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足りてないくらいが、丁度いいのかもしれない

10万円の給付金。

誰かにとっては少なすぎる金額で、誰かにとっては満足な金額。  

自営業でも、フリーランスでもなく、養う家族もいないサラリーマンの私にとっては嬉しい金額です。

とは言え、私の生活といえばお金に不自由なく暮らしているわけではなく、家賃、光熱費、ケータイ代、コンタクトレンズ……など、ランニングコストの支出の残金は、雀の涙程度のもの。スーパーで買い物をする際も、刺身や、国産牛肉のコーナーから目を逸らしながら、閉店間際の4割引きになったこまぎれ豚肉を買い物かごに投げ入れる生活なのです。刺身…あかん、贅沢をするな。牛肉…あかん、普段からそんなものを食うと豚肉じゃ物足りなくなる。それなら三元豚なら…いやあかん、牛肉より多少安いだけだし腹が膨れる量じゃない、良い肉は特別な日だけだ。そんな葛藤を繰り広げながら、泣く泣く最も安いコマ切れ豚肉を、焼き過ぎるとグミ程度のサイズになってしまう賞味期限間近のコマ切れ豚肉を選択してしまう儚さよ…。甘いものが食べたい時には、アイスに伸ばしそうになる手を鋼の精神力で抑え込み、ミカンの缶詰を嫌々手に取り3日間に分けて摂取するのです。勿論、汁まで無駄にはしません。

そんな風に、全く足りていないわけではないが、満足ではない日々を送っているのです。このような生活を続けていると、物欲はある程度抑制され、手に入れたくなりそうなものは、自ずと目に入れないようになってきます。

10万円…。嬉しい額ではあるけれど、生活を大きく変えられるような金額ではない。欲しい物を買ったり、普段より良い物を食べる生活を送ってしまうと、元の生活に嫌気がさすような気がして怖いのです。物欲がみるみる湧き上がり、鍛え上げた貧乏精神を飲み込んでしまうような、そんな気がしてしまいます。しゃれた靴を買うと、それに合った服を買わないと気が済まなくなってしまうように。

そんな事に頭を悩ませながら、満足な生活とはどのようなものなのだろうかと考えてみました。ある程度好きな物を買えて、ある程度好きな飯を食って、終電を逃してしまったら仕方ないからタクシーで、みたいな生活を。

では、ある程度とはどの程度なのだろうか。

私が思うに、ある程度のレベルはどんどん上昇していき、結局のところ、欲望は満ち足りることはないように思います。欲望は底なし沼だから。

色々考えてみると、妥協点を見い出せる少し足りない生活くらいが丁度いいのかもしれません。目の前にニンジンがあれば追いかけて苦しくなるけれど、ニンジンが無ければ息切れする事は無いのです。

仮に、満足な生活をしてしまえば、先輩の家では飲むことの出来るアサヒスーパードライも、給料日に連れて行ってくれる焼肉も、冷蔵庫にストックしてくれているハーゲンダッツのバニラ味も、ありがたみを感じなくなってしまうのかもしれない。

足りていないからこそ感じられる、発泡酒と生ビールの違い。豚肉と牛肉の違い。缶詰の人工的な甘さとハーゲンダッツのバニラの甘さの違い。これらの特別感を失ってしまうのは、反対に幸福を感じる回数が減ってしまうような気がするのです。

例えば、煙草が美味いと感じるのは、楽しい時ではなく、苦しい時なのです。ボロカスに怒られたり、度重なる理不尽に拳を握って耐えた後の、緊張感から解き放たれた時の一服が最も美味いのです。

足りてないくらいが、丁度いいのかもしれない。

さて、10万円をどのように使いましょうか……

とりあえず、宝くじに全BETします。

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