![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/161377725/rectangle_large_type_2_3ae56d709302697b783fd67c8ca55a5e.jpeg?width=1200)
「ジェンダー問題」とは???
「ジェンダー問題」という言葉、実にもやる。
ジェンダーとはざっくり「社会的な性」のことだ。セックス(生物学的な性)とは対義語のような関係にある。
セックス上の男女とはmale / female で、本当はオス / メスという違いとなる。
ジェンダー上の男女はman / woman で、男性 / 女性ということになる。
では戸籍上の性とはどっちなのかといえば、ジェンダーなはずである。「はず」なのは、戸籍上の性別を決定するプロセスが、身体の外観に即しているからだ。取り上げた医師が「男の子ですねー / 女の子ですねー」等と親に告げ、親が戸籍に続柄という形で性別を登録することになる。しかし法的にはその性別は「性の取扱い」と呼ばれ、実質的にジェンダーなのだが、パスポートでは性別 / sex と表記され、M / F で分けられる。この時点で統一感がなく非常にあいまいで「?」が付く。
性の構成要素は概ね、性的指向(sexual orientation)/ 性自認(gender identity)/ 性表現(gender expression)/ 性的特徴(sex characteristics)の SOGIESC であり、加えて出生時割り当てられた性(assigned gender)があると思う(私はさらに、相手の関係性で引き受けやすい「内的な性〈domestic gender〉」があると考えている)。ジェンダーとは社会的な性=社会(人間関係において積極的に引き受ける性)なのだが、単にジェンダーと言った場合、ジェンダーアイデンティティの話なのか、ジェンダーエクスプレッションの話なのか、ジェンダーロール(性役割)の話なのか、ジェンダーノーム(性規範)の話なのか、分からない。それなのにこういうことを踏まえない雑なくくりで「男 / 女」が語られるため、「ジェンダー問題」とは何を指しているのか分かりづらくなる。
![](https://assets.st-note.com/img/1731253487-S0YoAMFhD1LcHR9NfpOl3Ukg.jpg?width=1200)
改めて「ジェンダー問題」とは何であろうか、色々思い巡らせてみる。
・ジェンダーアイデンティティ(性自認)問題
ジェンダーアイデンティティを取り扱うという問題は、シスジェンダーが圧倒的に多い社会においてかなり稀有なシーンといえよう。ジェンダーアイデンティティに基いた社会に再構築しようという課題であれば是非進めたい。トランスジェンダーやノンバイナリー等、人格の一部であるジェンダーアイデンティティを否定される社会であってはならない。性自認が全てに優先するなどという安直で過激な物言いは全く価値がないことを共有し、本当にその人の人格が尊重される社会であってほしいし、そのように法整備も進めるべきであろう。
また性自認は圧倒的多数のシスジェンダーには分かりづらいという問題がある。殊に日本人はアイデンティティという概念に乏しい。自分が何者であるかという問いに即答できる人は少ない。いや大勢いるかもしれないが、それをもってアイデンティティという概念を理解している証左にはならない。だから性自認や性的指向が人格と一体不可分であることを理解できないし、字面だけで性自認は自分で決められる(どうとでもなる=心の性別、気持ち次第)のような薄っぺらい理解しかできない。
![](https://assets.st-note.com/img/1731253546-grqpUTVazvYKWJOhLAXQbDoE.jpg?width=1200)
・ジェンダーエクスプレッション(性表現)/ ジェンダーノーム(性規範)問題
ジェンダーエクスプレッションとは、いわゆる男らしさ / 女らしさのようなもので、ジェンダーノーム(性規範)とも密接だから、主に性規範の文脈で語られることが多いように思う。性表現は性規範の再現であることは多いが、性規範のように押し付けられるものではなく、自らそれを選び取るという主体的なもの。なのに性表現が男女を反映している、男女のモデルのほうが圧倒的に多いという問題を無視して、性規範の押しつけを否定したいがゆえに他者が主体的に選び取っているはずの性表現を否定してみたり、性規範の助長であるかのように喧伝したりする、という問題がある。性表現 / 性規範という解像度に到達していない人が圧倒的に多くて話にならないという問題もある。「男性はこうあるべき、女性ならこうしなければ」という性規範の強要は確かになくなってしかるべきだが、それがために既にある性表現を主体的に選び取る自由を侵害していいわけではない。
![](https://assets.st-note.com/img/1731253583-jfYea0dLioBIqX3c12bNQuwv.jpg?width=1200)
・ジェンダーロール(性役割)問題
ジェンダー問題とかジェンダー視点といった場合、このジェンダーロールのことを取り上げるらしい。それなら最初からジェンダーロール問題、ジェンダーロール視点と言ってほしいのだが、社会的性=性役割という図式のおかしさに気付いていないのだろうか? それともジェンダーロール&ノームなのだろうか? もしやジェンダー平等という言葉も、性役割の平等という意味で用いているのか? ジェンダー(社会的な性)は自ら選び取るもの。前述のジェンダーエクスプレッション(性表現)と同じ。それに対しジェンダーロール(性役割)は社会の側から押し寄せるものであって、ジェンダーノーム(性規範)とも通じている。ジェンダーは自ら選び取るものだから、そこに他の要素を組み込むべきではない。性表現とジェンダーが違ってもいいし、ジェンダーと性自認が違っても当然いい。私が「内的な性」をジェンダーそのものとは分けて考えるのは、社会という半ば公的な空間と、家庭等の私的な空間では積極的に引き受ける性役割が異なるからだ。これらをごっちゃにしないように、知識の解像度を上げてほしい。
![](https://assets.st-note.com/img/1731253726-d07bvcnwo6sJxpYgzQ1aCEU5.jpg?width=1200)
・トランスジェンダー問題を略しているかもしれない問題
時折「ジェンダーの人」という表現を目にしたり耳にする。トランスジェンダーの略であったり、ジェンダー(アイデンティティ)に問題を抱えている人といった意味合いで使われることが多く、トランスジェンダーのことを指している可能性は非常に高いのだが、言葉の扱い方が実に雑だ。ジェンダーという言葉自体は広まっているが、概念が定着しているわけではない現状で、こういった略した使い方は誤解をまとわりつかせてしまう。
さらにトランスジェンダー問題の略であるとするなら、トランスジェンダーの存在が社会に問題を撒き散らすといった間違ったイメージや偏見を助長していることになる。トランスジェンダーの存在が近年ピックアップされていることで、既存の社会秩序への挑戦が行われているかのような印象を、知識も興味もないような人達に抱かせているわけで、このような誤解の放置ほうが問題なのだが、あたかも問題の渦中にあるのはトランスジェンダーとその支援者達として悪魔化し、「トランスジェンダーの理屈を正当化する人達が存在する問題」として「ジェンダー問題」と言っている人もいるように感じる。
![](https://assets.st-note.com/img/1731253696-odF4OQm7fASkbDuH3VErWPt2.jpg?width=1200)
・ジェンダーがもたらす問題
セックスとジェンダーを分けて考えるという発想すらない人が世の中にはうじゃうじゃいて、ジェンダー(やそれにつながる人権)という考え自体が反社会的な(社会の秩序を乱す)思想だと思い込んだり、理解できないものとして攻撃してくる人達がいる。こういう人達にとっては、「ジェンダー」と口にすることすら「問題」であり、「ジェンダーという思想がはびこる問題」という意味で「ジェンダー問題」という言葉が使われている可能性がある。「ゆゆしき問題」というわけである。
それ自体が問題と言える。ジェンダーということについて、教育が全く行き届いていない。前述のように攻撃してくるような人達は、性教育を受けられていない被害者ですらある。性教育とは、別にセックスの仕方を教える教育ではない。自他の体や他者との関係性をどのように捉え、生活や人生の中でどう活かしていくかということを学ぶ人権の教育なのだ。わが国の政府というのは封建時代の政権をクーデターでひっくり返しただけの軍事政権のフォロワーなので、基本的に人権のようなものが根付かれては困るのであろう。何しろ国民を動員し、宗主国のために兵力にでも労働力にでも使える従順で都合のいい奴隷にしておきたいのだ。だから人権に対してはギリ建前は扱うが、そっちに軸足を持っていきはしない。性は人権であるのに、そこから遠ざけ、偏見を野放しにし、無知蒙昧が巻き起こすヘイトの火に油を注いで、マイノリティをさらなる分断と排除に向かわせている。こういう「ジェンダーをもって分断しようとする問題」は確かにある。
最後に「性」がセックスを表すのかジェンダーを表すのかがはっきりしない問題も指摘しておきたい。「性」は様々な構成要素(SOGIESC+)を持つものの総称であり、単に「性」と称する習慣を改める必要がある。ちゃんと今の時代の解像度に合わせた表現をすべきなのだ。トランスジェンダーを「体の性と心の性が違う人」「生まれの性と自認する性が異なる人」という雑な表現にすると、実態が掴めない。せめて「出生時割り当てられた性と性自認が異なる人」、欲を言えば「アサインドジェンダーが一致していない人」としてほしい。こういった「ジェンダーの解像度が依然として低い問題」というのも厳然として存在する。ついでに、既に理解している人が「そんなの常識」と思っているのも問題だ。
そういうわけで「ジェンダー問題」という言葉自体、多面的で多層的な問題を孕んでいる。この言葉も分解、解体する必要がある。