち着けた。だけどそのあともトラウマにぶつかって、12月は何度も落ち込み、苦しんだ。
それでも這ってでも、良くなりたいと思って病院まで行けたのは大きな一歩だったかなと思う。
「病院までたどり着けて良かったです」と伝えると、今年2度目の「花丸」をもらった。「二重丸どころじゃないですよ。三重丸だってたりませんよ」と男性看護師さんは、励ますでもなく、その日の私の一歩を称えてくれた。
そのかわり。現在は薬の副作用や体の調子と折り合いが合わずに、生活のリズムが思うようにならない。大好きなnoteの更新もできていない。
まぁ、できないことを数えても仕方ない。というか、不毛なのだけど、正直つらい。
ダウンを起こすと決まって翌日に家事が繰り越されるわけで、当たり前のように無法地帯ができあがる。目の前の些細なことが天変地異が起きたように思えて、その原因は自分だと思い込み、自分をいじめてしまう。目の前に起きているのは、洗われていない食器と、サンルームに干しっぱなしになっている服という何でもない事すら「できない自分が原因」と責めてしまう。
鼻水と涙でぐしょぐしょになりながら洗ったり、畳むので、もう少し落ち着いてからでもいいのに、洗って、畳むのだ。できない自分を許せなくなってしまうから。
すこし元気になると「まぁいっか」と思えてくる。
ご飯をたべて、眠れるなら、多少のことに目をつむって生きていても大丈夫と、ほがらかに感じられる。
なんだかね、その日によって変わる自分は面倒よね。でも不器用な自分もそんなに嫌いじゃない。そのおかげで人の痛みに気付けるようになれたから。
*
元気よく仕事に行っていた自分を思いだす。戻れないのを知っているのに、よく夢に見る。つらい夢を頻繁に見る。起きたあとは、夢なのか現実なのか分からずに、いもむしの様に丸まって頭痛と闘う。
カーテンを開けると「あ、こっちが現実か」と我に返る。
世の中の主婦の人が読んだら怒られそうなこと、満載なのだけれど、実はここにも私にしか分からない、トラウマが潜む。こんな些細なこと?って疑問がたくさんでる人がいるかもしれない。けれど、小さな事柄が心の傷やきっかけになって苦しむ人は世の中にいる。間違いなくここに1人はいます……。
体が元気になりたいと自然治癒力をもつのと同じように、心も元気になりたいと願って生きている気がする。だから余計に苦しくて、もどかしい時があったりする。受け入れるなんて、一言で収まらない、どうしようもなさが、心に溢れかえってしまっている。
そんなときどうするか。
■つらい時の過ごし方(chimoの場合)
これは私なりの過ごし方なので、こんな過ごし方もあるんだ~くらいの軽い気持ちで読んでもらたら幸いです。
〇自分なりの「休む」
休む。とにかく休む。
眠るのが「休む」のときもあれば、ただボーっとするのだって「休む」にあてはまる。その時々の「休む」を選んでみる。
〇クッキー1枚でも
食欲が落ちた時は、なんでもいいので食べられるものを口にいれてみます。無理のないように、ほどほどに。
わたしは煎餅を好んで食べるのですが、バリバリ食べるハード系が好きです。あごが動いて、食べた気になるので。あと食感。
アルフォートは最愛。クッキーとチョコが一体になっている便利お菓子。
水分わすれがちなので、甘い温かいもの、ゆっくり飲みます。
〇自分に花丸
自分いじめをしてしまう。これを止めろっていうのが、逆に無理なんです。冷静なときならできるかもしれないけれど。
なので何かできたら「花丸」をあげます。
だれでもない自分に。
お風呂に入れたら「花丸」
お皿洗えたら「二重丸の花丸」
ご飯作れたら「三重丸の花丸に星までつけちゃう」
褒められなくても、花丸がつけれない日があっても、自分に優しくしてあげよう、と、最近になって思います。
〇救われたnote2選
■柔らか仕上げのフクダウニーさん
「ヘイ、ガール」がなかったら、たぶんここにいないかもしれないです。ベッドの中で激しい波におそわれていた最中に、見つけたこの記事に助けてもらいました。
柔らか仕上げのフクダウニーさんに2024年、何回救われているでしょう。
たぶん、たんぽぽちゃんの記事にもモウレツに救われているnote民の1人です。
■Uさん
25日クリスマス当日。夫も赴任先に帰ってしまい、がらーんとしたリビングで1人noteをひらきました。寂しさに沈み込みそうになったところを掬ってもらえた記事です。
両手でちゃんと掬ってもらいました。
スマホを見ながら涙ぐんだ気がします。
ちょっと脱線しますが、ネットの世界は言葉にトゲがあり、ときに凶暴なひともいる世界のイメージをもっていました。私にとってnoteは安心感の強いSNSのひとつです。当たり前ですが、ネットでも一期一会の出逢いがあって、優しい人に知り合えたらとても幸せです。広い広いネットの世界で心にとどく文章に出会えたら、流れ星を見つけた奇跡みたいなものです。Uさんの書く言葉は、ネットの世界で出会えたひとつの星みたいです。
(※柔らか仕上げのフクダウニーさん、Uさん引用失礼します。そして良い記事をありがとうございます。)
他に紹介したい記事はたくさんありますが、今日はこのあたりでひと区切り。
■おしまいに
2024年2025年にどちらの年にも、ひとりじゃないよと伝えたい。
また2025年会いましょうね。
今よりほんの少しゆったりした気持ちで。