曲がった傘に見る 小学生男子の主張 ~わざとじゃないよ?~

サブタイトル:「私たち夫婦の、最大の敵とは」

パワー系次男は、乳幼児の頃から色々壊している。
わざとではないとわかっているが、親としては、怖い。
何せ直に家計に響くから。

今日も帰って早々、

「お母さん、傘が曲がった」

えー・・・買って1年も経ってない・・・。

柄の途中で少しだけ湾曲していて、開こうとすると固くなってしまっている。

「なんでこうなったの」
「わかんない」
「わかんなくてこうならないでしょ、遊んだんじゃないの?」
「遊んでないよ?」
「じゃあ踏んだ?」
「踏んでない」
「杖みたいにして歩いた?」
「・・・」

これだな。

開こうとすると大人でも「硬いな」と感じる。
それほど柄が曲がってしまった傘は、夏場の日傘としても使えるようにと、晴雨兼用のちょっと良いものを買った。
購入して1年も経っていない。
地味に痛い。

最近も筆箱を壊して2000円で新しいものを買ったばかり。
購入して1年も経っていない。
地味に、痛い。


男子はものを壊す天才だ。
それはわかっていたが、そこにパワーが加わるとここまで怖いことになるとは。

「やっぱり遊でるじゃん」
「わざとじゃないよ!?」
「わざとじゃなくても杖みたいにして遊べば曲がるんです」
「・・・」

『遊んだだけ』、『わざと壊してない』。

両方、理解はできる。
が、『遊んだだけ』で傘は『壊れた』のだ。

『遊ぶ』と傘は『壊れる』こともある、

という方程式が、
この小さな脳の中では成り立っていないようだ。

だから雨の日は怖い。
男子に棒を持たせて、遊ばないわけがないのだ。

とりあえず、傘をさそうと思えばさせる。
差そうとする時にぐっと力が必要。
でも、まだ使えそう。

「頑張って使って」
「わかった」

不満そうな「わかった」ではあったが、自分が悪いと思ったのか、意外とすんなり承諾した。


長男は、スリムな夫に似た、非力系男子だ。
プチ衝動多動でちょっとくらい無茶をしても、落とした等でなければ壊さない。
腕力がない、ということが功を奏しているようだ。

が、のほほん次男は、私に似た筋肉質男子。
多動でも衝動でもなくても、ただ力が強すぎて、ちょっと杖のようにして遊んだだけのつもりでも、傘の柄が曲がるのだ。

腕力って、怖い。


「もうひとつさー」
「え、何」
「定規が折れた」
「遊んだんでしょ?」
「膝でこうやって(まげて)たら、折れた」
「・・・」
「わざとじゃないよ?」

恐るべし、腕力。
恐るべし、「わざとじゃない」




余談

かつて彼は、とてつもなくお高いものを壊したことがある。

齢2歳にして、積み木を武器に、我が家の唯一のテレビを壊した。
購入してから、1年と経っていなかった。(デジャブ)

私たち夫婦の一番の敵、それは、この小さなデストロイヤーなのだ。

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