第15帖 蓬生(よもぎふ)
内容
第1章 孤独
源氏が須磨、明石に漂泊っていたころは、京のほうにも悲しく思い暮らす人の多数にあった中でも、しかとした立場を持っている人は、苦しい一面はあっても、たとえば二条の夫人などは、源氏が旅での生活の様子もかなりくわしく通信されていたし、便宜が多くて手紙を書いて出すこともよくできたし、当時無官になっていた源氏の無紋の衣裳も季節に従って仕立てて送るような慰みもあった。真実悲しい境遇に落ちた人というのは、源氏が京を出発した際のこともよそに想像するだけであった女性たち、無視して行かれた恋人たちがそれであった。常陸の宮の末摘花は、父君がおかくれになってから、だれも保護する人のない心細い境遇であったのを、思いがけず生じた源氏との関係から、それ以来物質的に補助されることになって、源氏の富からいえば物の数でもない情けをかけていたにすぎないのであったが、受けるほうの貧しい女王一家のためには、盥へ星が映ってきたほどの望外の幸福になって、生活苦から救われて幾年かを来たのであるが、あの事変後の源氏は、いっさい世の中がいやになって、恋愛というほどのものでもなかった女性との関係は心から消しもし、消えもしたふうで、遠くへ立ってからははるばると手紙を送るようなこともしなかった。まだ源氏から恵まれた物があってしばらくは泣く泣くも前の生活を続けることができたのであるが、次の年になり、また次の年になりするうちにはまったく底なしの貧しい身の上になってしまった。古くからいた女房たちなどは、
「ほんとうに運の悪い方ですよ。思いがけなく神か仏の出現なすったような親切をお見せになる方ができて、人というものはどこに幸運があるかわからないなどと、私たちはありがたく思ったのですがね、人生というものは移り変わりがあるものだといっても、またまたこんな頼りない御身分になっておしまいになるって、悲しゅうございますね、世の中は」
と歎くのであった。昔は長い貧しい生活に慣れてしまって、だれにもあきらめができていたのであるが、中で一度源氏の保護が加わって、世間並みの暮らしができたことによって、今の苦痛はいっそう烈しいものに感ぜられた。よかった時代に昔から縁故のある女房ははじめてここに皆居つくことにもなって、数が多くなっていたのも、またちりぢりにほかへ行ってしまった。そしてまた老衰して死ぬ女もあって、月日とともに上から下まで召使の数が少なくなっていく。もとから荒廃していた邸はいっそう狐の巣のようになった。気味悪く大きくなった木立ちになく梟の声を毎日邸の人は聞いていた。人が多ければそうしたものは影も見せない木精などという怪しいものも次第に形を顕わしてきたりする不快なことが数しらずあるのである。まだ少しばかり残っている女房は、
「これではしようがございません。近ごろは地方官などがよい邸を自慢に造りますが、こちらのお庭の木などに目をつけて、お売りになりませんかなどと近所の者から言わせてまいりますが、そうあそばして、こんな怖しい所はお捨てになってほかへお移りなさいましよ。いつまでも残っております私たちだってたまりませんから」
などと女主人に勧めるのであったが、
「そんなことをしてはたいへんよ。世間体もあります。私が生きている間は邸を人手に渡すなどということはできるものでない。こんなに恐い気がするほど荒れていても、お父様の魂が残っていると思う点で、私はあちこちをながめても心が慰むのだからね」
女王は泣きながらこう言って、女房たちの進言を思いも寄らぬことにしていた。手道具なども昔の品の使い慣らしたりっぱな物のあるのを、生物識りの骨董好きの人が、だれに製作させた物、某の傑作があると聞いて、譲り受けたいと、想像のできる貧乏さを軽蔑して申し込んでくるのを、例のように女房たちは、
「しかたのないことでございますよ。困れば道具をお手放しになるのは」
と言って、それを金にかえて目前の窮迫から救われようとする時があると、末摘花は頑強にそれを拒む。
「私が見るようにと思って作らせておいてくだすったに違いないのだから、それをつまらない家の装飾品になどさせてよいわけはない。お父様のお心持ちを無視することになるからね、お父様がおかわいそうだ」
ただ少しの助力でもしようとする人をも持たない女王であった。兄の禅師だけは稀に山から京へ出た時に訪ねて来るが、その人も昔風な人で、同じ僧といっても生活する能力が全然ない、脱俗したとほめて言えば言えるような男であったから、庭の雑草を払わせればきれいになるものとも気がつかない。浅茅は庭の表も見えぬほど茂って、蓬は軒の高さに達するほど、葎は西門、東門を閉じてしまったというと用心がよくなったようにも聞こえるが、くずれた土塀は牛や馬が踏みならしてしまい、春夏には無礼な牧童が放牧をしに来た。八月に野分の風が強かった年以来廊などは倒れたままになり、下屋の板葺きの建物のほうはわずかに骨が残っているだけ、下男などのそこにとどまっている者はない。廚の煙が立たないでなお生きた人が住んでいるという悲しい邸である。盗人というようながむしゃらな連中も外見の貧弱さに愛想をつかせて、ここだけは素通りにしてやって来なかったから、こんな野良藪のような邸の中で、寝殿だけは昔通りの飾りつけがしてあった。しかしきれいに掃除をしようとするような心がけの人もない。埃は積もってもあるべき物の数だけはそろった座敷に末摘花は暮らしていた。古い歌集を読んだり、小説を見たりすることでつれづれが慰められることにもなるし、物質的に不足の多い境遇も忍んで行けるのであるが、末摘花はそんな趣味も持っていない。それは必ずしもよいことではないが、暇な女性の間で友情を盛った手紙を書きかわすことなどは、多感な年ごろではそれによって自然の見方も深くなっていき、木や草にも慰められることにもなるが、この女王は父宮が大事にお扱いになった時と同じ心持ちでいて、普通の人との交際はいっさい避けて友人を持っていないのである。親戚関係があっても親しもうとせず、好意を寄せようとしない態度は手紙を書かぬ所にうかがわれもするのである。古くさい書物棚から、唐守、藐姑射の刀自、赫耶姫物語などを絵に描いた物を引き出して退屈しのぎにしていた。古歌などもよい作を選って、端書きも作者の名も書き抜いて置いて見るのがおもしろいのであるが、この人は古紙屋紙とか、檀紙とかの湿り気を含んで厚くなった物などへ、だれもの知っている新味などは微塵もないようなものの書き抜いてしまってあるのを、物思いのつのった時などには出して拡げていた。今の婦人がだれもするように経を読んだり仏勤めをしたりすることは生意気だと思うのかだれも見る人はないのであるが、数珠を持つようなことは絶対にない。こんなふうに末摘花は古典的であった。
侍従という乳母の娘などは、主家を離れないで残っている女房の一人であったが、以前から半分ずつは勤めに出ていた斎院がお亡くれになってからは、侍従もしかたなしに女王の母君の妹で、その人だけが身分違いの地方官の妻になっている人があって、娘をかしずいて、若いよい女房を幾人でもほしがる家へ、そこは死んだ母もおりふし行っていた所であるからと思って、時々そこへ行って勤めていた。末摘花は人に親しめない性格であったから、叔母ともあまり交際をしなかった。
「お姉様は私を軽蔑なすって、私のいることを不名誉にしていらっしゃったから、姫君が気の毒な一人ぼっちでも私は世話をしてあげないのだよ」
などという悪態口も侍従に聞かせながら、時々侍従に手紙を持たせてよこした。初めから地方官級の家に生まれた人は、貴族をまねて、思想的にも思い上がった人になっている者も多いのに、この夫人は貴族の出でありながら、下の階級へはいって行く運命を生まれながらに持っていたものか、卑しい性格の叔母君であった。自身が、家門の顔汚しのように思われていた昔の腹いせに、常陸の宮の女王を自身の娘たちの女房にしてやりたい、昔風なところはあるが気だてのよい後見役ができるであろうとこんなことを思って、
時々私の宅へもおいでくだすったらいかがですか。あなたのお琴の音も伺いたがる娘たちもおります。
と言って来た。これを実現させようと叔母は侍従にも促すのであるが、末摘花は負けじ魂からではなく、ただ恥ずかしくきまりが悪いために、叔母の招待に応じようとしないのを、叔母のほうではくやしく思っていた。そのうちに叔母の良人が九州の大弐に任命された。娘たちをそれぞれ結婚させておいて、夫婦で任地へ立とうとする時にもまだ叔母は女王を伴って行きたがって、
「遠方へ行くことになりますと、あなたが心細い暮らしをしておいでになるのを捨てておくことが気になってなりません。ただ今までもお構いはしませんでしたが、近い所にいるうちはいつでもお力になれる自信がありましたので」
と体裁よく言づてて誘いかけるのも、女王が聞き入れないから、
「まあ憎らしい。いばっていらっしゃる。自分だけはえらいつもりでも、あの藪の中の人を大将さんだって奥様らしくは扱ってくださらないだろう」
と言ってののしった。
第2章 離京
そのうちに源氏宥免の宣旨が下り、帰京の段になると、忠実に待っていた志操の堅さをだれよりも先に認められようとする男女に、それぞれ有形無形の代償を喜んで源氏の払った時期にも、末摘花だけは思い出されることもなくて幾月かがそのうちたった。もう何の望みもかけられない。長い間不幸な境遇に落ちていた源氏のために、その勢力が宮廷に復活する日があるようにと念じ暮らしたものであるのに、賤しい階級の人でさえも源氏の再び得た輝かしい地位を喜んでいる時にも、ただよそのこととして聞いていねばならぬ自分でなければならなかったか、源氏が京から追われた時には自分一人の不幸のように悲しんだが、この世はこんな不公平なものであるのかと思って末摘花は恨めしく苦しく切なく一人で泣いてばかりいた。
大弐の夫人は、私の言ったとおりじゃないか。どうしてあんな見る影もない人を源氏の君が奥様の一人だとお思いになるものかね、仏様だって罪の軽い者ほどよく導いてくださるのだ。手もつけられないほどの貧乏女でいて、いばっていて、宮様や奥さんのいらっしゃった時と同じように思い上がっているのだから始末が悪いなどと思っていっそう軽蔑的に末摘花を見た。
「ぜひ決心をして九州へおいでなさい。世の中が悲しくなる時には、人は進んでも旅へ出るではありませんか。田舎とはいやな所のようにお思いになるかしりませんが、私は受け合ってあなたを楽しくさせます」
口前よく熱心に同行を促すと、貧乏に飽いた女房などは、
「そうなればいいのに、何のたのむ所もない方が、どうしてまた意地をお張りになるのだろう」
と言って、末摘花を批難した。侍従も大弐の甥のような男の愛人になっていて、京へ残ることもできない立場から、その意志でもなく女王のもとを去って九州行きをすることになっていた。
「京へお置きして参ることは気がかりでなりませんからいらっしゃいませ」
と誘うのであるが、女王の心はなお忘れられた形になっている源氏を頼みにしていた。どんなに時がたっても自分の思い出される機会のないわけはない、あれほど堅い誓いを自分にしてくれた人の心は変わっていないはずであるが、自分の運の悪いために捨てられたとも人からは見られるようなことになっているのであろう、風の便りででも自分の哀れな生活が源氏の耳にはいればきっと救ってくれるに違いないと、これはずっと以前から女王の信じているところであって、邸も家も昔に倍した荒廃のしかたではあるが、部屋の中の道具類をそこばくの金に変えていくようなことは、源氏の来た時に不都合であるからと忍耐を続けているのである。気をめいらせて泣いている時のほうが多い末摘花の顔は、一つの木の実だけを大事に顔に当てて持っている仙人とも言ってよい奇怪な物に見えて、異性の興味を惹く価値などはない。気の毒であるからくわしい描写はしないことにする。
冬にはいればはいるほど頼りなさはひどくなって、悲しく物思いばかりして暮らす女王だった。源氏のほうでは故院のための盛んな八講を催して、世間がそれに湧き立っていた。僧などは平凡な者を呼ばずに学問と徳行のすぐれたのを選んで招じたその物事に、女王の兄の禅師も出た帰りに妹君を訪ねて来た。
「源大納言さんの八講に行ったのです。たいへんな準備でね、この世の浄土のように法要の場所はできていましたよ。音楽も舞楽もたいしたものでしたよ。あの方はきっと仏様の化身だろう、五濁の世にどうして生まれておいでになったろう」
こんな話をして禅師はすぐに帰った。普通の兄弟のようには話し合わない二人であるから、生活苦も末摘花は訴えることができないのである。それにしてもこの不幸なみじめな女を捨てて置くというのは、情けない仏様であると末摘花は恨めしかった。こんな気のした時から、自分はもう顧みられる望みがないのだろうとようやく思うようになった。
そんなころであるが大弐の夫人が突然訪ねて来た。平生はそれほど親密にはしていないのであるが、つれて行きたい心から、作った女王の衣裳なども持って、よい車に乗って来た得意な顔の夫人がにわかに常陸の宮邸へ現われたのである。門をあけさせている時から目にはいってくるものは荒廃そのもののような寂しい庭であった。門の扉も安定がなくなっていて倒れたのを、供の者が立て直したりする騒ぎである。この草の中にもどこかに三つだけの道はついているはずであると皆が捜した。そしてやっと建物の南向きの縁の所へ車を着けた。
きまりの悪い迷惑なことと思いながら女王は侍従を応接に出した。煤けた几帳を押し出しながら侍従は客と対したのである。容貌は以前に比べてよほど衰えていた。しかしやつれながらもきれいで、女王の顔に代えたい気がする。
「もう出発しなければならないのですが、こちらのことが気がかりなものですから、今日は侍従の迎えがてらお訪ねしました。私の好意をくんでくださらないで、御自分がちょっとでも来てくださることを御承知にならないことはやむをえませんが、せめて侍従だけをよこしていただくお許しをいただきに来たのです。まあお気の毒なふうで暮らしていらっしゃるのですね」
こう言ったのであるから、続いて泣いてみせねばならないのであるが、実は大弐夫人は九州の長官夫人になって出発して行く希望に燃えているのである。
「宮様がおいでになったころ、私の結婚相手が悪いからって、交際するのをおきらいになったものですから、私らもついかけ離れた冷淡なふうになっていましたものの、それからもこちら様は源氏の大将さんなどと御結婚をなさるような御幸運でいらっしゃいましたから、晴れがましくてお出入りもしにくかったのです。しかし人間世界は幸福なことばかりもありませんからね、その中でわれわれ階級の者がかえって気楽なんですよ。及びもない懸隔のあるお家でしたが、こちらはお気の毒なことになってしまいまして、私も心配なんですが、近くにおりますうちは、何かの場合に力にもなれると思っていましたものの、遠い所へ出て行くことになりますと、とてもあなたのことが気になってなりません」
と夫人は言うのであるが、女王は心の動いたふうもなかった。
「御好意はうれしいのですが、人並みの人にもなれない私はこのままここで死んで行くのが何よりもよく似合うことだろうと思います」
とだけ末摘花は言う。
「それはそうお思いになるのはごもっともですが、生きている人間であって、こんなひどい場所に住んでいるのなどはほかにめったにないでしょう。大将さんが修繕をしてくだすったら、またもう一度玉の台にもなるでしょうと期待されますがね。近ごろはどうしたことでしょう、兵部卿の宮の姫君のほかはだれも嫌いになっておしまいになったふうですね。昔から恋愛関係をたくさん持っていらっしゃった方でしたが、それも皆清算しておしまいになりましたってね。ましてこんなみじめな生き方をしていらっしゃる人を、操を立てて自分を待っていてくれたかと受け入れてくださることはむずかしいでしょうね」
こんなよけいなことまで言われてみると、そうであるかもしれないと末摘花は悲しく泣き入ってしまった。しかも九州行きを肯うふうは微塵もない。夫人はいろいろと誘惑を試みたあとで、
「では侍従だけでも」
と日の暮れていくのを見てせきたてた。侍従は名残を惜しむ間もなくて、泣く泣く女王に、
「それでは、今日はあんなにおっしゃいますから、お送りにだけついてまいります。あちらがああおっしゃるのももっともですし、あなた様が行きたく思召さないのも御無理だとは思われませんし、私は中に立ってつらくてなりませんから」
と言う。この人までも女王を捨てて行こうとするのを、恨めしくも悲しくも末摘花は思うのであるが、引き止めようもなくてただ泣くばかりであった。形見に与えたい衣服も皆悪くなっていて長い間のこの人の好意に酬いる物がなくて、末摘花は自身の抜け毛を集めて鬘にした九尺ぐらいの髪の美しいのを、雅味のある箱に入れて、昔のよい薫香一壺をそれにつけて侍従へ贈った。
「絶ゆまじきすぢを頼みし玉かづら思ひのほかにかけ離れぬる
(絶えるはずのない間柄だと信頼していましたが、思いのほかに遠くへ行ってしまわれるのですね)
死んだ乳母が遺言したこともあるからね、つまらない私だけれど一生あなたの世話をしたいと思っていた。あなたが捨ててしまうのももっともだけれど、だれがあなたの代わりになって私を慰めてくれる者があると思って立って行くのだろうと思うと恨めしいのよ」
と言って、女王は非常に泣いた。侍従も涙でものが言えないほどになっていた。
「乳母が申し上げましたことはむろんでございますが、そのほかにもごいっしょに長い間苦労をしてまいりましたのに、思いがけない縁に引かれて、しかも遠方へまで行ってしまいますとは」
と言って、また、
「玉かづら絶えてもやまじ行く道のたむけの神もかけて誓はん
(お別れしても見捨てはしません。道々の道祖神にかたく誓いましょう)
命のございます間はあなた様に誠意をお見せします」
などとも言う。
「侍従はどうしました。暗くなりましたよ」
と大弐夫人に小言を言われて、侍従は夢中で車に乗ってしまった。そしてあとばかりが顧みられた。困りながらも長い間離れて行かなかった人が、こんなふうにして別れて行ったことで、女王はますます心細くなった。だれも雇い手のないような老いた女房までが、
「もっともですよ。どうしてこのままいられるものですか。私たちだってもう我慢ができませんよ」
こんなことを言って、ほかへ勤める手蔓を捜し始めて、ここを出る決心をしたらしいことを言い合うのを聞くことも末摘花の身にはつらいことであった。十一月になると雪や霙の日が多くなって、ほかの所では消えている間があっても、ここでは丈の高い枯れた雑草の蔭などに深く積もったものは量が高くなるばかりで越の白山をそこに置いた気がする庭を、今はもうだれ一人出入りする下男もなかった。こんな中につれづれな日を送るよりしかたのない末摘花の女王であった。泣き合い笑い合うこともあった侍従がいなくなってからは、夜の塵のかかった帳台の中でただ一人寂しい思いをして寝た。
源氏は長くこがれ続けた紫夫人のもとへ帰りえた満足感が大きくて、ただの恋人たちの所などへは足が向かない時期でもあったから、常陸の宮の女王はまだ生きているだろうかというほどのことは時々心に上らないことはなかったが、捜し出してやりたいと思うことも、急ぐことと思われないでいるうちにその年も暮れた。
第3章 源氏との再会
四月ごろに花散里を訪ねて見たくなって夫人の了解を得てから源氏は二条の院を出た。幾日か続いた雨の残り雨らしいものが降ってやんだあとで月が出てきた。青春時代の忍び歩きの思い出される艶な夕月夜であった。車の中の源氏は昔をうつらうつらと幻に見ていると、形もないほどに荒れた大木が森のような邸の前に来た。高い松に藤がかかって月の光に花のなびくのが見え、風といっしょにその香がなつかしく送られてくる。橘とはまた違った感じのする花の香に心が惹かれて、車から少し顔を出すようにしてながめると、長く枝をたれた柳も、土塀のない自由さに乱れ合っていた。見たことのある木立ちであると源氏は思ったが、以前の常陸の宮であることに気がついた。源氏は物哀れな気持ちになって車を止めさせた。例の惟光はこんな微行にはずれたことのない男で、ついて来ていた。
「ここは常陸の宮だったね」
「さようでございます」
「ここにいた人がまだ住んでいるかもしれない。私は訪ねてやらねばならないのだが、わざわざ出かけることもたいそうになるから、この機会に、もしその人がいれば逢ってみよう。はいって行って尋ねて来てくれ。住み主がだれであるかを聞いてから私のことを言わないと恥をかくよ」
と源氏は言った。
末摘花の君は物悩ましい初夏の日に、その昼間うたた寝をした時の夢に父宮を見て、さめてからも名残の思いにとらわれて、悲しみながら雨の洩って濡れた廂の室の端のほうを拭かせたり部屋の中を片づけさせたりなどして、平生にも似ず歌を思ってみたのである。
亡き人を恋ふる袂のほどなきに荒れたる軒の雫さへ添ふ
(亡き父上を恋い慕い泣いて袂の乾く間もないのに、荒れた軒の雨水までが降りかかる)
こんなふうに、寂しさを書いていた時が、源氏の車の止められた時であった。
惟光は邸の中へはいってあちらこちらと歩いて見て、人のいる物音の聞こえる所があるかと捜したのであるが、そんな物はない。自分の想像どおりにだれもいない、自分は往き返りにこの邸は見るが、人の住んでいる所とは思われなかったのだからと思って惟光が足を返そうとする時に、月が明るくさし出したので、もう一度見ると、格子を二間ほど上げて、そこの御簾は人ありげに動いていた。これが目にはいった刹那は恐ろしい気さえしたが、寄って行って声をかけると、老人らしく咳を先に立てて答える女があった。
「いらっしゃったのはどなたですか」
惟光は自分の名を告げてから、
「侍従さんという方にちょっとお目にかかりたいのですが」
と言った。
「その人はよそへ行きました。けれども侍従の仲間の者がおります」
と言う声は、昔よりもずっと老人じみてきてはいるが、聞き覚えのある声であった。家の中の人は惟光が何であったかを忘れていた。狩衣姿の男がそっとはいって来て、柔らかな調子でものを言うのであったから、あるいは狐か何かではないかと思ったが、惟光が近づいて行って、
「確かなことをお聞かせくださいませんか。こちら様が昔のままでおいでになるかどうかお聞かせください。私の主人のほうでは変心も何もしておいでにならない御様子です。今晩も門をお通りになって、訪ねてみたく思召すふうで車を止めておいでになります。どうお返辞をすればいいでしょう、ありのままのお話を私には御遠慮なくして下さい」
と言うと、女たちは笑い出した。
「変わっていらっしゃればこんなお邸にそのまま住んでおいでになるはずもありません。御推察なさいましてあなたからよろしくお返辞を申し上げてください。私どものような老人でさえ経験したことのないような苦しみをなめて今日までお待ちになったのでございますよ」
女たちは惟光にもっともっと話したいというふうであったが、惟光は迷惑に思って、
「いやわかりました。ともかくそう申し上げます」
と言い残して出て来た。
「なぜ長くかかったの、どうだったかね、昔の路を見いだせない蓬原になっているね」
源氏に問われて惟光は初めからの報告をするのであった。
「そんなふうにして、やっと人間を発見したのでございます。侍従の叔母で少将とか申しました老人が昔の声で話しました」
惟光はなお目に見た邸内の様子をくわしく言う。源氏は非常に哀れに思った。この廃邸じみた家に、どんな気持ちで住んでいることであろう、それを自分は今まで捨てていたと思うと、源氏は自分ながらも冷酷であったと省みられるのであった。
「どうしようかね、こんなふうに出かけて来ることも近ごろは容易でないのだから、この機会でなくては訪ねられないだろう。すべてのことを綜合して考えてみても昔のままに独身でいる想像のつく人だ」
と源氏は言いながらも、この邸へはいって行くことにはなお躊躇がされた。この実感からよい歌を詠んでまず贈りたい気のする場合であるが、機敏に返歌のできないことも昔のままであったなら、待たされる使いがどんなに迷惑をするかしれないと思ってそれはやめることにした。惟光も源氏がすぐにはいって行くことは不可能だと思った。
「とても中をお歩きになれないほどの露でございます。蓬を少し払わせましてからおいでになりましたら」
この惟光の言葉を聞いて、源氏は、
尋ねてもわれこそ訪はめ道もなく深き蓬のもとの心を
(誰も訪ねませんがわたしこそは訪問しましょう。道もないほど深く茂った宿の邸の姫君の変わらぬお心を)
と口ずさんだが、やはり車からすぐに下りてしまった。惟光は草の露を馬の鞭で払いながら案内した。木の枝から散る雫も秋の時雨のように荒く降るので、傘を源氏にさしかけさせた。惟光が、
「木の下露は雨にまされり(みさぶらひ御笠と申せ宮城野の)でございます」
と言う。源氏の指貫の裾はひどく濡れた。昔でさえあるかないかであった中門などは影もなくなっている。家の中へはいるのもむき出しな気のすることであったが、だれも人は見ていなかった。
女王は望みをかけて来たことの事実になったことはうれしかったが、りっぱな姿の源氏に見られる自分を恥ずかしく思った。大弐の夫人の贈った衣服はそれまで、いやな気がしてよく見ようともしなかったのを、女房らが香を入れる唐櫃にしまって置いたからよい香のついたのに、その人々からしかたなしに着かえさせられて、煤けた几帳を引き寄せてすわっていた。源氏は座に着いてから言った。
「長くお逢いしないでも、私の心だけは変わらずにあなたを思っていたのですが、何ともあなたが言ってくださらないものだから、恨めしくて、今までためすつもりで冷淡を装っていたのですよ。しかし、三輪の杉ではないが、この前の木立ちを目に見ると素通りができなくてね、私から負けて出ることにしましたよ」
几帳の垂れ絹を少し手であけて見ると、女王は例のようにただ恥ずかしそうにすわっていて、すぐに返辞はようしない。こんな住居にまで訪ねて来た源氏の志の身にしむことによってやっと力づいて何かを少し言った。
「こんな草原の中で、ほかの望みも起こさずに待っていてくだすったのだから私は幸福を感じる。またあなただって、あなたの近ごろの心持ちもよく聞かないままで、自分の愛から推して、愛を持っていてくださると信じて訪ねて来た私を何と思いますか。今日まであなたに苦労をさせておいたことも、私の心からのことでなくて、その時は世の中の事情が悪かったのだと思って許してくださるでしょう。今後の私が誠実の欠けたようなことをすれば、その時は私が十分に責任を負いますよ」
などと、それほどに思わぬことも、女を感動さすべく源氏は言った。泊まって行くこともこの家の様子と自身とが調和の取れないことを思って、もっともらしく口実を作って源氏は帰ろうとした。自身の植えた松ではないが、昔に比べて高くなった木を見ても、年月の長い隔たりが源氏に思われた。そして源氏の自身の今日の身の上と逆境にいたころとが思い比べられもした。
「藤波の打ち過ぎがたく見えつるはまつこそ宿のしるしなりけれ
(松にかかった藤の花を見過ごしがたく見たのは、わたしを待つあなたの家の目じるしであったのですね)
数えてみればずいぶん長い月日になることでしょうね。物哀れになりますよ。またゆるりと悲しい旅人だった時代の話も聞かせに来ましょう。あなたもどんなに苦しかったかという辛苦の跡も、私でなくては聞かせる人がないでしょう。とまちがいかもしれぬが私は信じているのですよ」
などと源氏が言うと、
年を経て待つしるしなきわが宿は花のたよりに過ぎぬばかりか
(長年待つ甲斐のなかったわたしの宿を、あなたは藤の花のついでに立ち寄っただけなのですね)
と低い声で女王は言った。身じろぎに知れる姿も、袖に含んだにおいも昔よりは感じよくなった気がすると源氏は思った。落ちようとする月の光が西の妻戸の開いた口からさしてきて、その向こうにあるはずの廊もなくなっていたし、廂の板もすっかり取れた家であるから、明るく室内が見渡された。昔のままに飾りつけのそろっていることは、忍ぶ草のおい茂った外見よりも風流に見えるのであった。昔の小説に親の作った堂を毀った話もあるが、これは親のしたままを長く保っていく人として心の惹かれるところがあると源氏は思った。この人の差恥心の多いところもさすがに貴女であるとうなずかれて、この人を一生風変わりな愛人と思おうとした考えも、いろいろなことに紛れて忘れてしまっていたころ、この人はどんなに恨めしく思ったであろうと哀れに思われた。ここを出てから源氏の訪ねて行った花散里も、美しい派手な女というのではなかったから、末摘花の醜さも比較して考えられることがなく済んだのであろうと思われる。
第4章 活気
賀茂祭り、斎院の御禊などのあるころは、その用意の品という名義で諸方から源氏へ送って来る物の多いのを、源氏はまたあちらこちらへ分配した。その中でも常陸の宮へ贈るのは、源氏自身が何かと指図をして、宮邸に足らぬ物を何かと多く加えさせた。親しい家司に命じて下男などを宮家へやって邸内の手入れをさせた。庭の蓬を刈らせ、応急に土塀の代わりの板塀を作らせなどした。源氏が妻と認めての待遇をし出したと世間から見られるのは不名誉な気がして、自身で訪ねて行くことはなかった。手紙はこまごまと書いて送ることを怠らない。二条の院にすぐ近い地所へこのごろ建築させている家のことを、源氏は末摘花に告げて、
そこへあなたを迎えようと思う、今から童女として使うのによい子供を選んで馴らしておおきなさい。
ともその手紙には書いてあった。女房たちの着料までも気をつけて送って来る源氏に感謝して、それらの人々は源氏の二条の院のほうを向いて拝んでいた。一時的の恋にも平凡な女を相手にしなかった源氏で、ある特色の備わった女性には興味を持って熱心に愛する人として源氏をだれも知っているのであるが、何一つすぐれた所のない末摘花をなぜ妻の一人としてこんな取り扱いをするのであろう。これも前生の因縁ごとであるに違いない。もう暗い前途があるばかりのように見切りをつけて、女王の家を去った人々、それは上から下まで幾人もある旧召使が、われもわれもと再勤を願って来た。善良さは稀に見るほどの女性である末摘花のもとに使われて、気楽に暮らした女房たちが、ただの地方官の家などに雇われて、気まずいことの多いのにあきれて帰って来る者もある。見えすいたような追従も皆言ってくる。昔よりいっそう強い勢力を得ている源氏は、思いやりも深くなった今の心から、扶け起こそうとしている女王の家は、人影もにぎやかに見えてきて、繁りほうだいですごいものに見えた木や草も整理されて、流れに水の通るようになり、立ち木や草の姿も優美に清い感じのするものになっていった。職を欲しがっている下家司級の人は、源氏が一人の夫人の家として世話をやく様子を見て、仕えたいと申し込んで来て、宮家に執事もできた。
末摘花は二年ほどこの家にいて、のちには東の院へ源氏に迎えられ、夫婦として同室に暮らすようなことはめったになかったのであるが、近い所であったから、ほかの用で来た時に話して行くようなことくらいはよくして、軽蔑した扱いは少しもしなかったのである。大弐の夫人が帰京した時に、どんな驚き方をしたか、侍従が女王の幸福を喜びながらも、時が待ち切れずに姫君を捨てて行った自身のあやまちをどんなに悔いたかというようなことも、もう少し述べておきたいのであるが、筆者は頭が痛くなってきたから、またほかの機会に思い出して書くことにする。
今回のあらすじ
孤独に過ごす末摘花と常陸宮邸の窮乏
↓
末摘花の気紛らしと乳母子の侍従、叔母
↓
叔母が末摘花を誘う
↓
侍従が叔母に従って離京する
↓
惟光が邸内を探った後、光源氏が邸内に入る
↓
末摘花との再会
↓
生活を援助し、活気が戻る常陸宮邸
蓬生和歌集
・絶ゆまじきすぢを頼みし玉かづら思ひのほかにかけ離れぬる
(絶えるはずのない間柄だと信頼していましたが、思いのほかに遠くへ行ってしまわれるのですね)
・玉かづら絶えてもやまじ行く道のたむけの神もかけて誓はん
(お別れしても見捨てはしません。道々の道祖神にかたく誓いましょう)
・亡き人を恋ふる袂のほどなきに荒れたる軒の雫さへ添ふ
(亡き父上を恋い慕い泣いて袂の乾く間もないのに、荒れた軒の雨水までが降りかかる)
・尋ねてもわれこそ訪はめ道もなく深き蓬のもとの心を
(誰も訪ねませんがわたしこそは訪問しましょう。道もないほど深く茂った宿の邸の姫君の変わらぬお心を)
・藤波の打ち過ぎがたく見えつるはまつこそ宿のしるしなりけれ
(松にかかった藤の花を見過ごしがたく見たのは、わたしを待つあなたの家の目じるしであったのですね)
・年を経て待つしるしなきわが宿は花のたよりに過ぎぬばかりか
(長年待つ甲斐のなかったわたしの宿を、あなたは藤の花のついでに立ち寄っただけなのですね)
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