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運動会(体育祭)のゲームデザインで気に入らない点を挙げつつ、既存GvGゲーを上げていく記事

■はじめに

 こんにちは、運動は嫌いじゃないけど特別得意でもない、花倉みだれです。
 今回は、児童・生徒の当事者だった頃からずっと溜まっていた鬱憤を文字に書き起こそうと思います。
 それは「運動会(体育祭)のゲームデザイン」についてです。

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 特に大縄跳びを競技に入れている学校は押しなべてダメだと思います。考え直してほしい。そんな思いで筆を取っています。
 せっかくなので、これがSP向けゲームだったらどういう感じのことになるのか? みたいなゲーオタ的置換を交えて語っていこうという趣旨です。

■概要

 運動会(体育祭)は、複数のミニゲームの得点を、自身の所属するチーム(紅白・学年縦断クラス割・学年ごと、学科ごと等々バリエーションはあると思いますが)ごとに加算していってその合計点競うシステムを概ね全国どこでも採用しているものと思います。(ジェネギャで本当にそうではない現場がある可能性については一旦目をつむります)
 このシステム、すごくゲーム的ですよね。昨今のほどほどに豪華なタイプのSP向けゲームのGvGイベントなんかと近いものを感じます。

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 なるべく多くの人に参加して楽しんでほしい、と運営側は思っている構図も同様です。

 でも、私はあまり当事者として好きではないイベントでした。
  運動が嫌いなわけでもないですし「勝ちたい」という気持ちは人並みに持ち合わせています。
 特別同チームのメンバーと仲が悪いということもさほどありません。
 そんな自分をアクティブユーザーに導けない、ダメなゲームデザインがあるように思います。

■運動会(体育祭)のここがダメ

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結論からまとめていきましょう。

・参加するチームを主体的に選べない
・参加することそのものに対する報酬がない、または弱い
・得点が発生しない演目が存在し、かつそこに対応するために事前のリソースを大量に奪われる
・全員参加の競技における、人数不均衡によるバランス崩壊を一切考慮していない
・目的や趣旨、報酬がはっきりしないせいで、リーダーとしても抽象的なやりがいを持ち出さざるをえない。

■演目の分類

 運動会(体育祭)の演目は、大きく5つに分けることができます。

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●お遊戯・組体操系
→組体操・ソーラン節等々

●全員参加・個人競技
→徒競走

●全員参加・団体競技
→騎馬戦・綱引き・大玉転がし・玉入れ・大縄跳びなど

●選抜参加・個人競技
→リレー

●その他特殊系
→保護者参加競技、部活・クラブ対抗リレー等

それぞれについて、思うところをつらつら書いていきます。

●お遊戯・組体操系

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『すごい事になりそうだ! 組体操合戦』(https://chronojuvenile.com/gameapp/kumitaisou/)より

 まず、得点が入らないというのが大きな問題です。
 総得点を競うゲームをやっているのに、どんだけ頑張っても得点が入らないミニゲームを必死になってやるのってどう考えても虚無じゃないですか。

 保護者にとってはむしろ一番楽しい時間なのかもしれません。
 必死こいてベスポジ確保してビデオ回すことでしょう。
 採点がないことで特別我が子が劣っている! という感覚に苛まされることもないからとても心穏やかに見れますね。
 今でこそ、運営側として実施したい気持ちはよく理解できます。
 でも、当事者にとっては何の意味もありません。

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 SP向けゲームで言うならGvGイベント10000体撃破で復帰者ボーナスが2倍になるキャンペーン! みたいなのに参加させられるようなものでしょうか。
 アクティブユーザーの自分としては全然美味しくもなんともないのに、運営のためだけに働かされている感じ。理不尽です。
 こんなイベント設計を自分がアクティブなゲームの運営がやりはじめたら、CSにお気持ちメールの一通でも送りたくなりますよ。

 しんどいのは、そんな意味のない演目に対して、一番リソースを奪われることですね。
 本来であれば、楽しい球技なんかにあてる可能性もあった体育の時間を、わけのわからん運動会の準備の時間にあてられているわけです。
 勝ちたい! と思って運動会(体育祭)に対してピークを合わせていればいるほど、この演目に対するヘイトは上がるのです。
 ゲーム性を高く評価している温度感の高いヘビーユーザーが、やたらと新しいガチャシステムや小話系のシステムばかり実装されることに対して運営クソ! って言う気分はこんな感じかもしれません。
 そんな理不尽を、クラス委員や先生たちは飲み込んだうえで参加を促さなければならない。離脱者に頭を抱えるギルドリーダーなんかの姿と重なります。

修正案:
・文化祭など「団結して何かの演目を実行する」ことそのものが目的のイベントへの移管
・チームごとに、芸術点・基礎点などの採点を行う競技化
・参加に対しての報酬強化(内申向上・参加賞の提供)

 などとなりますでしょうか。
 昨今は組体操の安全性がどうこうと言われますが、いっそこの類の演目全部なくしてしまえばよいのに、などと児童・生徒だった頃の自分が常に頭の隅で囁きます(笑)

●全員参加・個人競技

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 徒競走ですね。採点方式次第ですが、とても平和で理想的な演目だと思います。
 昨今では、平和じゃないみたいな話からこれをなくそうとしているみたいな話も時々目にしますが、個人的には運動会の演目の中で最も平等で平和だと思います。

 採点方式次第、というのは1~6位、全員に多少であれ点数が入る方式であれば良い、ということです。
 参加に対する報酬がある、チームに貢献できる、というのは、リーダーとして非常に参加を促しやすく当事者としても素直に受け入れられるメリットが大きいのです。

「参加してくれるだけで、結果を問わずチームのためになるから、とにかく参加してくれ! 参加してくれるだけで嬉しい! 順位は気にしなくてもいい!(できれば上位のほうが嬉しいけど)」

 リーダー目線で本当に、すごく言いやすいのです。
 まぁ、そういうことなら参加するか……という気分になります。
 純粋なダメージ量(≠DPS)を競うタイプのGvGイベントなんかはこのシステムですよね。

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『グランブルーファンタジー』イベント「決戦 星の古戦場」より

 これを、例えば「上位3人にポイント、下位3人のチームにはポイントが入らない」みたいなシステムで運用しているところがあったら、最悪なので見直してください。お願いします。
「4位以下なら参加しなくても変わらない」とわかっていたら、前もってもらう出走表の段階である程度順位は予想できるわけで、出走意欲がなくなったって誰も責めることはできません。

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JEWELRY LIFE
蓮舫「2位じゃダメなんですか?」から手柄横取り発言に批判殺到?経緯まとめ(https://jewelry-life.com/renhou-no2/)より

 また、ポイント獲得ライン未満の人に対して糾弾することができてしまいます。
 運動会・体育祭後も人間関係は続くことを思うと、そんな禍根の火種は作るべきでは絶対ありませんね。

●全員参加・団体競技

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 これも花形ではありますね。
 学校の現場で行うイベントである以上致し方ないのですが、出席人数全員参加が原則であることから、当日に人数不均衡が発生するのがとても大きな問題です。

 単純に、20人のチームと40人のチームで綱引きをしたら基本後者のチームが圧倒的に有利です。
 大縄跳びであれば、逆に20人のチームが40人のチームに対して圧倒的に有利になります。
 騎馬戦などは頭数が単純な有利不利になりにくく複雑です。「弱い騎馬」が増えることは相手の得点機会を増やすので不利になり「強い騎馬」が増えたらこちらの得点機会が増えるので有利になってしまいます。
 玉入れ・大玉転がしなどは一見人数多い方が有利なゲームのように見えますが、ポジション取り次第では変なところに人が増えるくらいなら少数精鋭のほうが成果が出る、ということはありうるゲーム性です。

 そんなわけで、演目により人数の多少による影響の方向性もバラバラなうえで、人数不均衡のまま実行されてしまうのが不平等で非常に問題があると思います。
 不利側の環境で負けてしまったチームの不平不満も溜まってしまいます。

 私がサボタージュした体育祭の1回は、自分の学年の演目が大縄跳びだった時です。

 どれだけ考えても「自分が参加する」ことよりも「自分は不参加する」ことのほうがチームの役に立ててしまうのです。
 私は勝ちたい。私が所属するチームに勝ってほしい。そのための合理的な選択として、この競技をサボタージュするほかなかったのです。

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 熱量もって勝ちに対する意欲を持った人間を離脱させる、最悪のゲームデザインだとずっと思っています。

修正案:
・参加人数を規定する。
 これしかないと思います。多ければ減らす、足りなかったら第3のチームや保護者や教員から補充する等、とにかく数面でフェアな状態でプレイさせる。
「自分はいないほうが世の中の役に立つのだ」
 などという悲しい体験や想像
を児童・生徒にさせるのは酷というものです。

 良くも悪くも、チームのために最善を尽くしたい、という思考回路は私の中では生き続けていて、
 比較的、人員整理などに対しては理解のあるタイプだと思います。
 工数ダブついていて他にやれることが何もなさそうな時など、積極的に早退や欠勤を(賃金としては苦しくなろうとも)自ら申し出てしまいます。
 だって、やることないのに数千円もらうの会社に対して申し訳ないじゃないですか……。
 トラブルが発生した場合なども、すごく俯瞰的に環境や能力を鑑みて、正誤どうこうや自分の気持は棚上げして、現実的に自分がいなくなったほうが良さそう、と考えたらそのまま提案したりもしてしまいます。

 でも、こういった意識は、労働意欲やストレス耐性が低いと見なされることも多いので、社風を見極めつつ提案できるようになっていきたいところですね。
 児童・生徒の皆さんも、勝つための最善策ばかりが正解なわけではない、ということを知って、私と同じ道を進んではほしくない……などと思ったり思わなかったりします。

 余談が過ぎました。

●選抜参加・個人競技

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 選抜リレーなど。これも平和ですね。
 SP向けゲームで言えば、超課金者専用高難易度ミッションみたいなものでしょう。
 参加できない人のうち少ない人間が不満を零すことになりますが、実力足りていないだけなので周囲の理解も得られず大した火種にはなりにくいです。

 日頃の鍛錬を怠っていない人間が、高次元の争いをして、しっかりと称賛を受ける、こういう場はあると、すごい人はどんどん自信を深めて伸びていくものです。
素晴らしいですね。

●その他特殊系

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→保護者参加競技、部活・クラブ対抗リレー等
 これも勝敗に直結こそしませんが、結構平和ですね。
 「無駄な時間だなぁ」と当事者として思うことはあるかもしれませんが、なにせ自分がなにかやらされているわけではないのでそこまで大きな不満にはなりにくいです。
 SP向けゲームで例えるなら、唐突に始まる広告みたいなものでしょうか。
 まぁ、ウザくないわけではないけど、必要だよね……みたいな。

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■その他不満点

 参加するチームを選べない、というのも大きな課題でしょうね。
 ガチ勢のチーム、エンジョイ勢のチーム……と最初から温度感や能力の近い面子で固まることができれば、リーダーの負担も軽くなるはずです。
 「好きだけど苦手」みたいな人も楽しく参加できるようになるはずです。
 横並びに採点を禁止しよう、というよりは、こういった方向性で負担をへらす方向のデザインをしていただきたいものですね。

 GvGがあるゲームでリーダーの人たちも、募集を書ける時はだいたい必ずスタンスを表明しているはずです。

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 勝ちたいと思っている人、そうでもない人が混ざったチームで対抗して勝負をやらせるというのがそもそも構造的にかなりしんどいものになっている気がします。

 言い換えれば、そのイベントの意義を自分たちで定義することにも繋がります。

 結局のところ、運動会(体育祭)の役割が「保護者向けのサービス」「運動得意な児童・生徒の見せ場」「チーム対抗の競技」「思い出づくり」……など、別方向に合わせ持ってしまっているのが歪みの原因なようにも思います。

 これは何を目的とした企画なのか?
 それをはっきりと伝えることの重要性を、改めて実感する
ばかりです。

■まとめ

・参加するチームを主体的に選べない
・参加することそのものに対する報酬がない、または弱い
・得点が発生しない演目が存在し、かつそこに対応するために事前のリソースを大量に奪われる
・全員参加の競技における、人数不均衡によるバランス崩壊を一切考慮していない
・目的や趣旨、報酬がはっきりしないせいで、リーダーとしても抽象的なやりがいを持ち出さざるをえない。

 頭に書き出した通り、このあたりが運動会(体育祭)のどうにもダメなポイントです。

 逆に、カジュアルユーザーまで巻き込んだGvGで流行っているゲームはこのあたりがシッカリしていますよね。

 ゲームデザイナーってすごいなぁ、などと小学生並みの感想に回帰して、この記事を終わりとします。

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