自分勝手&自分本位な私
【ある時】は『相手のため』とか『相手のことを思って』だとか言う癖に、【ある時】は『自分本位で相手のことは二の次』にしたり、『相手のことなんて相手次第じゃん?』って考えてみたり。
【私は私】だって考える努力をしてるのに、そんな自分が【自分勝手】だと思うことで『そんな自分のことが嫌』になる。でも、だからこそ【相手は相手】だって考える訳だ。『私が望むこと、私が求めること』なんてものは、【相手に伝えたところで思い通りにはならないこと】も受け入れる。何故ならば、私だって、仮に【相手の希望や欲求】に対して、『それを叶える為の努力をした』とする。しかし、【100%相手を満たす】なんてことが出来る保証はない。結局のところ、【自分が叶えたいこと】は【自分で叶えること】こそが、『自分で自分を満たす1番の近道なんだ』と私は思う。ただ、そんな思考回路を辿る時、私は、【とても複雑な気持ち】になるんだと知った。
私は、【叶えたいこと】が『年齢を重ねること』や『自分の努力次第』で、【1つ、また1つと叶えてきた結果】が【今】だと思っている。個人的は、直近数年間だけが 『自分の努力次第』に該当する。それまでの私は、【自主性に欠ける生き方】だったことは、既に何度も発信してきている通り。ただ、そんな私が、【自分で自分の希望や欲求を叶えられた】当初の気持ちは『やっと叶えられて嬉しい気持ち』や『新鮮な気持ち・期待感』などがあった。今でもハッキリ覚えているくらい。【叶えるため】に【現実的に考えたこと、努力したこと】も沢山あった。だけど、そんな時でさえも【楽しみで前向きだった気持ち】を思い出す。それが、【時が経った今】では、そんな現状が【日常化】して、『毎日を当たり前のように』過ごしている。そのため、『既に日常に満足して』しまっている。『日常に幸せを感じている』とはいえ、慣れてしまい過ぎてなのか、【それ以上のことを求める気持ち】を自覚するようになった。『お互いに共通して思うこと』も、もちろんあるけど、『私だけが【自分本位】に思うこと』も実際ある。『今以上にこうしたい、こうなりたい』みたいな気持ちの変化によって、【過去】に『経験した幸せを求めてしまう』こともある。
【今この現状】に『満足する』とか『満足したい』っていう【自分の意思】で【納得する自分】がいるのも事実。しかし、それなのに、『少しでも物足りたなさ』を感じてしまったら『自ら視点を向けてしまうこと』も、これまた事実。すると今度は、『更なる欲求や改善したい気持ち』を自覚して、【矛盾】が生じることになる訳だ。【自分を相手にした時】でさえも、なんて【自分本位】で【自分勝手】な『私なんだろう』って実感する。『自己嫌悪とまではいかない』けれど、【相手の存在】が『あってこその自分』って思う気持ちもある。そんな気持ちを自覚すると、やっぱり【複雑な感情】が芽生えてくる。【自分勝手、自分本位、相手次第、相手優先】なんて言う、枕詞みたいなもの。結局のところ、『自分の都合がいいようにしてるだけじゃん』って思ってしまう。今の私にとって、本当に難しい問題。『やっぱり私って最低なヤツ』って思って、少しだけネガティブな気持ちになった。
他にも、こんなこともやっぱり頻繁に考える。【自分の発言に責任持つ】ことはもちろんのこと、【相手の発言を信じる・信じないは自分次第】だってこと。【自分の発言】は、『その時の自分が思ったことを言っただけ』の話。だから別に嘘じゃない。だけど、【自分の言葉足らず】が故に、『伝わり方にギャップが生じた』ことが、『私の思考を忙しく』した。【相手の発言】も同じように、『相手が思ったことを言った』までの話なので、そう考えれば、ぶっちゃけそんなに『深い意味は無い』とも解釈出来る。だから、『深く考えるほどの話でもないじゃん?』って気持ちにもなれるはず。ただ私が、【自分勝手】に『深く考え過ぎなだけじゃない?』と客観的に考えたら納得もできるってこと。
それなのに、私の思考が忙しくなった理由は、『私の発言がきっと不明確だったこと』に対して、『相手の解釈を修正する為のフォローが不十分だった自分』に対するモヤモヤだと思っている。【相手の発言】に対して『私の発言とのギャップがあること』を私は気づいた。しかし、『自分の言葉で再度伝え直すこと』には至らなかった訳だ。その後の私はと言うと、【ギャップが生じた状態】に対して『その先を【自分勝手】に想像するだけ』で、【自己反省】したり、【相手からの印象や関わり方】を【心配】したりした。正直、そんなことにいくら時間を割いたところで、 【既にもう終わった】話。『どうしようもない』って思った。
ならば、その後で『自分がどのようにして相手と関わるのか』って話。『これ以上にギャップを重ねること』は、極力避けたい。今回の【私の発言】に対しては、『撤回のしようがない』ので、『自分が責任を取るしかない』と思った。自分の発言に『嘘がないことを証明する為』にも【努力するのみ!】って感じ。今の私は、『もし今後も話をする機会がある』のなら、その時に、【自分の伝えたいこと】が、今回よりも【明確に発言出来る工夫】を『考えたい』と思っている。
言ってしまえば、私からしたら、【相手の発言】の意図と、『100%同じ解釈をしているのかは、分からない』って話。しかも、それを『私自身が確認したいとも思っていない』訳だ。わざわざ確認しなくとも、【この先の互いの関わり方次第】で『見えてくるものがきっとある』と考える。
なんの根拠もない話だけど、結局のところ、『私の人生の1部に過ぎない』し、『一時的な通過点』の話。実際に今の私は、【自分の都合がいいように解釈】してしまっている。でも、そうでなければ逆に、『いつまでもネガティブの沼から抜け出せない自分』を思い浮かべる。『相手だって、わざわざ私をネガティブにさせたい気持ちで発言した訳では無いだろう』って話。私だって同じ。『相手からギャップが生じた発言が返される』なんてことは『実際思っていなかったよ』ってことなんだと思う。だから私は、お互いに誰だって、『そんな時もあるよね〜!』くらいの気持ちで今回の話は終わらせることにする。
そして、次に前に進むための思考に切り替えた方が、【自分本位】かもしれないけど、『ポジティブに前進出来る』気がしているって話。今回みたいな【日常会話のギャップ】に関して、【何が正解か】なんて事は、『他の誰かに決められる事でもない』と私は考える。だから、結果的に、『自分が納得出来る方向に思考転換すれば、それでいいんじゃないのかな?』って感じ。だったら、【相手の発言】に『いちいち振り回され続ける理由も無くなるよね』なんて結論に私は至った。なので、今の私は、ブログを書き始めた時よりは、なんとなく気分は晴れている感じがする。