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1980年代一大ブームとなった哲学書の文庫本「構造と力」

本(構造と力)(長文失礼します)

1983年に出版されて一大ブームとなった浅田彰著作の文庫本です。当時あまりのブームになったので、個人的にアレルギー反応を示してしまい、単行本は結局読みませんでした。関連の解説本も多く出版されましたが、最も親しんで読んだのは雑誌「宝島」に当時連載され、愛読していた山崎浩一氏の「なぜなにキーワード図鑑」での「ポスト構造主義」であり、スキゾ・パラノの対比、スキゾ・キッズのキーワードを覚えています。 

今回文庫本化されるにあたり、出版前から話題となり、新聞の書評欄にも紹介されたので、私も読んでみることにしました。哲学の予備知識がなければ、最低3回は読んで咀嚼する必要があると思っていますが、先ずは1回目読了後、どれほど理解できたのかを確認する意味でも感想を述べてみることにしました。

本書の趣旨は、フランス現代思想を中心とする構造主義(現象に潜在する構造を抽出し、その構造によって現象を理解する)の次なる段階、つまりポスト構造主義、脱構造主義において、人間がどのような価値観の基に行動すべきかを模索して、その後それらを提唱するものであると言えます。

人類の歴史を時系列的に見て、コード化→原始共同体、超コード化→古代専制国家、脱コード化→近代資本制と分類しています。脱構造主義とは脱コード化のことであり、近代がその脱コード化の時代になっていると指摘しています。
さらに「構造とその外部、秩序と混沌の弁証法が近代には妥当しにくい。近代は弁証法の前提である構造ないし秩序を解体すること」であり、そのことが脱コード化になると述べています。

また冒頭に「象徴秩序」という言葉が登場しますが、本書を読み進めると、近代以前のこうした象徴秩序の解体が脱コード化の運動であるとも述べ、その中心に存在するのが貨幣であると論じています。
近代資本制においては、脱コード化された貨幣が商品世界に飛び込み、膨大な前進運動を創出し続けるとあり、人間も貨幣の前進運動に伴って、一方的に邁進し続ける運動過程が要求されます。そうした競争をパラノ(パラノイアック)と表現し、その競争からの逃走をスキゾ(スキゾフレニック)と表現していますが、これがスキゾとパラノの対立概念であり、そうした競争から逃走し、常に外へ出続ける人間をスキゾ・キッズという言葉で定義しています。

本書では主にドゥルーズ=ガタリを解説していますが、ドゥルーズでは管理社会という概念の提示がなされて、外へ向けての哲学が開かれるとも提唱しています。こうしたことが近代資本制からの逃走になると理解できます。
また解説の千葉雅也氏の著書「現代思想入門」では、デリダによる二項対立では回収されえない差異への哲学の呼び起こしと活性化を目指したものであり、価値観の二者選択からの脱却は、多様な価値観の受容になってくると考えます。

本書が出版された当時は、貨幣中心の近代資本制からの逃走・脱出であり、今日それは何も哲学だけの問題ではなく、価値観が多様化した現代社会においても、同様な課題は今でも各人に突き付けられていると思います。

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