家族に見守られながら、天に召されたいですか?
火野正平さんが亡くなった。75歳は、まだ若い。合掌。
そこで、あることを思いだした。
かつて、息子と「死」について話し合ったことだ。
確か、外国の要人の訃報がきっかけだったと思う。
ご不愉快に思う方がいたら、すみません!
あくまでも、「わたしの考え」ですので!
わたし「わたしが死ぬときはさあ、多くの家族に見守られながら亡くなりました、というの、やらなくていいからね。」
息子「うんうん?」
わたし「親族が集まって、まだかなまだかな? って待ってて、誰かが、『そろそろですよ!』とか言ってみんなを集めて、わたしが死ぬところを今か今かと待っている――。というのが、なんか嫌なんだよね。」
息子「そうだねー。待たせてるって感じがイヤかもね。」
わたし「たぶん、人間は『今までありがとう……。ガクッ』となんて死なないよ。みんな呼ばれて集まって、『あ、持ち直したみたいねー』となって、気まずい感じで解散するのも、なんか申し訳ないし(笑)」
息子「まだ死ななくてすみません、って?(笑)」
わたし「そうそう、みんな仕事もあるから、全員がそろって見守るってこともないだろうし。そんなの目指さなくていいよ。わたしは息子だけでいいからさあ。」
息子「そうだねー。オレもお母さんだけでいいかなあー。」
わたし「別に、わたしが死ぬところを、みんなに見物してもらいたくもないし。(笑)」
息子「ああ、確かに。こっちは一生懸命死のうとしているときに、みんなから顔をのぞかれてもねー(笑)」
もちろん、「わたしが死ぬとき」という前提で話していたんですけどね。
「朝起きたら冷たくなっていた、ということがほとんどですね」
と言われたが、家に連れて帰った息子。
ピンポンピンポン鳴るアラームもうるさいから切っちゃって、一緒に寝た。
幸せな日々だった。
わたしの目の前で、息を引き取った。
夫の場合は、家に戻ってきて、医師から事前に、
「夜も寝ないで様子を見るとか、しなくていいんですよ。体力がもちません。」
と言われた。
確かに持たないから、横で寝ていた。
でも、わたしの目の前で、あっという間に息を引き取った。
直前まで、話をしていた。
他の家族を呼ぶ間もなかった。
今のわたしの場合、死ぬときは息子と夫が迎えに来てくれるので、絶対に一人がいい。
生きている人が、周りに来ないで。
ジャマしないで。
ということを、死にそうになる前に、そのうち親族に言っておこう。
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