【嫌われる勇気つづき..】シンプルで複雑
昨日の続きです
どうぞお手隙の方はお付き合いください。。。
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"課題の分離"は
個人の課題と他人の課題を正しく分けること
課題の分け方の定義は
”事が終わった後、実行するのは誰なのか?”
ということ
前回投稿した
職場の上司の問題でいうと
"仕事ができない"というのは誰の課題なのか?
というように自分の課題と他人の課題の区別をつけるということ
そしてここで最も重要なのが
「他人の課題には介入しないこと」かつ
「自分の課題に踏み込ませないようにすること」
一見簡単そうにも思えますが、
シンプルなのに複雑だなと私は感じました
一例として、
なかなか勉強をしない子供に対し、
親が「勉強しなさい」と怒鳴りつける状況
→これは課題の分離ができていない
つまり、"他者の課題に踏み込んでいる"行為にあたる。
"自分と他者"は親子・友達・夫婦に限らずどの場面でもいえる
ここで私が思ったあるあるが”転職口出し問題”
転職する人に対して、
なんで?
甘くない?
大丈夫なの?
本気?
ちゃんと考えれば?
てゆう光景をよく見ます
これこそ『課題の分離』ができていないんだなと
そりゃ将来の安定だとかを考えれば
今のままが安全、危ない橋は渡らない、
てなるのも分かりますが、、
"こっちの問題だからよくない?"てなりますよね
人が揉める原因も
”他人が相手の課題に介入するから起こる”こと
つまり”課題の分離”ができれば揉め事はうまれない、とまで言われています
(少々極端な気もしますが、言わんとすることはすごくわかります)
じゃあどうすれば?て点では
✔︎決して口出しはしないこと
✔︎ただ、いつでも援助はすると安心させてあげる
→何かあったときに声がかけれらる
助けてほしいと思ってもらえるような状況をつくっておくこと
が最善であり、
それ以上は介入しない。してはいけない。
捉え方や文字面によっては冷たく感じる人もいるのかもしれませんが、
結局は"誰が行動するのか"てことはそれぞれの課題だから分けて考えないといけないことだな
と改めて感じました
違うシチュエーションでも、
私がこんなにやってあげたのに喜んでくれない等も課題の分離ができていない状況。
"自分の行動が相手の役に立っているのか"
決めるのは他者の課題であって、
あなたが介入できる問題ではない。
自分の課題ではないので突き放して考えなければならない
とあります。
その代わり、
自分は誰かの役に立っているという思いだけが自らに価値があると実感させてくれる
他者からの承認ではなく、
自分が他者貢献できていると
感じられることが幸福へとつながる
承認欲求でも”誰かの役に立っている”という
「貢献感」は得られますが、
ほんとうに貢献感を持てている人は他者からの承認を必要としない、そして自由ではないこと
やはり自分で自分を受け入れること『自己受容』
もかかせないんだと実感しました
そしてこの本を読み終えて思ったことは
なんでも”あの人がこうだから” とか
”周りがこう言うから”
と他者を理由に自分の考えや行動が流されるのは不自由なことであって
嫌われることを恐れている言動へとつながっているのだなと感じました。
自分はこうゆう人間だと認めたうえで、
どうありたいか決めて行動するのも自分であって
責任は他者にはなく、できない原因も自分にある、人のせいにする人はいつまで経っても変われない、
そうゆうひとにはなりたくない!と思いました...
少なからず、わたしも承認欲求はあるし、
他者からの評価を気にして過ごす場面はあります
今すぐすべてを変えようとするというよりも
”見つめなおす”という点でとても勉強になる書籍でした。
『人間にとって最大の不幸は自分を好きになれないこと』
この言葉を胸に、自分のことをたくさん好きになろう!そう思いました