生きる支え❌️信念
私は闘病中もボランティアをしているが、就労して収入を得て経済を回しているわけではない。(元々は医師として人様の役に立てていたと思いたい。今も形を変えて役に立てていることを願う。)
医療の恩恵を受けている以上、医療費の社会的負担を意識し、感謝している。(補足:世帯で累計数億円?数十億円?税金を納めた(納めている)ので、100年間今の医療を受けても、100年以上年金をもらっても、国が黒字(私達が赤字)で他の日本人の財源を減らすことはないくらい税金を納めはした。今も税金を納めている。)
同時に、私の生存と、尊厳のために投資していただいている身分である以上、やはり自分なりの社会貢献はしたい。
そして、身体的状況が厳しく、生きるために他者の助けが必要であればあるほど、自分の生きる価値を意識する。
生かしていただいている以上、私のこの命と人生は自分だけのためではなく周囲の人々にも、社会にとってもプラスになって欲しいと切に願う。
これは、就労と収入という誰の目にも一目瞭然の数値的経済貢献ではないからこそ、自分でなければできないプラスのことをしたいと切に願う。
すると、私と会った人が「こんなに頑張ってる人もいるから、私も頑張ろう😄」とか「この人に会えてよかった」とか「元気をもらった」とか「良いアイディアをもらった」とか「活力になる」とか、目の前の人にプラスに思ってもらい、その人の人生にプラスになれる存在であることを目指している。
生き甲斐というか、自分の生存意義というかを「接触してプラスになる存在」となることを目指すことで、お金とは違う形で社会貢献したいと願っている。
同時に、やはり厳しい体調の中でも前向きに生きるための心の支えが、「会って何か良いことが生まれる存在である」ということでもある。
「生きているだけで良いのよ」と生を肯定的に捉えて、生をとことん尊重して優先する社会ならば、どんなに良いか。
けど、無条件に全員の生存が常に肯定されるわけではないとすると……
いや、社会や思想は関係ないかな?
私は私がこの世に生まれてきてよかった存在であり、私が存在したからこそ何か良いことが生まれ、私が生き続けることで私にも身近な人々にも、そしてもっと大きな地域・国・世界にも、そして人類史にも(実名が残るか否かはさておき)プラスに貢献したいと願う。
だから、自分にできることはボランティアでも執筆でも、プラスに働く何かを行いたい。
そして、「会えてよかった」と思える前向きで楽しい存在であり続けたいとも思っている。
今を大切に生きよう!
ぜひサポートよろしくお願いします。 ・治療費 ・学費 等 に使用し、より良い未来の構築に全力で取り組みます。