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メイクアガール見ました。個人的感想。(ネタバレあり)
普段DTMばっかやってて外に出ない私は、こんなんでも個人事業ほったてる準備してたりいろいろあるのですが、友人に誘われ安田現象様の初長編監督作品である『メイクアガール』を観てきました。こうでもしないと劇場に来てしっかり見るアニメーション映画って出会う機会がないんですよね。という位には映画館こそ足しげく通うが、トム・クルーズやキアヌリーブスみたいなブロックバスターハリウッドをあてにいってるだけで、邦画はおろかアニメーションは興味だけ示してアマプラ落ちまで待つタイプで、実写しか見ないことが多いので、日本のアニメ産業に2,000円ほどでも貢献できたようなら善行としたい。
こんなんでも元美少女ゲーマー、久々の二次元に触れる。
・以下ネタバレになると思いますので鑑賞後の方がよろしいかと。
・超個人的解釈なのでこれは正解ではないです。
個人的な解釈としては『情報の継承』あるいは『二重学習』かなあ、というのが本作鑑賞と配布してたミニパンフレットの内容からのイメージです。
割とパンフの中の稲葉とは何ぞやに対する監督の答えと同じような答えを受け取った気がします。
最初の統合失調症みたいなジレンマを抱えたHAL9000ばりの自傷を見せつけたテストロボットのシーンからぞわぞわしたんですが、とりあえずこれは水溜稲葉という神々しい狂気を0号ちゃんという可愛い継承先へ感情や情報として生殖しているのかなあという感じでした。要は主人公である明は触媒的存在ということなのかなと。個人的には。母子の遺伝情報の継承をしつつ本懐のUSBメモリの0号のプログラム記述という情報・模倣子情報に感情を乗せるための手はずとして触媒の明は結果的に0号にお母さんをエミュレートしてしまうまでの顛末を本編は描いてるのかなあ~って思いました。
とはいえ、ここで踏み外したらまずいなと思うので言っておくと、バイザーの表現とか目、腕の表現で見ての通り、明自体がそもそも第一人類ではない(通常人類ではない)ので、そういうプログラムを稲葉に組まれた遺伝的子ではなく情報遺伝子上の子なんですよね。それが0号を育て上げる訳ですから単純にここで2つの学習構造が出来上がってるわけです。
感動的か好意的に解釈すれば、稲葉はそもそも余命を知ってこのプログラムを組んで自分の最初の子であるプログラムである明に託したわけですから、作中でも触れられている通り、家族や恋人のように大切な存在の行うプロセスを、0号にエミュレートしたことによって大切な存在というデータとして自分が亡き後も一応大切な息子を見守るような存在に仕立て上げたのかなあとも。どこぞの新世紀のお母さんのように母は強しということでしょうか。ただ、その手段がとても狂気じみているし結構危なっかしいのが本編の見どころとも思います。稲葉が全部を計算していたかは解釈の余白に任せますが、結果的には計算通りになったというわけでしょう。まあこういう時分かりやすいのがこの女性陣2役のCVを種﨑さんが担当されていることもあるような気がします。そこが割とヒントかなあとも。あんまり難しく考えすぎるラインではないのですが、SFじみた世界観に対してこの生々しさは描こうと思って描けるものでもないですよね。このプロットの画力と分かりやすさがアニメーションの説得力になっているのかもです。神様の交代劇、というと判りやすいでしょうか。
同時進行で展開されるのが、これもシンプルなのですが0号の感情の発生と喜びや恋情に似た何かの過剰、結論として拒絶に対する苦悩と暴力に至るまでの人間に近似した回路というものを学習と演繹していくストーリーライン。AIの基礎から人間になっていくこととの背反、越えた時の計算外。その自傷システムとうまくかみ合ってとても痛々しくて良かったです。
バイオレンスとまではいわないですがまあまあな描写もありましたよね。
あのくらいまでやってくれると中途半端なヤンデレよりおいしい感じがします。
・ソルトという世界観の説得力
本編は約90分程とSFと考えると短いので情報量をBGM転換や背景情報、サブリミナルな情報をとにかくインプリティングしまくってるのですが、中でも華麗に世界観を彩ったのが稲葉が開発元のソルトというAI群でしたね。私たちの知ってる猫型配膳機とかデバイスの発展型の1つのプランでもありますし、変形したりなんやらかんやら流線形のデザインもいい。最近東京に跋扈しているキックボードに変形するあたり中々スマートなトランスフォーマーでもありました。花澤さんが構築した攻撃特化の黒型も含め、いずれにせよ主人公には害を成せないシステムですが、配備という観点で考えるとこの世界感を彩るにふさわしい舞台設備でした。
・適切に登場した過不足ない人物たち
この世界感の中で無駄な駄弁りができない尺の都合があるのかもしれませんが、たとえば雨宮さんとまっすーの二人が親友として活躍しますが、この二人は非論理的に見えて非常に論理性のかたまりです。風貌と一致しないんですよね言動とか。明からして一見非合理に見えることに対する正論パンチの連続を浴びせてきました。上田さんと花澤さんは少しそれを俯瞰している、諦観をもった凡庸か優秀な及第点の大人という立場。花澤さんはその末嫉妬心から暴走してしまいましたが、ある程度答えが掴めていたからの凶行だったようですね。まあそれも間違いな訳でしたが。
・この舞台自体そもそも全部飾りなんじゃない?
よく子供の時人形劇ってやると思うんですけどアレに近いです。
劇場では論法の解として無理くりデウスエクスマキナって出てくるじゃないですか、何でも解決する存在。それが稲葉であり0号であり、っていうような。その聖杯の持ち主を第一人類である稲葉では成し遂げられないので0号に代行させていく。これが先述した『神様の交代劇』ということです。明はその中でもがかされている人形に見えました。そもそも稲葉が神様であり基盤の世界です。だれがいつ、この世界と鑑賞する私たちの世界が同じものと錯覚していたのでしょう。この物語世界自体が稲葉の創造した1つのシミュレートプログラムだったとしたら…?その方が解釈しやすいのですよね。余談ですがTHE ビッグオーの最後とか思い出しました。この世の全部が筆者(エンジェル)の舞台で創り物だったってあれです。
と考えるとこれは壮大な監督/稲葉の自己言及の物語なのかなあとも思いました。物語が存在するとき、そこには必要があるから存在が存在たらしめるわけですが、そこに介在する感情を現代らしいSFテーマでとっつきやすく美麗に描き出したのが本作の魅力かもしれません。
総評『神様の交代劇』
そうやってみると滅茶苦茶面白かったというだけで、これは私の解でしかなく、創造性の余白というのが今回の一番のテーマだとも感じました。
ミッションインポッシブルならガブリエルとエンティティをトム・クルーズがやっつけて任務完了すればきっと解決します。(MI8めっちゃ楽しみです)が、邦画とかアニメ作品のテンション感によくあるのがこういう『解釈の余白』を多分に残してくれていることにあります。私がプレイしていた美少女ゲーム群は大体2010年代後半になると衰退したのですが、何で好きだったかといえば演技やスチルや音楽が一体化しているだけでなく解釈の余白が多い作品が多かったからです。本作もその系譜を積んできたように思われます。今でこそ美少女ゲームとか二次元産業がオーバーグラウンドな存在になって久しいですが、アングラ時代からの日陰を感じることもできて、
この『メイクアガール』、とてつもなく楽しめました。
3Dアニメーションも不気味さが極力なく流麗でしたし、映像作品でかつクラファンから出てきたものとして、ここまでの物が出てきたら、まだまだ日本の産業もいけるんじゃないかと思わされる本作でした。とってもアートしてます。
まあそんな雑感でした。
寒い日が続きます。皆様お身体には気を付けてくださいね~!
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なんだろう、最後の0号の笑みで結構ぞっとしたんですが、これに似た経験したことあります。EDENってアーティストの『Drugs』って曲のMVです。
よろしければ雑談終わりにでも見てくださいな。では!