友人が自殺❌本人の苦しみ❌周囲の苦しみ
私が長期入院中に友人が自殺してしまった。
彼は母国の徴兵のために帰国し、二年間の職務を全うし帰って来たばかりだった。
何故?
正直分からない。
ただ、「やっと苦しみから解放される」との遺書が残されていたそう。
中学生で親元を離れて留学した彼は、半生を欧米で過ごした。
その彼が、母国の軍隊でどのような体験をしたか、詳細は知らない。
ちょくちょくメッセージで連絡を取り合っていたが、上手くやっている印象を受けていた。
元々の性格上如何なる苦難があろうとも、決して口に出さなかったのだろうか? それも彼らしい。
あるいは、二年間の徴兵後に戻ってきた「今までの世界」は、2年前彼が一時的に離れたそれとは変わってしまっていたのだろうか? 自分だけが時間が止まったみたいに、なんて思うことが闘病中にあったり…… 違うかな?
元々、ずっと苦しんでいた彼が、軍隊で色々と実行の術を学んでしまったのだろうか?
それとも、軍とも時間とも関係ない苦しみが、彼を死へと向かわせてしまったのだろうか?
分からない。
それを初めて彼の訃報を聞いた私は、「まだ寿命じゃないのに!」という主旨の言葉を発したのではないだろうか。正直記憶が無い。
しかし、その後共通の友人と話している際に、彼女が「彼は肉体的な病気ではないけれども、精神の病気によって一種の病死をしたと考えることに帰着している」と言ったのを覚えている。
正直、自分の中でも色々考えが整理されているような、なんか爆破後の残骸が放置されているような、無理矢理布で覆ったような、まだフツフツと煮立っているような…… よく分からない心情だ。
でも、彼は自分の命を粗末にしたから自殺したのではなく、耐えきれない苦悩の挙句に苦しみから逃れる手段を取った……
それは、鬱病という病いによって現れた症状としての行動。
すると、確かにトリガーを引いたのは彼自身の手だったとしても、それは病気による病死なのかもしれない。
生と死というのは、表裏一体だ。
死に直面した時、どうにか足掻いて生にしがみつこうとする。
死を恐れ、あるいはその存在を恐れずとも、もっと長い生のために全身全霊の闘いがある。
しかし、肉体が死に直面しておらずとも、魂が死神と対峙している時もあろう。
肉体が死に喰われるのが先か、精神が死に喰われるのが先か……
もしかしたら、いずれの場合も「その時」が天命なのかもしれない。
もちろん、自死を肯定などしない。
「死んでもいいなら、怖いもの知らず」という言葉の通り、怖いもの知らずに生きて欲しい。
同時に、残された者の苦しみも考えて思い止まって欲しい。
↑これは私欲だろうか? 彼に会いたい。話しがしたい。また一緒に飯を食いたい。また……
しかし、自殺を実行に移してしまう背景は、「ただ命を粗末にしている」よりもずっと複雑なのかもしれない。
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