3-6.脳が言葉をどう受け取るか

 大学の、心理学の授業で、ある教授が「人間の脳は一人称や二人称を理解できない仕組みになっている」と、言っていた。

 例えば、誰かと話をしている際に、自分の身内や友人を褒められて気分がよくなったことはないだろうか?
 その逆に、自分の身内や友人の悪口を聞いて気分が悪くなったことは?
仮に、あなたに兄がいて、とても仲がいいとする。相手が「君のお兄さんはとてもいい人だよね」と言ってきた場合に、言葉として「兄が褒められている。自分ではない」と理解し、「ありがとうございます」と答えるが、心は弾んでいるはずだ。それは、脳が自分を褒められた時と同じ反応をしてしまうので、あたかも自分のことのように嬉しく感じてしまうのだ。
 悪口を聞いてしまった場合も同じ。自分の好きな相手が非難されている時は、頭では自分のことではないと理解できているのに、何故かいつまでもモヤモヤしてしまう。それは脳が、自分が非難されている時と同じ反応をしてしまうからだ。
 しかも、もし相手の機嫌を損ねないために「そうだね」などと偽りの同調をしてしまうと、大変だ。自己否定を、自分で肯定してしまう。些細なことだが、こういうことの積み重ねが、自己肯定感をどんどん下げていく原因になることを知っておいてほしい。

 そしてこれらを踏まえて、面前DVの話に戻る。
 わが家の面前DVでは、父が母に猛烈な人格否定をする。
 それを聞いている私や弟の脳は、自分が責め立てられている時と同じ反応をしてしまう。私達は潜在的に母が好きだから、だ。
 今まで何度も書いてきたが、DV中の父の言葉は私達に投げかけられているものではなく、全て母に向けられている。私はもちろん、それをしっかりと理解しているのだ。しかし、脳が「母への攻撃」だと理解しながら、私にダメージを与えてくるのである。
 ことの深刻さを理解していただけただろうか。
 悪意を向けていない対象を虐待してしまっている、この歪さこそが、面前DVの恐ろしさだ。
 そして、脳が一人称や二人称を理解できないことに関して、もう一つ大きな問題がある。
 実は、父の罵倒を聞いているのは、母や子どもたちだけではないのだ。それは、なんと「父の耳」だ。
 父が母にDVをして、子どもに面前DVをしている時、父の耳は、一番大きな声で数々の人格否定の言葉を聞いている。
 自分が攻撃をしているのに、自分の脳にもダメージを与えていたことだろう。父は、加害者なのだが、同時に自傷行為を行っている。だから、DVをしてもすっきりしないのだ。
 嫌いな相手を罵倒しているのではなく、愛する妻をいじめているし、愛する子どもを怖がらせている。その自責の念と、自分の言葉が突き刺さっている。
 実際に、うちのDVは一度始まってしまうと短時間では終わらなかった。それは、酷い言葉を言えば言うほど苦しくなり、すっきりしないので、やめ時が分からないのだろう。
 これに気が付くと、私が高校生の時に始めてしまった「不満に思う相手に脳内で汚い言葉を浴びせる妄想」もかなりまずい。
 相手に言っているつもりの悪口だったが、その心の声は全て自分に届き、自分を傷つけてしまっていた。
 あの妄想そのものが自傷行為だったのだ。
 よく考えると、DVが行われている間、無言でリビングにいる私は、母を助けてあげられない無力さを感じていた。そして、自分を責める言葉を心の中でつぶやき続けていた。それも自傷行為だ。
 つまり、私は夫婦喧嘩やDVの流れ弾で傷つけられて、同時に母を助けられない自責の念で自分を傷つけて、更に不満に思う相手に汚い言葉を浴びせる妄想で、日常的に自分を傷つけた。
 負の連鎖で、全ての刃を自分に向けていたのだ。自分が自分に味方をしてくれないなんて……。そりゃあ、生きていてもつらいわけだ。

 大学に入学してから、こんなにわが家の謎を言語化することに成功していた。なのに、当時の私は負の連鎖を断ち切れずにいた。

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