【夫婦】【家族】私の考え方
前回の投稿の内容の後の話。【私の思う旅行の感覚】について旦那と話した。「旅行するために結婚した訳じゃないよ。今の生活で十分に幸せだよ」って。すると旦那も「それはそうだよ。」と共感した。そして、「でも、今だからこそ行きたいじゃん。『子供が出来れば、子供の行きたい所』に連れていきたいから。子供を連れて中華街を歩くなんてことは、俺がしたくないわ。『2人の思い出は、今このタイミング』で作っておきたいよ。」みたいなニュアンスのことを話していた。
そこで私は、【旅行】の価値観と言うよりは、【夫婦になる】とか【家族になる】とか【親になる】みたいな。そんな【価値観】について、初めて知った気分になった。何故なら、最近の私は、『子供が欲しいと言いながら、具体的に子供と何がしたいってことが無くて、不思議に思っていた』から。『そんな気持ちで子育てしていくものなのか?』みたいな小さな疑問。でも、今回の旦那の発言からは、『子供の希望を叶えたいのは【自分】じゃん』って感じに聞こえた。
更に言うと、【自分の意思】を持って『自分のことをする』のか『子供のことをする』のか。みたいな。【夫婦】となって半年以上。私は【私の意思】を持って、『家事をやっている』感覚に近い気がした。『やらなきゃいけない!』と追い詰められるわけでも無く、【自分のペース】で日々こなしているから。【自分の意思】が『根底にある』って状態が大前提。そんな心持ちで、『今後もずっと色んな選択をしていくんだ』ってこと。 今回の会話から、改めて旦那に教えてもらった気分になった。
だから、【結婚】も要は同じ。『自分の意思を持って、結婚したくてしたんだから』って話。【結婚したのは私】だし、その上で様々な選択をして生きていく訳よね。旦那の【嫁】だからって【過度に旦那を優先】したり、【自分を後回し】にしたり。別に、そんなことする必要は無いのかもしれない。その都度【自分の本音】と『向き合うことを疎か』にしている【私】の問題。とりあえず『自分の中の固定概念を全うする』みたいな。もちろん『自分なりに考えてはいるつもり』なんだけど、やっぱり【漠然】としているんだよね。
【私は私】で【旦那は旦那】の意思がある。それは当たり前のことで、【夫婦】となれば、【2人の生活】や【互いの人生】を『より豊かにしたい気持ちで過ごすこと』が【新たな当たり前】な感じがした。
旅行の話を、それ以降したか忘れたけど、すぐ翌日の話。今度は急に「猫を飼いたい」と旦那が言い出した。私は、『確かに前から言ってはいたけど、今回もまた言っているだけかな?そんなすぐの話ではないよね?』みたいな感覚で話をしていた。その日は、実際に飼うとか飼わないとかの話はなく、そもそも【生き物を飼う感覚】についてお互いに話した。
更に翌日。仕事から帰宅して早々の旦那は、昨日よりも高めのテンションで、「俺さ、猫の種類とか調べてさ、これとかどう?可愛くない?飼いたくならん?」とスマホの画面を見せながら話をしてきた。私は、『本気っぽいな』と思いつつも、即答で「いいよ」とは言わなかった。私の意思の核心に迫る話し方にも聞こえたので、私は「猫を飼うくらいなら、もっと贅沢な旅行がしたい」と伝えた。しかし、旦那としては「貯金がしたい」と言ったり「贅沢な旅行がしたい」と言ったり、『m__lovemiの考えとることは、一体何なんだ?』みたいな結果になってしまった。
上記の会話が入浴中の2人の会話で、先に部屋に戻った私は、早く自分の意思を明確にしたかった。旦那の言うことも一理あると思ったから。とにかく私は【私の本音を探す】ことに集中した。すると数分で1つ明確になったことを旦那に告げた。「私は、たぶん、お金を使うのが怖いんだと思う。ただ貯金したいだけ。お金を使いたくないだけ」と。この発言以降、お互いに、それ以上は何も言わなかった。そして、少しの間は無言だった。
無言の間、私は、昨年9,10月頃の自分のブログを読み返していた。『何となく状況が似ている』と思ったから。『お金が関係すること』『今の状況・生活から一変すること』『自分の明確な答えが定まっていないこと』等が、何かと重なって思えた。だから、とりあえず、以前の自分がブログにまとめたことを振り返ろうと思った。『どんなことを思って感じて、そこからどんな方向性の思考を意識しよう』と辿り着いたのか。
しばらく読んでいたら、なんとなく平常心の自分を取り戻した。『きっかけが何であれ、凹み過ぎないで。貴重な2人の空間と時間を大事にしたいんだよね。』って気持ち。今回の場合は、私の思っていることは伝えた。下手くそなりに。【明確に気づいたこと】を『伝えた』のだから、それ以上でも以下でもない。あとは、次のアクション次第だって思うことにした。その日は、お互いに口数少ないままに就寝した。
更に更に翌朝の話。普段よりは若干テンション低めのお互いだったと思う。けれども、いつも通り旦那を見送り、朝食の準備・片付け、洗濯物干し等を済ませた。私は、土~火まで連休で、自分の過ごしたいように満喫していた。【自分のペース】で【気の向くままに】過ごしながら、昨日までの自分の思考を改めて整理しようと思っていた。
4連休とは言うものの、特別な予定を入れることは無かった。私は、【私のペースで充実していること】を実感していた。と同時に『やっぱり今の私は、【自分の最低限】に満足しているのかな』と自覚するきっかけにも繋がっていた。【今の自分の最大限】よりも『将来の自分の負担を減らしたい』気持ちが異常に強い。明確な根拠も無いのに【とりあえず今の自分の最低限な選択】に執着している気がしていた。
お互いに【個人的な贅沢】みたいなお金の使い方は、意識的に減らしている印象。『買わずにいたり』『安いもので済ましたり』する時もある。しかし、それはあくまでも【個人的】な話。『お互いの生活を豊かにするための出費』まで【最低限】な『選択をしようとしているのは【私】だけ』だ。決して今現状で困ることがあるわけでも無いのに。『私の偏った考え方なのかもしれない』と思うようになった。【夫婦生活を豊かにしたい気持ち】が、私に欠けていたんだ。【自分の人生】においても、【極端に自制心】が働いている。【今の私】を『自ら押さえ付けるのではない』ってこと。【お互いに高みを目指す私】で在りたいってこと。もしも、予期せぬ事態が起こったならば。『そんな事さえも2人で乗り越えてやるんだ!』くらいの強い気持ちで生きたいと思った。
【私の偏った、自己中心的な思考】を『考え直す1つのきっかけとなった』気がしている。私の中で変えようと思ったその日。私は、旦那の帰宅を普段通りに迎えた。お互いに自由に過ごしながら会話をしていた。すると、旦那の方から「猫飼おうよー」と話題にしてきた。なので私は「飼わないとは言ってないんだよ。ただ、この家の財布管理してるのは私だから。別に困る程の貯金でもないと思うけど、まだ月々の出費とか把握仕切れてないの。だから、ちょっと待って」と話した。「んなら早く明確にして〜」と冗談ぽく話しては、一緒に猫の種類を探し始めた。
そんなこと変化があった【今の私】は、『2人の新しい家族を迎えるんだ!』っていう【楽しみな気持ち】になっている。まさか『私がペットを飼う選択をする』とは夢にも思わなかった。しかも、『子供よりも先に猫を育てること』を考えるなんて。そんな驚きを隠せないのは本音だけど。
ただ、今ここで【私だけの価値観】で、【漠然とした貯金を理由】に『旦那の気持ちを粗末に扱う』くらいなら、【明確な旦那の希望】を『私も一緒に叶えたい』と思っただけの話。それに、猫の存在が、今後の【2人の生活を豊かにしてくれること】は『間違いない!』と【私自身】が思ったから。
もちろん、簡単なことではないだろうし、いい事ばかりでもないかもしれない。けれども、猫を飼うことを【2人で決めた!】って言える事実。決して【旦那を理由】にしない。【私も同意した事実】に【責任】を持って。そんな【自分】が、『以前の経験から今回活かしていること』も合わせて実感している。
あと、今更よく考えたら、『フォトウェディングをしよう』って決めた時と『状況が似ているかもしれない』って気がついた。初めは『お互いがどっちでも良いよ』って言っていたのに、私のタイミングで急に『やっぱりやろう!』ってなって。この時も『2人の貯金を崩すことになる』って考えたら『なかなか決めきれなかった』ってな話。もちろん【私】が。それなのに、旦那は【即答で肯定的な反応】だった。『やりたい気持ちになった』のは【私】なのに、実際は『2人の貯金から出費する』訳だ。そう考えると、やっぱり私って【器のちっちゃい人間】って思わされる。
お互いに【気持ち】があって【意見】があって。どれだけ【譲れない何か】があったとしても。そんな中で改めて【自分の本音】と向き合って。【お互い】にとって『より良いと思う方向に進んでいく』みたいな。『それが夫婦』とか『家族』なのかな?なんてこと。私は、30歳を目前にした今、人生の中で、もしかしたら初めて実感しているのかもしれない。
その時々の【主となる対象】は【誰】なのか。【何】なのか。【自分だけ】【旦那だけ】【家族の中の誰かだけ】が対象の【個人的】な場合もあれば、【夫婦共に】【家族全員】のように、【協力】とか、【互いの意見】の尊重、【相談】を要する場合もあるってこと。何でもかんでも『協力を求めるでもない』『確認するでもない』『相談するでもない』ってことよね。
また、【お金】or【気持ち】とか、【今】or【将来】とか、【自分】or【相手】とか。私が頻繁に遭遇する課題達。その都度【自分の本音】を見つける努力を怠らず、(あくまでも自分の中の)【明確な判断】【明確な気持ち】を今後も『追求して生きたい』と思う。
・根拠の無い漠然とした思考
・自分では無い誰かの意見
・世間のありふれている情報達
・偏った知見の先入観や固定概念。等々。
そんな【自分では無い】(どこかの・誰かの)【価値観に左右され続ける自分】を払拭するためにも。私は、その都度、【その時々の自分の本音】に、『一生向き合い続けていくのだろう』と思う。