お看取りのための生贄

私には守秘義務がない情報ですが、以下は実際にあった事例のようです。随所で治療が上手くいかずに苦しんでいる若者世代の悲痛の叫びも含まれます。集中治療・延命治療の描写も含まれます。苦手な方は読まない方が良いかもしれません。

〜本文〜

100歳超えのご高齢の方とその主治医のお話。聞いていて、私は胸が痛みました。皆さんは苦しまないよう、しっかり周囲と話し合った方が良いです、マジで!

近日中に100%亡くなるそのご高齢の方の鼻からチューブを入れて、極々微量で全く意味のない量の栄養剤を10日程度入れた医師がいるそうな。

看護師らは、「そこまでしなくても良いのに……」と言ったそう。

私も以前、鼻からチューブを入れて栄養剤で生かされていた。思春期の活きが良い頃は「大丈夫」と強い自分を誇らしく思っていた。実際にこの治療をあらゆる医師と年単位の期間体感した実体験を伝えさせてください!

栄養剤を鼻から入れるのって痛いの!?

痛いですよ。

鼻からチューブを入れる時、コロナ検査の綿棒の何倍?何十倍?の太さのホースのようなものを、グイグイ突っ込むんです。

麻酔なしの胃カメラに似ているという想像も適切でしょう。

鼻腔内、そして鼻の中の組織をえぐるように進めるんですよ。コロナ検査が適切にやられたならば、鼻の穴に、ただ綿棒入れて終了ではなかったはずです。鼻の穴から喉の奥まで、硬いプラスチックがゴリゴリと突っ込まれます。(患者さんに入れる方もやっていました。注射よりも力入れます。)

患者(当人)の意識がある場合には、チューブを食道の奥に押し入れるタイミングで、ゴックンと意識的に飲み込むタイミングを合わせるんです。けど、実際にはこのように苦痛緩和に努める医師ばかりではありません。上手いタイミングでゴックンとできないのならば、喉の奥に指を突っ込まれて、オエッと嘔吐が誘発されるように、チューブが喉の奥を何度も何度も不快に通るんです。実際に嘔吐することもあります。進める度に、何度も嘔吐をするか、吐きそうなのを堪えることもあります。吐き気が誘発されずとも、チューブを進める度に鼻の奥の軟骨が削ぎ落とされるかのような感覚を伴うことがあります。もし、このような配慮がない場合や、苦痛は一瞬の方が良いと思う医師の場合には、力任せにグイグイ無遠慮にチューブをゴリゴリ押し込みます。入れている時も痛くて不快な上、入れ終わった後も痛みが続きましたね。きっと、組織が傷ついてしまったのでしょう。子供ながらに、そういう乱暴な医師に、「意識あるんだから、タイミング合わせてよ!」と思ったのは今でも覚えています。そして、このチューブは、入れ終わっても常に鼻の奥の軟骨と接触し続けるんです。成人用の胃までのチューブを初めて入れた時、「なんでこんなに太いのを入れたの?」と涙目で思ったのも10年以上経った今でも覚えています。鼻の奥をえぐられているような不快感や痛みは、結構激烈です。
これが、嘘偽りのない栄養剤のためのチューブ(胃管・NGチューブ・マーゲン)と呼ばれるものの体感です。(当時は、コレを入れたまま笑顔でした。いっつも笑って「面白い話して」と言っていました。子供だったし、治ると信じていました。だから、必要な処置を受け入れました。慣れって凄いですよね。私は自分を「凄い」とか「強い」と思うことで、自分をヒーローに仕立て上げ、誇りに思うことが闘病の支えになっていました。これは、治ると信じて疑わなかった時に耐えられたという側面です。全く無意味な処置だとすると、拷問ですね。実際に、このような拷問が刑務所でされていたこともあります。)

その医師は、「でもね。家族は救われたのよ。お腹を空かせて見送ることはどうしてもできなかった。ありがとう、と言ってくれた」と言う。

重症感染症や呼吸不全、臓器障害でICUに何度も入っている私の個人的な体感をもう一つ書かせていただきます。体が窮地の時に空腹感は感じないんですよ。人体は上手くできているようです。苦痛を脳が緩和して最期が迎えられるようにプログラムされているそうです。だから、身体が終焉を迎える時には空腹感も減ります。風邪の時に食欲が減った経験はありませんか? もっと深刻な病状や老衰ならば、身体はもっと食欲が減るというのは想像できそうです。

医師は「家族は救われた」と言いました。

家族は家族が愛おしいですよ。
最大限のことをしてあげたいですよ。
苦痛を減らしたいですよ。

時には、その方法に誤解があって当たり前です。

だからこそ、医療従事者は最期が近づく前に、早め早めに随所で意思確認や価値観の確認、延命治療の詳細に関する事実を散りばめ、意識合わせしておくのも意味がある行動かもしれません。

本人が本当に望んだ処置であれば、それは話が変わってきます。しかし、本人の意向が分からない中でのご家族のみの希望の場合でしたら、議論の余地はあるのではないでしょうか?

以下は、私の意見です。

けれども実際には、一番思いやっていた家族に、最期不必要な痛みと不快感を与えてしまった可能性もあります。

愛情の名の下にこれを与えたのは、医師の認識不足と説明不足ではありませんか?

家族や医師の自己満足のために、患者本人の安楽や尊厳は犠牲になったのでしょうか?

少なくとも、たったの100ccの栄養剤が肉体的には何の意味はないとその医師自身が言っています。医師には最期が栄養剤を入れずとも、空腹感を感じない安らかなもので、侵襲ある処置の方が苦しみを増幅すると知っておく義務くらいあるのではないでしょうか?

そして、それを家族が納得し、心が安らぐ形で説明できるだけの思いやりと技術も医師にも欲しい。

ちなみに、私は「医療費」が理由で社会復帰や生存に必要な治療が断られたことが何度もある。私が払う医療費ではなく、保険制度的に、病院が治療や検査をした分だけ儲けが減る日本の医療制度が故、日本各地で十分な医療が受けられない患者さんはいます。これは、特に救済制度が不十分な小児以上、介護保険未満の年代で顕著な現象です。日本の政策が医療費を目の敵のように「節約」、「節約」、と生命を犠牲にしてでも、そして若い世代に特に顕著にその制約が重くのしかかる背景には、たしかに実は誰も求めていないけれども、誤解が故に良しとされる医療による浪費もあることででょう。

それは、日本でご家族の機嫌取りのために、無知や苦痛を肯定する医師らによって施される延命治療という名の下に、患者が時に望まず、むしろ苦痛を増す処置を肯定する(否定しない)行動からくる財政圧迫も大きな要因だと言われています。

高齢になったからといって、迫害したり、必要で意味ある医療を取り上げるのは間違っていると思います。

けれども、医療従事者が苦痛も需要も理解し、苦しみ哀しむ家族に安らかなオプションを肯定的に説明するのは重要ではないでしょうか?

そして、患者本人や若者を生贄にする、誤解が故に求められる苦しい延命治療を今一度きちんと議論するのはどうでしょう?

医療はケースバイケースです!!
本文と一見逆に思われるかもしれませんが、「最期だけども栄養剤がむしろ救い」になる方もいるかもしれません。一方で、そうじゃない方もいるかもしれません。

最期や延命治療の希望について話す際、「日本人はそういう話題をタブー視しているから」あまり話さない文化なのです、と言う方々も結構います。こうやって、逃げているだけでは、一律に不当な延命や延命拒否が行政に決定されてしまう可能性もありますよ。

それは、患者本人も患者家族も、そして医療従事者も苦しめるのではないでしょうか?

私はこの文で「延命処置は全て非道」と言いたくはないです。一方で、「全例で延命処置を肯定」という考えでもありません。

医療は本来一人ひとりの患者に寄り添った、テイラーメイドのものです。その人や家族にとっての最善を追求しながら、大きな社会的生贄を生産しないやり方で、そして生きて有意義な時間を過ごせる人々の生命や人生を犠牲に延命処置に財源を回さないやり方で、各々にとってベストを追求するのはどうでしょう?

その際、誤解がもしあるのならば、それを解くのも医療従事者の仕事の一部かとも思います。(ただ、最先端医療や世界的なエビデンスに関しては、英語力や熱意に欠ける方々が「エビデンスはない」と推奨される治療を知らないだけで否定したり、忙しくて面倒だと否定したりして、やらずに逃げおおせようとする場合も無きにしもあらずな印象です。患者や患者家族は、必要な医療を時には闘ってでも勝ち取るディベート・文献収集力を身につけることは、プラスになる場合もあるかもしれません。)

今を大切に生きよう!

保険制度が今のものに変わる前の私の闘病エッセイは↓↓


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