【映画感想】 『つかの間の愛人』 L'amant d'un jour - 現代の恋愛についての三部作、最終章
好きすぎてパリの映画館で売っていたフランス語版のDVDを購入したほどの作品、我らがフィリップ・ガレル監督。
フィリップ・ガレル『現代の恋愛についての3部作 Trilogie des amours contemporains』(“La Jalousie”“L'Ombre des femmes”)最終章。
ガレル信者として心待ちにしていた作品。メインとなる女性が二人登場するのだけど、そのうちの一人の喘ぎ声から始まるという大胆なオープニング。タイトル・カットの前に響き渡る喘ぎ声、というのが卑猥にならず神秘的な静けさをともなってくるのでゾクゾクする。
もう一人の女性はエステール・ガレル、監督の実の娘。彼女の演じるジャンヌと最初の女性アリアンヌ、そしてアリアンヌの恋人でジャンヌの父でもある男性との共同生活が舞台となる。
この二人の女性は敵対するでもなく、ただなんとなく認め合っていくんだけれど、その中で智性/感覚、統一/個人というような性質の違いが両極のものとして浮かび上がってくる、(「ガレルは明らかに女性を二手に分けていますよね」と論じていらっしゃった須藤健太郎氏のトークショーを参考)そういう視点がガレルらしい温度の低さをもってじんわり伝わるのが涙が出るほど感動的だった。
ここから先個人的な話。
アリアンヌのように感覚で生き、視覚的イメージの世界に触発され、人間関係を個人個人のまとまりとしてとらえる、その通りに生きていたい。言語による統一化や倫理的思考はどうも苦手で、気付くと常識破り的な方向に迷走してしまう––––という性質は、私とまるでそっくりだった。
褒められたもんじゃないのは分かる。でもガレルの眼差しのもとではただ愛おしい可愛い困ったさんとして映し出してくれる。
一夜の夜明けに己への戒めを込めつつNE JAMAIS PLUS!(もうこれっきりよ)と全身鏡にルージュで書き殴るシーンがあるが、その間にも腹の底では自分の流動的な性質をすでに受け入れているところがあって、それを紛らわすように口紅をすり減らしてみたり早足で歩いてみたりするけれど、根本的に私は私のままなんだって、観念しているような…。鏡の表面に警告があっても、鏡の中で自由に動けるのは私しかいない。どうして分かるのフィリップ・ガレル。
対するジャンヌのほうも私たちとは違う叫びで恋の渦の中を漂っている、その姿も多分ジャンヌ側の女性たちに重く受け止められることと思う。ガレルは結末は描かない。いつでも最後は、幸せでありますように、と予感させる。幸せのゆくえを映画の外にある個人の運命に委ねる。だから、私たち女性は恋に生きる。私たちなりの恋の衝動を重ねて、人生は続いていく。
上記はほとんど2018年のわたしの言葉だが、
骨の髄まで染み渡ったガレル愛がわたしを実際に動かしたのは、
またもう少し先の話。
Emoru