藪🚾【幼少期頃・日常の怪我健忘録】
私は子供の頃から人の100倍活発で、とにかく走り回るのが大好きだった。
スポーツも好きだし、友達との鬼ごっこ(&木から木に移って、地面に足が着いたら負けの木登り鬼ごっこ)や探検、虫取りも大好きだった。山も森も海も裏庭のようで、いつも駆けずり回っていた。そのためか、打ち身だらけ、擦り傷だらけが当たり前の子供時代を過ごした。(けど、多くは気が付いたら傷ができていたといった感じ。シリーズ?最後、なんでほぼどんな傷でも「絆創膏貼っとけば大丈夫」という思考回路が発達したのかが分かるかも。)
ある日、学校行事でアトラクションプール的な場所へ行った帰り、トイレに入ろうと待っているが、一向に誰も出てこない😭
バスの長旅で、膀胱は破裂寸前だ。
友達も一緒にトイレ前で待って立ち話で気を紛らわしつつ時間潰しをしてくれている。が、私はもう我慢の限界を超える寸前に来ている。面に出さないように頑張っているが、冷や汗というか、夏で暑いしトイレに入る待ちで体中から汗が吹き出す。正直、内心こんなことは無理だと分かったていても、尿も逆代謝されて、汗として体外に流れ出て蒸発して消し飛んでもらいたいくらいに感じる切迫感。
一人だったら、さっさとトイレなんぞ後にして、隠れて藪で用を足したい……
田舎は、自然が豊富でありがたい。
ただ、12、3歳で友達の前、それもわりと新しい異性の友達と一緒にいる。(気があるわけじゃないにせよ、なんか「裏山でオシッコしてくる、じゃぁ」とは言いづらい🤣😅)
果さて、どうしようか……
しかし、待てど暮らせど、どうしても一つしかないトイレ個室からは誰も出てこない😭(普段は誰も入らない上、皆サクサク出てくるのに!!!)
これには、困り果てた。
Tシャツに薄手のジージャンを羽織ってる私は、もう本当に我慢の限界を超えて、友達になんか言って(もうなんて言ったかも覚えていない)
しょうがないから、一目散に代替トイレか藪を見つけるために、全力疾走でとにかく消えた。
もう、焦っているし、急いでいるし、無敵の年齢。
自然などお構いなしに、颯爽?というか、野獣のように枝も木も藪も無視して直線で突っ走った。まさに、猪突猛進とはこのことだ🤣
なんか、色々飛び越えて、「走れメロス」のように、命がけかのように懸命に最速で突っ走った。
どっかの藪を飛び越えた拍子に、ジージャンが木の枝に引っかかって裂けてしまった。ビリッ!という音に、ジージャンが切れてしまったことに気がつき、悲しみは一瞬感じつつも、感傷に浸る余力も時間もない💦 この時、ついでに腕まで避けたことには気が付かず、全力疾走で本当にありとあらゆる場所を飛び超えて、安息の地を探し求めた。
結局、この時はどうにかなった。
ホッ😸
アドレナリンラッシュが過ぎて、「ア〜😭 お気に入りのジージャン切れちゃってショック〜」と思いながら、よく見ずにJの字に切れたジージャンの腕を触った。すると、なんか手がヌメッと濡れて、見たら血が出てる。
ア……
とはいえ、自然界の奥深くにたどり着いていた私。
とりあえず、腕を抑えて止血しつつ、人間界へと歩いて戻って行ったとさ。
家に到着した時には、ジージャンの袖は切れている。とはいえ、短髪で元々が清潔感ある青少年風🤣 ターザンほどワイルドにはならずに帰宅した。
母には、ジージャンが切れてしまった経緯を伝えて、ガッカリしていたと思う。
その時、「いつも大切に着ているから、守ってくれたんだよ」と元気づけてくれた。「ジージャンが枝を緩衝し、接触幅を減らしてくれていなかったら、もっと深い傷になって大変だったよ、守ってもらえてよかったね」といったいった感じの言葉が続いた。他にも、色々このジージャンを擬人化した表現で慰めてくれつつ、元気が出て、ジージャンが切れた悲しみよりもジージャンへの感謝の感情が膨らんだ。
「きっと、一生忘れないから、ジージャンも喜んでくれているよ」という締めの通り、私はこの日の出来事とこの時のジージャンを一生忘れないだろう。ジージャンちゃん、ありがとうね😊😉(そして、こういう温かい言葉をいつもかけてくれる母にも感謝だ😄)
その後、数年は数cm程度の斜めの傷痕が左腕にくっきり残っていた。まぁ、ちょっとカッコいいじゃん、ということで、実は傷はあんまり気にせず日常を送リ続けた😄 たまに、切れたジージャンも着て、やっぱりどんな姿でもお気に入りはずっとお気に入りであり続けた。その時は、こういう裂け目も切れスタイルがあるから、いいか、とね。
まぁ、切れちゃったものはしょうがない。むしろ、いくつか切れ目を増やして、新しいルックスに変貌させる方法もあるかもね〜🤣 (その時はこうはしなかったとはいえ、こういうのも一案だろう。案外、思い入れが深いと、服を切っちゃうの可哀想という、服への同情が生まれる性格の私。)
今を大切に生きよう!