Miku

脳性麻痺の車いすユーザー&ソーシャルワーカー。2025年9月からアメリカの大学院でソーシャルワークを学ぶ予定。 ひとりの電動車いすユーザーとして、ソーシャルワーカーとして、日本人として、学生として、私から見える世界を綴ります。

Miku

脳性麻痺の車いすユーザー&ソーシャルワーカー。2025年9月からアメリカの大学院でソーシャルワークを学ぶ予定。 ひとりの電動車いすユーザーとして、ソーシャルワーカーとして、日本人として、学生として、私から見える世界を綴ります。

マガジン

  • 大学院留学体験記

    アメリカの大学院に進学を決意することを決めてからの留学の日々のおはなしです。

  • わたしのこれまで

    わたしが生まれてから今までのことを時系列でまとめています。 わたしがこれまでどんな景色を見て、そこから何を学んだのかを詰め込みました。ネタには困らない人生、一緒に楽しんでくれたら嬉しいです。笑

最近の記事

  • 固定された記事

はじめまして

あらためて、はじめまして。 はじめましての方もそうじゃない方もいると思いますが、Mikuと言います。 私が脳性麻痺の車いすユーザーかつソーシャルワーカーとして 主にInstagramで発信を始めて、1年と数か月が経ちました。  はじめは主に自分自身の記念と記録のために、 5年前(!)のダスキン愛の輪基金の障害者リーダー育成海外研修で行ったボストンでの日々をどこかに書いておきたくて始めたInstagramですが いつの間にかたくさんの方が私の投稿を見てくださるようになり

    • 9歳のわたしへ~大学院留学裏テーマ~

      前回の記事で、私は「障害のある子ども達が自分らしく生きられるコミュニティを創りたい」と大学院留学の動機を書いたのだけど。 実は、私が大学院進学を決めた理由はそれだけじゃない。 前途多難だと知っていても、それでも諦めきれずに大学院留学を決めた理由。 それは、「9歳の頃の自分を救う」ことにある。 あの頃の自分に「もう大丈夫」と言ってあげられるように今の自分が生きること。 なんかクサいとかスピ系?と思われるかもしれないけれど、決してそんなことはなく。笑 私自身は、結構まじめ

      ¥500
      • アメリカ大学院留学までの道のり①~大学院進学の決意~

        今年の秋から、アメリカの大学院でソーシャルワークと、特別支援教育を学ぶことになった。 すっごくシンプルにわかりやすくいうと、障害のある子どもとそのご家族を中心としたサポートについて学んできます。 (行くことを願っている)渡米はまだ少し先になるけれど、大学院に進学すると決めてから合格をもらい、さらにその先の道まで、本当にいろんなことがあって。 アメリカへの大学院留学というと、MBAとか、理系が何となく有名な気がするけれど。 私が目指すのはMSW/EdM (Master o

        • こころの絆創膏を携えて

          しばらく前、予想もしなかった方向から流れ弾が飛んできたように、とても傷ついた出来事が起きて。私の日常が、大袈裟ではなく、しばらく止まっていた感じだった。 普段から予想外のハプニングに割と囲まれて生きている私は多少のストレスには耐性があると自負していたのだけど。 人はいつ障害を負うかわからないのと同じように、人は誰でもいつでも、心だって壊すリスクやトラウマを負う可能性があるのだ、と実感した今回の出来事。 メンタルヘルスの話って、なんだか目に見える障害以上タブー視されがちだ

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        • 大学院留学体験記
          2本
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          2本

        記事

          「ルールがなければ創れば良い」

          小さい頃からの私を振り返るシリーズ第2弾。 今回は幼稚園のときのお話。 最初の私の誕生についてはこちらをどうぞ。 受け入れてくれる園がない正直、幼稚園や小学校低学年の頃の記憶はあまりないのだけれど。 ただ、私の地域の幼稚園は私立しかなく、私の両親が問い合わせた11箇所目の幼稚園でやっと受け入れてくれる園が見つかった、という話は聞いている。 当時2歳くらいの私は、おすわりができるかできないかくらいの身体能力で、常に移動やトイレ介助が必要だった。 そうやって門前払いで断

          「ルールがなければ創れば良い」

          うまれる、ということ

          私がこれまでどんな景色を見て、そこから何を学んで、私の「今」にどんな風に繋がっているのか。 そんな私の回想録をゆるゆると書いていきます。まずは命の誕生から。 誕生と、保育器の世界今から26年前、私は母のお腹に10ヶ月いることなく、この世に生まれた。 週数27週、体重960g。 当時流行っていた人形の、めるちゃんより小さかった。もちろん覚えてないけど。 早く小さく生まれた私は、生まれた時には自発呼吸がなく、生死をさまよったそう。 とりあえず早くこの世に登場しすぎてしま

          うまれる、ということ

          紡ぐ物語

          ◆ひとりの声から始まるものこんな一文から始まる文章は、JRの車いす対応の仕組みの改善を求めて私が立ち上げた署名活動のメッセージである。私のような車いすユーザーは、JRを利用する際、発車の十分前や二十分前の電車に乗れないことが日常的に起きている。その理由は、全国のJRではスロープを使う車いす利用者の案内が「降車駅に連絡がつくまで私達を電車に乗せられない」という原則ルールに則っているから。 JRの車いす対応が遅いことは車いすユーザーの間では有名なことなのだが、その結果、私達は暑い

          紡ぐ物語

          私がソーシャルワーカーになった日

          4月で、社会人2年目になった。 私は、障害のある人たちの就職をサポートする、就労支援という現場でソーシャルワーカーをしている。 カタカナが並ぶ「ソーシャルワーカー」という専門職は、日本ではまだまだ知られていないと思う。 ソーシャルワーカーのグローバル定義とか倫理綱領とか、難しい話は調べればたくさん出てくるのだけど。 要するに、ソーシャルワーカーって 「社会の中で埋もれがちな人達の声を拾い上げて、その人達と一緒に悩んで、考えて、悲しんで、喜んで、その人の隣で歩きながらいろ

          私がソーシャルワーカーになった日

          脳性麻痺の娘として

          障害のある子どもと家族支援を長年研究してきた大学の先生からそう聞いた日から 私と家族のことを何度か振り返ってきた。 悲しいような、でもどこか納得するような気持ちもありつつ、このテーマは伝え方を一歩間違えると私の家族や他のご家族を傷つけてしまうような繊細さがあるような気がして 大切な話だと分かっていながら言葉にすることができなかった。 なんなら、私が一番話すべきはずの私の家族とすら、こんな話はできない。 でも、私や私の車いすユーザー仲間が大人になるにつれて、程度の差こそあ

          脳性麻痺の娘として