中途半端人間は何を成し遂げたいのか【13言目】
「中途半端が一番嫌いだからな」
そう言われてドキッとした。
その次に言われる言葉が頭の中で浮かんで、どうか言われませんようにと胸の内で拝んだが、その願いも叶わず、「毬花って全部中途半端だよな」と指摘された。
グサッときた。
悲しかったとかそういうのじゃなくて、図星のグサッと感だった。
中途半端は、ずっと自分でも思っていたこと。それをついに人に言われてしまった。
自分が情けなくなった。
確かに中途半端な人間だと思う。
全部とは言わないが、中途半端なことが多いと思う。
勉強も運動も中途半端。
いろんなことに興味を持っては、途中で飽きてやらなくなる。
小説だって、最近長編作を完成させていないし、書いてすらいない。
やりたいと言うわりに、全部が中途半端。
こんなに自分は中途半端な人間だったろうか。
なんだか思い返すと中途半端さが加速している気がする。
その加速の原因は「できない」を認めるだけで終わっていたからかもしれない。
そのときできなかったとして、できないことを悪いかどうかと評価するのではなく、今はできないだけと事実として自分の中で認める。
そうすることで、自分の心の安寧を保っていたが、その先の工程をまるまる忘れていたようだ。
「できない」とするなら、これから自分はそのできないとどう向き合いたいのか?
やるのかやらないのか。
随分とその整理を曖昧にしてきたような気がする。
それを受け入れた先で自分がどうしたいのか。
その答えを出していなかった。
だから、全部中途半端なのだ。
区切りをつけない代わりに、言い訳ばかり。
「興味がないわけじゃないけど」
「またやろうとは思っているけど」
「今の優先順位が」
書いてて思ってしまう。
自分、かっこ悪いな。
自分はできないの先で、それを成し遂げたいのか、成し遂げないで捨てるのか。
成し遂げたいなら何故、成し遂げたいのか。成し遂げた先で自分はどうなりたいのか。
せめてその判断を自分の中だけでも明確していればいいのに、できないからと他のものに関心を持ったように振舞ってただ逃げいただけかもしれないと思えてきた。
だから、自分が今何をしたいのかすぐに分からないんじゃないか?
いろんな穴を掘りかけては放って、どの穴も何も生まれない。水も溜まらなければ、花を咲かない。
自分はやりたいことにちゃんと向き合っているのだろうか。
いや、向き合っていない気がする。
ずっと何年も隣で「やりたいやりたい」とアピールしているのに、分かっているふりをして、頭で考えているふりをして、結果行動に移していない。
別のものばかりに手をつける。
でも、それは本当にしたいこととは別だから、それも時間が経てば手が離れる。
それをずっと繰り返してる。
中途半端から脱する方法。
自分が本当にしたいこととちゃんと向き合う。
そこに時間と労力を割く。
初歩的な部分からできていなかったから、まずはその一歩を踏まなくては。
そうすれば、だんだん自分が逃げてるために手をつけていたものが分かる。
そうすれば、行動も断捨離できる。
ぼやけていた優先順位が見えてくる。
ずっと書こうと思っていた小説を書ききること。
設計図のノートを整理して、書き始めよう。
それを成し遂げて、自分は書籍にしたいのだ。
そっぽを向かないように今度こそは。