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心折れながら留学準備~障害者が大学院留学をするということ~
本当は、noteに不安を吐露している場合じゃない。そんな暇があったら、奨学金の応募書類を書いたり、奨学金を探したり、介助者探しのチラシを作ったり、やることはたくさんある。
わかっている。
それでも私は今、noteを書くことにした。
私は今、大学院留学に向けて絶賛準備中。
でも、その道のりが大変すぎて、何度も心が折れた。折れ続けてはまた立て直すことを繰り返している。そんな絶賛心が折れている私を、私の抱える不安を、1つずつnoteに残すことにした。
名前のつかない膨大な不安は、言葉を与えてあげることで小さくなることを知っているから。
喉元過ぎれば何とやらで、きっとこの今の私の気持ちも、無事に大学院に行けた頃には忘れてしまう気がするから。
別に誰かに同情してもらうためでもなく、誰かの参考になるためでもなく、私のために、書いておこうと思う。
飛行機のトイレに行けない
まず、障害のある私にとって、大学院留学の大きな最初のハードルは「勉強についていけるか」ではない。
文字通り、「毎日人間らしい生活が送れるか」が最初の整えるべきハードルである。
そのうちのひとつが、「ひとりで飛行機のトイレに行けない」ということ。
アメリカまでの飛行機は10時間以上。アメリカに着く前からハードルがあることを知っていて、前途多難すぎる。
車いすユーザーは、飛行機内でも機内用車いすに乗って移動ができる。
機内用車いすでも座位がなんとか保てる私は、トイレまではCAさんが車いすを押して連れて行ってくれる。
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アイルチェアと言います
でも私は、機内のトイレ内で服の上げ下ろしができない。機内は揺れるし、手すりが最低限しかなくて私の麻痺のある手足では支えが充分ではないから。もちろん、車いすユーザーでも機内のトイレを使える人はいると思う。ただ、あくまでも私にとっては難しい環境だというのが事実。
トイレまで辿り着けても、結局用を足せなければ意味がない。
どうしても行きたくなったら、どうにもできなくなったら、CAさんに助けてもらうか、オムツをしていこうと思っているけど。
オムツはオムツで着いてからの着替えが大変そうだしできれば避けたい。
10時間なら水分を我慢してなら大丈夫かなと思うけれど、常にトイレの心配をしながらの長時間フライトはいつも不安。何か良い方法ないかなー。
何かご存知の方、いたら教えてください。
私が住める家はありますか
無事にアメリカに着けたとして、(そして空港へはきっと仲間が迎えに来てくれると仮定して笑)
次なるハードルは家探し。
障害がなかったら、私はとにかく学校から近くて安いところを選んだと思う。
でも、車いすに乗っている私はそんな訳にはいかない。家に車いすで入らなかったら、それは私にとって「住んでいる」と言えない。つまり、車いすで家に入れること、車いすでも過ごせる環境があること、そんなバリアフリーが絶対条件だった。
となると、なかなか物件がない。
家の中はフラットでも、玄関やエントランスに段差があって入れないところがほとんどだった。
そう考えると、選択肢は一択。
めちゃくちゃ高いけど、大学院付属の寮のバリアフリー部屋。
ただ、これもハードルが高くて。
寮の担当者に問い合わせると、バリアフリー仕様の部屋は数が限られていて、私の入学時に部屋が空く保証はない、いつ空くかは分からないと言われた。
そうなると私はいつまで経ってもアメリカに行くことができない。寮の担当者が言っていることも理解しているけど、でもどうにかしないとどうにもできない。
学校側と交渉して、それでも無理なら寮にバリアフリー部屋を増やすしかないと思い、大学が募集していた大学のためのクラウドファンディング企画に応募して工事をしてもらおうと考えた。
ぶっ飛んでると思われるかもしれないけれど、私は本気でそう思っていた。だって、必要な設備が足りなくて生活できない障害のある学生は他にもいるはずだし、必要な設備がより整うことで助かる学生も増えることを分かっていたから。
そう思って臨んだ寮の担当者の方とのミーティングで言われた言葉。
クラウドファンディングなんてしなくていいから!私はあなたが来年ここに来ることは分かってる、だから私の責任の元であなたが来るまでに部屋が確保できるように約束する。
あなたは行動力と粘り強さは素晴らしいものだけど、そこまでしなくて大丈夫よ。あなたはきっと大丈夫だから。
正直、口約束なんて分からない。
そう言ってしまえばそうなのだけど。
でも当時の私には、そうやって「大丈夫」と言ってくれる人が必要だった。それだけで、ひとりじゃないと思えたから。
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担当者の方が約束してくれた通り、ちゃんと手続きして、バリアフリーの部屋が確保できますように。
今の私にできるのは、手続きの日を逃さずに手続きをして、祈ること。
介助者が見つかるか問題
家が確保できても、そこで終わりでもない。
次は、介助者が必要になる。
私は今、一人暮らしをしているのだけど、今でも週に3回、ヘルパーさんに来てもらって家事やお風呂の介助をしてもらっている。
ヘルパーさんがいない日も最低限の洗い物や入浴はできるけれど、一人でやるとヘルパーさんの倍くらいの時間がかかる。あっという間に日が暮れる。1日はみんな平等に24時間しか与えられないのに、お風呂だけで時間とエネルギーをすごく消耗する。あと、洗濯は自力ではできない。
だから、着いたその週からヘルパーさんが必要なのだけれど、着いた直後からアメリカの福祉制度が使えるわけではない。手続きに時間が必要。
となると、半分ボランティアで同じ大学院の学生ヘルパーをバイトとして雇いたいのだけど。
募集をかけたとして、果たして応募してくれる学生がいるのか。
バックレられたりしないだろうか。
お風呂に何週間も入れなくて、洗濯できなくて着る服がなくなったらどうする?とか。
まだ募集チラシも作っていないのに、私は今からそんなことにビビっている小心者。笑
これは募集してから考えよう。
みんなと仲良くなって、いろんな人に代わる代わる手伝ってもらえる関係性になれたら最高だなぁ♡そうなったら、私もみんなに恩返しがしたい。
あとは半分ボランティアとはいえ、少しくらいお金を出した方がお互いを守る意味では良いかなと思うから。そのお金も必要で、また必要経費が飛んでいく経済的不安もある。
学費で家が買える
これは障害関係ないのだけど。
シンプルに、学費が高すぎる。
本当に、家が購入できるレベルの額で、奨学金がないとやっていけない。
貯金と奨学金、それからクラウドファンディングを合わせて、なんとか1年分くらいの目処は立っているけれど。
正直修了までの3年分の目処なんて凡人には立てられない。
ただ、これがアメリカらしいなとも思うのだけれど、成績が優秀だと学費が免除されたり、突然大学が州からの補助金やら誰かからの寄付を莫大にもらったりすることがある。
だから、そのままでは到底無理な金額でも、自分の努力やその時のタイミング次第でお金はどうにかなることも多々ある。
だから、金額だけを見て下手に諦めきれないという、なんとも不思議な感じがある。(実際に私も大学院からも奨学金を頂いた)
家買えるくらい高いんだから、どうせなら成績優秀で学費免除を狙いたくなる。じゃないともったいない、という私の負けず嫌い精神が働く。免除は無理でも、少しでも軽くしたい。
そのためには努力しないとね。そのための努力ならできる、と思う。
障害がなければ
こんな風に、住む家や介助者のハードルが目の前にあると、英語とか大学院の課題の多さとか、そんなものが小さく思えてしまう今。
私に障害がなければ、こんなに大変じゃなかっただろうなぁ
そう何度も感じた。
だって、歩けたら、というか、車いすでも身の回りのことがほぼ全て自力でできる程度の障害だったら。
長時間フライトのトイレを心配する必要もないし、物件の選択肢もたくさんあっただろうし、介助者を募る必要も、その費用を捻出する必要もない。
このやり取りや交渉を、フルタイムで働きながらするエネルギーも必要ない。
それだけで、どれだけ楽になるんだろう、と思った。というか、今も思う。
でも、私がそういう愚痴を零す度に、私の友達から叱咤激励が飛んでくる。なんか、ちゃんとした根拠付きで。
でもさ、光来に障害がなかったら、大学院で勉強したいとも思わなかったはずだよ。
障害があるから、勉強したいと思ったことなんでしょ?
私、大学院留学したくても大学院に受からなくて何年も勉強してる人知ってるよ。光来は受かってる。この先の可能性があるってことじゃん。そう考えると障害もプラマイゼロだよ。
仕事と留学準備の両立、大変かもしれないけど、仕事してなかったら留学の不安でいっぱいになってたかもしれないよね。
むしろ仕事があって良かったんじゃない?
お金がそんなにかかる留学なんて、私ならそこまでしてやろうと思わないし私ならやらないけど。なんかそういう選択するのって光来らしいし、光来にはそうやって生きてて欲しいわ笑
この言葉たちは、全部違う子からもらったのだけど。どこまでも、私の友達たちはポジティブだなぁと思った。
自分のことじゃないから、というのはもちろんあるだろうけれど、それにしても私を励ますのが絶妙に上手くて「あなたならやれる!」とかそんなよくある言葉を投げかけてはこないところに、みんなの愛を感じる。
こういう人達に囲まれてきたから、私は「障害があること」を全ての言い訳にせず、卑屈にならずに生きてこられたのだと本当に思う。
そんな人達と離れるのが、寂しいけど、とてもありがたい。いつもありがとう。
(ちなみに、障害があってできないことがあることは言い訳ではないとも思っています。どんなに努力してもできないから障害なのであって、それは別に言い訳でもなんでもなく事実でしかない。私が言いたいのは、障害は「全ての」免罪符にはならないということです。ツタワル?笑)
後戻りはできないけれど
人間というのは面倒なもので。
大きな挑戦に応援をもらえばもらうほど、物事が進めば進むほど、「後戻りできない感覚」に襲われ、今度はそれが不安になるのだと知った。
これまで書いてきた壁にぶち当たる度に「諦める」ことが頭を過ぎった。
でも。
ダメ元で、でも人の力を信じたくてやったクラウドファンディングが成功して。
職場にも、辞めることを伝え始めて。
大学院の寮の目処が経つかもしれなくて。
そういうことが起きる度に
「あ、もう今更引き返せないな」と思った。
きっと、これから飛行機の片道切符を買ったら、大学院の履修登録が済んだら、もっとそう思うんだと思う。
こういうことの積み重ねで「覚悟」ってできてくるのかな。
でも、その一方で私が決めていることがある。
それは、必要な時には立ち止まる勇気を持つこと。
体調とか、経済的な問題とか、政治的な問題とか、何が起きるか分からないけれど、何かが理由でアメリカにい続けることが難しくなった時には日本に帰るという選択肢を持っていたい。
もちろん、そんな簡単に帰ってこようとは思っていない。でも、人生って何が起きるかわからないから。
どうしてもその必要があった時には、そういう決断ができる勇気を持っていたいな、とは思う。
どうなっても、その時のベストを尽くせていれば後悔はしない。そう知っているから、必要な時にはその決断ができる気がする。
留学の意味
いろんな不安や期待を抱えているから、日に日に留学が現実味を帯びてくるのがこわくなる。
こんな想いをしてまで、留学に行くことの意味ってなんだろう。そう思ったことも何度もある。
そんな風に思う度に、私は原点に立ち返る。
その原点を一番言葉にしたのがクラウドファンディングの文章だった。
私が大学院留学を通して目指したいビジョンを話すと「自分らしく生きられる環境を創ることにどのような価値があるのか」「大学院に学びの投資するほどの価値があるのか」と問われることがありました。
確かに、「自分らしく生きられる」ことの対価に目に見えるものはないかもしれません。障害が重度であれば、自分らしく生きられたとしても働いて納税することが難しい人もいます。特に障害者は、「生産性」という意味では劣る場面が多いのも事実です。
でも、だからといって障害のある人々、その他マイノリティーに属する人々、固定概念に縛られて自由に生きられずにいるすべての人が自分らしく生きることが無意味で価値がないとは私はどうしても思えないのです。人の人生の価値は、生産性や目に見えるものだけでは測れない。
そう心から思っているのに、いざ問われると納得のいく答えが言えずいつも悔しい思いをしてきました。
だから、その答えを大学院で見つけたい。
自分らしく生きることの価値、自分らしく生きられる環境を創ることの価値を、自分の言葉で伝えられる人になりたい。
自分で書いた文章に、自分が励まされたりする。この一節を見返す度に、そうだった、と思い出すし、そう考えると今私がこうしていろんな気持ちを抱えながら準備をしているプロセスにも価値があるように思えた。
今もまだまだ前途多難だけど。
ここでは詳しく書いていないけれど、実は大型の電動車いすの申請もしていて、それも不安がたくさんあるのだけど。
目の前のやるべきことを1つずつこなすことでしか、不安は消えていかないから。ひとつずつひとつずつ、どうにかしていこう。