健忘録20 【抜糸までの道のり】
何回目の手術だったっけ?
夏休みに受けた手術は、合併症で退院が大幅に遅れた。
術後、、車椅子に座ってトイレに行く時、割れるような頭痛に見舞われた。
トイレに到着すると、便器に向かって嘔吐した。
あ〜、これって髄圧低下の典型的症状っぽいなぁ。
割れるような頭痛と嘔気に耐えて、用をたして、ベッドに戻る。
ベッドに倒れ込むように移動して、横になる。
気がつくと、頭痛が消えてる。
私の心の声「うわ〜、低髄圧っぽいんじゃない? いやでも、夏だし脱水かな?」
「術後翌日だし、こんなこともあるか?予定よりも多く髄液漏れたのかな?」
病院といえど、歴史的なその建物には、冷房はなく、二人部屋は窓を全開にして対応している。
そこまで暑くは感じないものの、夏だとは感じる。
脱水が脳裏を過った私は、病棟共通の団らん室へ行き、テーブルの塩を自身の水ボトルに結構沢山注ぎ込んだ。
保水するならば、塩を入れた方が効率的だ。
その塩水を一気に飲み干して少ししたら、頭痛はむしろ増した。
え!?
私の心の声「水は塩と一緒に動く。」
私の心の声「しまった!塩を入れすぎて、血液のNaだけが上昇したのか?」
私の心の声「すると、 血液くも膜関門から髄液が血中に再吸収されるが、血中のNa濃度が急上昇すると、これが促進することはあるのか?」(まだ、一回生なので、未熟さは温かく見守ってください。)
私の心の声「いずれにしても、脱水ならば、血中の水分量が塩水で増加すれば、補正されるはずだ。おかしい。」
私の心の声「頭痛の発現状況といい、嘔気の出現のしかたといい、低水圧症候群っぽさがあまりにも強い。加えて、脳外科で手術を受けたばかりだから、そうなる条件は揃っている…… シャント?」
やはり、私は髄液漏れを強く疑う。
しかし、手術の翌日の夏日に言っても、脱水だろうと相手にされない。(しょうがない? 自分も、一目瞭然の客観的な証拠不十分で説得力に欠けることは分かる。)
その後、翌日も、翌々日も頭痛は座って車椅子で移動すると出現する。
リハビリは、日増しに活動許容域が低下する。
腹部は来る日も来る日も腫脹が増す。
私は、髄液が漏れていると確信する。
しかし、一目瞭然な客観的指標にはまだ欠けている。
まだ、説得力に欠ける。
いつも大部屋ではすっごく良い人と相部屋になり、直ぐにとても親しくなれるのは非常に幸運だ。
その人が毎日5〜7リットルの水を汲んでくれたおかげで、ガンガンに水分補給ができた。
毎日500mlx3程度の産生される髄液は大量の飲水で増えることはあるのだろうか?
兎にも角にも、脱水が頭痛の原因として否定できるのは誰の目にも明らかだ。
ということで、異常に腫れた腹部と、頭痛で歯磨き中も座っていられない状態で当直医が夕方の回診に訪れた。
私が気切(首の穴)がある状態で生活しているのは、どうやら病棟で周知されていたよう。
車椅子の取手に頭をもたれて、座位を避けながら歯磨きをしている私は、口いっぱいに歯磨き粉と唾液を含んでアンパンマンのように口を膨らませている。
その状態の私に、当直医は体調はどうか訪ねた。
口を開けたら、その場に唾液が溢れる状況のため、喋れない……
そもそも当直医は、気道に穴が開いている私は、元々声が出せないと思っているのかもしれない。
車椅子の取手にもたれた頭を上げると、頭痛がするのは、経験的に分かっていた。
大きく腫れた腹部は、術後の漿液だけでは説明が付かないだろうことは、看護師らが気が付き始めていた。
水を今まではせいぜい日に1Lから2L(リットル)しか飲んでいなかったにも関わらず、今は5Lから7L飲んでも起きてる時だけ頭痛と嘔気に見舞われることは申告していた。
これが、ただの脱水じゃないのは、否定のしようがない事実だった。
期は熟した。
私の元に訪れた当直医に、筆談で切り出した。
「エコーをお願いできますか?」
上記の状況や症状を私が全てを紙に書き出すのをじっくり待ってくれて、翌日腹部エコーを入れてくれると約束してくれた。
エコーをしたのは放射線科医(誰がエコーを当て、それを診るかは国によって大きく異なる。当然、状況でも異なる。)
病理医は、エコーを当てた瞬間に青ざめた。
病理医「これは、漿液ではない❗」
病理医「今直ぐこの場で貯留液を抜き、病理に回して診断をつける必要性がある」との説明がされた。
私の心の声「やっぱりね。これ、髄液で間違いないな。」
自覚的には、これ以上皮膚が伸びてないだろうというくらいに引き伸ばされた腹部は、膨らむ速度が緩んでいた。
圧の上昇からか、頭痛の悪化速度も腹部の膨らむ速度の低下と比例し、マシになっていた。
病理医は、この腹部の液体がただならぬ状況だと100%理解している。
この人にこの状況でなら通じるだろうし、言わなければ液を穿刺後、急速に髄圧が低下して脳幹ヘルニアという発想も脳裏を過る。(まだ医学部1回生のペイペイの基礎しか知らないはずのガキ学生なのは、一応言い添えておこう。これは、当時の思考を記録している。専門医がおられたら、若き学生の思考を温かく見守って欲しい。)
何日前に他院で脳外科手術を受け、療養目的で本院に転院したこと。
そのカテーテルの先が、ちょうど液体貯留している所にあること。
座った時や歩行した際に頭痛が出現し、それでも行動を続けると悪化すること。
その際に嘔気や嘔吐を伴うこと。
ベッドをフラットにしてしばらく横になっていると、症状は消失すること。
これらを述べた上で、
「腹部の液体貯留している部分は現在高圧になり、髄液の流出がその圧によってコントロールされている可能性があり、穿刺によって開放した際には一気に圧が低下する可能性があるのではないだろうか?」
「すると、一気に髄液がフリースペースにとめどなく流出してしまう危険はあるだろうか?」
「本来無菌なはずの髄腔内と非無菌の外とを交流させてしまった場合、感染リスクはどれくらいになるだろうか?」
これらを一気に病理医に告げ、尋ねた。
病理医は、直ちに入院中の病棟に電話をかけた。
電話はかなり熱を帯びたディスカッションになった。
病理医はことの重大性について、病棟の医師らを強く説得し、一歩も譲らなかった。
時には、眼の前の患者のために同僚と闘ってくれるのは、本当に心強い。
私は、手術をした病院に緊急搬送され、同日緊急手術になった。
運良く、当番医は私の手術に助手として入った、熱意と向上意欲の強い外科研修医(日本で言うところの専攻医)だった。(本当、当直体制の時の運の良さは世界一だと思う。)
彼は、術前検査をしてくれた医師でもあったので、状況は誰よりも把握していた。
緊急オペに入ってくれた麻酔科医は、初回の手術の習熟した経験豊富な医師とは違う医師だった。
しかし、幸い全てが順調に行った。
手術で抜いた腹部に貯留していた液体は病理に出した。やはり髄液だった。
その量はなんと、4Lだか5Lだかを優に超えていた。
見事に2パックをに並々と満たしている。(よく耐えたなぁ。そして、よく生きてんなぁ。)
その晩は手術をした病院に一泊し、合併症がないことを確認した後に、元々療養していた病院に搬送されて、戻っていった。
本当、手術から研修までの期間を約一ヶ月設けていて、本当に良かった。
しかし、抜針まで入院していたら、研修開始に間に合わない。
ということで、早めに退院させてもらえるようにお願いした。
まぁ、合併症自体は……
実はミスが原因だったとはいえ、結果的には長期的ダメージは皆無でことなきを終えた。
出血がコントロールできずに、テンパる。
ポカをする。
勘違いがある。
誰にでもありえることじゃないですか。
大したことじゃない。(何も大事には至ってないからね。)
まぁ、ついでに私は診断力も磨けて、結構良い経験になった。
抜糸は?
わざわざ、療養していた結構遠くの病院に行くのも大変だし、研修も始まってしまった。
何食わぬ顔で研修に参加していた私は、しょうがないから近所のクリニックに電話してみた。
「ちょっと縫ったのだが、抜糸だけ必要で、抜針用のキットも手元にある。抜糸(ステープラーの針を抜く)だけ、清潔な環境でお願いすることはできるだろうか?」
近医で抜糸をしてもらえることになった。
現れた私は、大きな手術でしか付きようがない傷をさらっとだし、何食わぬ顔では抜糸だけお願いした。
今でも、当時の近医の、目が飛び出さんばかりの表情は記憶に新しい。
クルクルのテンパのキレイな短い茶髪の彼女は、髪の色と同じ色の1cmくらいの若干大きめ瞳を倍くらいに大きく開眼した。
緊張感が増し、口角は下がった。
顔色も若干だけ色が引いた。
医師「ここはクリニックで、手術の対応は出来ない。」
私「大丈夫。ただの縫合跡で、抜糸自体は手術でも何でもない。自宅でもできるが、清潔な環境でやってもらえると凄くありがたい。」と伝えた。(無茶するね~)
当然、何が原因で、どういう経緯でこのような縫合跡ができたのか聞かれた。
なんて答えたんだっけ?
何はともあれ、近医は責任は取れないと言いつつも、抜糸してくれた。(優しいね〜💕)
私は自分の素性を説明し、抜糸の一部をやらせてもらった。(神対応✨)
通勤途中にサクッと抜糸できただけではなく、貴重な経験値も増えた。
終わりよければ全て良し。
ま、色々と上手くいったとさ。
今を大切に生きよう!