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塩野七生 ローマでの“大患” 自宅で転倒、法王さま御用達病院に入院したが…

文・塩野七生(作家・在イタリア)

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塩野氏

サマにならない闘病記

作家の闘病記となればやはり、胃潰瘍とか結核とか癌のように病気らしい病気でないと、まずもってサマにならない。読む人の同情さえも呼ばないからである。ところが私ときたら……。

異変は8月24日の午後に起った。天気は良いし散歩にでも出るかと思ったのがいけなかった。寝室で外出着に着替えていたときじゅうたんに靴のかかとを引っかけ、無意識に頭を守ろうとしたのか右半身からモロに転倒したのだ。尋常でない痛みだった。てないので、這っていって息子に電話する。駆けつけた息子はすぐにも病院に行こうと言ったが、私は、今行ったら精神的にダメになるから一晩様子を見たいと答えた。動かないでいれば痛みは消えるので、その夜は意外にもよく眠れた。

翌朝、やはり病院に行くことにする。ただし前回に転んだのは街中まちなかで、近くにいた人たちが呼んだ救急車が運びこんだ病院の処置に満足していなかったので、今度はこちらの希望する病院に行くことにする。救急車とは、普通に頼めば最も近くの病院に運びこむものらしい。息子がスマホで調べた結果、望む病院に運びこまれるには私営の救急車に頼めば可能とわかった。イタリアは、理論的には国民皆保険が機能しているので、それに従っているかぎりはタダなのだ。とはいえ、理論的には、なのだから、日本よりはずっと、おカネを払う人への対処法は普及している。救急車もタダのところを私営に頼めば、125ユーロかかる。1ユーロは130円ちょっと。

ローマ法王御用達の病院へ

イタリアの首都だけに相当な数あるローマの病院の中でも有名なのが2つあり、中央を流れるテヴェレ河をはさんでその東側には、東大病院という感じのウンベルト1世大学病院。一方、テヴェレの西側にある病院の代表格がジェメッリ大学病院。前者は国立だが、後者は、ローマを訪れる巡礼のために創立した僧ジェメッリの名を今に伝えるだけに、ローマ・カトリック教会が経営してきた病院で、言ってみれば私立の雄。ヴァティカン公国の病院でもあるところから、正式の名は「カトリック大学付属ジェメッリ病院」となる。

確信犯的にアンチ一神教の私がなぜ「法王たちの病院」とも呼ばれているジェメッリを選んだかだが、それには宗教的な理由はまったくない。ワクチンを打ったときも都心にあるわが家からはタクシーで30分もかかるジェメッリでしたのだが、注射直後に何か起った場合の応急処置から始まってすべてが、評判どおりの機能ぶりであったからだ。なぜかローマではヴァティカンがからむと、美術館でさえも効率的に運営されるのである。

というわけで、翌日早々ジェメッリの緊急外来に運ばれたのだが、紹介者がいたわけでもない私は一介の老女にすぎない。それで国民皆保険の患者並みに、一般病棟に入れられる。8人の大部屋。ただし医者は、若いのがすぐに来た。診察の結果、即入院でベッドの空きができしだい手術。どうやら、お尻の骨とそれにくっついていた大腿骨が折れちゃった、ということらしい。その後は、何だかわからない検査をやたらとされる。それをされている間に、その係でもあるらしい若い医者に頼んだ。個室に移してください、と。
しかし、他の女たちのベッドが並ぶ中で、1人にしてほしいなどとはとても言えない。それで言った。私にとってはここローマでは息子が唯一の肉親で、今のように彼と離されたままでは私は精神的にもたないのです、と。コロナのおかげで、家族であっても日に20分しか面会できなくなっていたのだ。それが個室だと、面会時間には制限がなくなる。そうしたら、若い医師は言った。「個室に移ると、部屋の料金だけでなく手術料からすべてが保険外になるのですが」

「かまいません」が私の答え。おカネがありあまっているわけではない。だが、病院に入院したのは息子を出産したときだけ、というのが私のこれまでの入院歴。しかも、あのときの担当医は生れてくる子の父親だったから心配することなんて何もなかったのだ。それに出産は、動物でも一人で済ますのだから病気ではない。ところが私ときたらこの年齢になって、ちょっとした不注意が原因でこの有様ありさま。自分で自分に腹を立てているのだから、もう何でもいいや、という気分になっている。つまり、ヤケになっていたということ。その結果、税金を払っている以上は立派に資格のある国にいながら、何から何まで「保険外」の患者になってしまったのだった。

しかし、ちがいはやはりあった、と書きたいところだが、ただちに個室に移されたこと以外はあまりなかったのだが。

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ジェメッリ大学病院

執刀医の名はオマール

とはいえ、やたらとされた検査の結果は早く出た。それを持って、何と呼ぶのか知らないが、この大学病院の骨専門の部署のトップが、その日の午後には早くも助手1人を連れて病室に来る。そして宣告した。検査の結果、私の内臓は、とくに血液関係は、私の実年齢を考えれば20歳は若いくらいに機能しているから、相当な出血を伴うかもしれない手術でも充分に可能なこと。そうは言っても患部の化膿はすでに始まっているから、ボクの第1の助手で緊急外来もまかせている彼に、なるべく早く手術させます、と。つまり、種々の検査をしていたあの若い医師が、執刀医もやるというわけである。私の胸中には一瞬、助手にさせるとは私が重要人物でもなく紹介者もいないからか、という想いがよぎったが、そのようにハシタナイ想いはすぐに追い払う。なにしろ、明朝一番にすると決まったのだから、それだけでも優遇だ。だが、執刀医の名がオマールというのは気にかかった。

先月号のコラムで、アフガニスタンでのタリバンの勝利を書いたばかりなのだ。それにオマールとは、あの辺りに多い名前ではないか。2人が去った後で息子がスマホで調べたところ、ドクター・オマールの年齢はなんと32歳。歴史的にキリスト教の病院ということになってきたジェメッリで、非キリスト教徒である私を「切る」のがイスラム教徒かもしれない若い医者、という組み合わせは、その午後中私を面白がらせたのだった。

夏目漱石の「修善寺の大患」とまではいかなくても、私にとっては生れて初めての入院らしい入院はやはりショックらしく、それはまず言語障害になってあらわれる。「痛い」という言葉一つでも、イタリア人に囲まれているのに日本語しか出てこない。あわててイタリア語で言い直すのだが、どうも感じが的確に表されている感じがしない。その結果、口数が極端に少なくなる。

翌日の朝早く、明朝一番で、と言われたとおりにベッドに横たわったままで手術室に運ばれる。イスラム教徒かもしれない32歳に切られるのかという想いも、もはやまな板に乗った鯉の心境にある私には関係なくなる。

手術台に移されたときにまず眼に入ったのは、相当に広い手術室の一方の壁全面を埋めた桜の写真だった。桜の樹の群れを遠くから写したのではなく、咲きほこる桜の花の間にカメラを入れて写したという感じのカラー写真で、だから全体が、われわれ日本人にはなじみ深い桜の花で埋まっている。もしもここで死んだとしても桜の花の中で死ぬのだと思ったら、気分が一挙に落ちついた。

前日の部長の言葉どおり、複雑でむずかしい手術でないためか、執刀医以下のスタッフの数も少ない。ドクター・オマールと彼と同じ年頃の助手役の医師と、年齢はもう少し上の麻酔医と看護婦2人の少人数。32歳は私の耳もとでささやく。「麻酔は下半身のみにします。心配することはありません。執刀はボクがするのだから」

いやに自信ある32歳である。だが、桜の花に埋まっている想いでいる私は、もう何でもいいからやってくれ、の心境。もう一つの壁面に映し出されている患部のレントゲン写真なんて、見る気もしない。下半身のみの麻酔だから聴こうと思えば耳に入ってくる医師2人の会話も聴こえるはずだが、そんなものも聴く気がしない。ただただ、桜の花ばかり見つめながら手術に耐えたのである。それが終ったときも32歳は、私の耳もとで、成功です、輸血の必要もなかった、と言っただけだった。

そのまま、どこをどう運ばれて帰ったのかもわからない。来た道、というより地下の廊下、を通って病室にもどされたのである。その日から、手術患者専用の病棟での5日間が始まった。

メンタルケアはお坊さま

驚いたのは、手術の翌日に早くも、近くにあるリハビリセンターのトップが、オマールとともに病室を訪れたことである。私をいじくりまわした後で、2人で話している。それも医学用語で。これも医者を亭主にしていた後遺症の一つで、彼に医療関係のことはすべてまかせていたものだから、イタリア語は相当にわかっても医学用語だけは私の辞書にはない。でも、いまだに桜の花に埋まった気分でいたので、普通のイタリア語で説明してください、なんてことは言わずに放っておいた。普通のイタリア語で説明してくれても、どうせ私にはわからないのだから。

診察も終り話し合いも終って2人は去って行ったが、去りぎわにオマールは、もう一度患部を見た後で初めてニッコリし、きれいだ、と言って出て行った。外科医とは不思議な人種である。リハビリセンターのトップのロンコーニ教授のほうは、午後から「フィジオテラピスタ」を来させる、と言って去る。

「Fisioterapista」とは日本語でどう言うのか知らないが、普通の整体師ではなくて何らかの病いを癒やすのを目的にした整体師を言うらしい。手術の翌日に早くもそれが始まるのかと驚いたが、まな板に乗っている鯉だからしかたがない。とはいえ、手術後に早くも、メンタルケアのほうも始まるのは知らなかった。

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フランシスコ法王も今夏入院
©AFP PHOTO/VATICAN MEDIA

うらやましきは文豪漱石

病室の扉をやさしくたたくので、どうぞ、と答える。医者たちよりはずっと遠慮気に入ってきたのは、例の茶色の僧衣を着けたフランチェスコ派の修道僧。ジェメッリ大学病院が別名「法王たちの病院」と呼ばれているのを思い出したのだが、それでメンタルケアに送りこんでくる人も、精神科医なんぞではなくて坊さんなのである。

私はにこやかに笑って、「ボン・ジョールノ・パードレ」と言う。茶色の僧衣の聖職者は、何やら坊主らしきことを話し始める。魂の救済の大切さとか何とか。キリスト教徒ではない私も、礼儀は守っておだやかに聴く。

だけど、何となくかみ合わない。お坊さまが出て行った後で、同席していた息子が笑い出した。「ママ、そんなにニコニコして聴いてはダメだよ。こういう場合はすがるような眼つきをするもんですよ」。私も、我慢していた笑いを遠慮なく爆発させながら答える。「そのような眼つきは、よほど惚れた男に対してでもなければしない」

お坊さまは翌日も来たが、部屋の扉を開けて、お元気ですか、とたずねただけだった。そしてその次の日は、もう扉を開けもしなかった。勝手がちがう、ということが彼にもわかったのだろう。しかし、医師や整体師が訪れるのを私は、礼儀正しさ以上の熱心さで迎えるしかなかった。このまま何もしなければ寝たきりになる、と脅されたからである。寝たきりは、やはりイヤだった。

この病棟に入院中は日に1度、ドクター・オマールは様子を見に来る。そのたびに、この若いのに私は「切られた」のか、と思い出す。ただし、イスラム系かもしれない名の由来までは聞かなかった。プライベート情報に深入りするのは、もともとからして好きではないし関心もない。レオナルド・ダ・ヴィンチが私生児の生れであるのをこの天才の業績に迫る唯一の「鍵」のように言いたがる学者たちを、だからどうだっていうのよ、と思ってしまう私なので。

それで、毎日訪れる若き外科医も、職務に忠実だからとしか思っていない。しかし、これまた毎日来る息子にかかると、憎まれ口の対象にされてしまうのだ。100万円ものボーナスをくれた患者ならば誰でも親切になりますよ、というわけ。ちなみに、入院から手術からその後の入院料までふくめた費用の総額は、日本円に直せば400万円にもなる。持ってきてもらった本の中に夏目漱石の「修善寺の大患」があって、そこに漱石は次の一句を書いている。東京の本社にもどる朝日新聞社の社員の一人が、こう言い残して修善寺から発って行ったというのだ。

「もっと居たいが忙しいから失礼します。その代り手当は充分にするつもりであります」と。

これには、心底うらやましい想いになった。私も、歴史ものをすべて出している新潮社とコラムを毎月連載している文藝春秋には一応は入院したことを知らせたのだが、返ってきた答えは2社とも変わりなく、「大変でしたね、がんばってください、退院したら甘い物でも送ります」だけであったのだから。

だがこれは、出版元にとっての著者の重要度の差も示しているのだ。塩野七生の重要度は、「この程度」という、厳しい現実を再認識するしかなかったのである。まあ、比べるのが漱石では、再認識も、笑いながらではあったけれど。

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病床の漱石

「法王たちの病院」のオカシナオカシナ内幕

手術患者用の病棟に入れられていた間、私の精神衛生に役立ったのは、魂の救済を説く修道僧ではなくて、フィリピン生れの若い看護婦だった。仕事が出来るだけでなく、暇さえあれば私の部屋に来て、このジェメッリ病院に関する諸々の情報を聴かせてくれる。同じ東洋人ということで、親近感を抱いたのかも。

「法王たちの病院」と通称されるだけに、ここにはローマ法王専用の病室が常に用意されている。法王に選出されるのは高齢になってからが普通だから、当然の配慮でもある。つい最近も、骨折ではないが現法王も入院していた。ただし現職の法王なので、入院中とて任務まで休むわけにはいかない。そのためのスタッフ用も入れて、常備されているのは全部で四室。入院中の法王の看護役も全員が尼僧。そう言われて思い出したのだが、ポーランド出身のヨハネス・パウルス2世も浴室でころんでここに入っていたことがあった。「神の地上での代理人」ということになっているローマ法王でも、神様は例外にはしてくれないのである。

同じ最上階でも、法王用に常備されている部屋以外の病室は、イタリアの内外を問わず、超VIPに供されることになっているらしい。それで政治家たちも、キリスト教民主党系となると、大統領でもジェメッリを選ぶのだそう。左翼政党になると、テヴェレ河をはさんで反対側にある、国立のウンベルト1世病院に行くのかしら。何ごとも右と左は、ちがうことをしたがるものだから。

フィリピン人の彼女と話していて、入院費のすべてがここでは、事前に払い込むようになっている謎も解けた。お伴用もふくめて超VIP病室に入院していたカタールの王子が、おカネを払わないで帰国してしまったという一件があってから、「保険外」の病人はすべて前払い方式になったのだという。フィリピン人の彼女に言わせれば、イスラム教徒だからキリスト教の病院なんか、と思ったのかしら、となるが、それには噴き出しながらも私は別の理由を考えていた。

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ウンベルト1世病院

ヒポクラテスの教え

イタリアの大学の医学部では卒業するとき、卒業証書とともに「ヒポクラテスの教え」なる一枚も授与される。

それには、今なお「医聖」と呼ばれている古代ギリシアの人ヒポクラテスが遺した、医者になる者の心がまえ、なるものが列記されている。その大部分は、医療を求めてくる人には誰であれ助けの手を差しのべるべし、などというまっとうなことで埋まっているが、中に、いやに現実的な一行があるのだ。病人が完治しない前に、費用は払わせておくべき、という一行。いかに医療という聖なる仕事も、それを続けていくには現実的な配慮も怠ってはならないということか。だが、これに眼をつけたらしいこの病院の智恵には感心したのだった。

カタールの王子にこりたとはいえ、以後は異教徒は受け入れない、としたのでは、まずもって医聖ヒポクラテスの教えに反する。こうなると、アンチ一神教だが、古代のギリシアやローマや日本式の多神教ならばいいの、という私も、門前払いになりかねない。ところが、信仰のちがいにかかわらず病人はすべて受け入れるが、「保険外」を望む人だけは前払いで願います、とすれば、宗教上の差別も経済格差もなく受け入れることになるので、医聖ヒポクラテスの教えのとおりの医療施設になるわけだ。

ローマ・カトリック教会はあらゆる抜け道を見つける達人で、それゆえに2000年もつづいてこれた組織だが、医療という、科学的な精神なしでは成り立たないはずのジェメッリ病院も、その線で行くことにしたのだろう。というわけで、異教徒の私でも入院は続行可。とはいえ前払いのほうも、遅れることなくきちんと払う。ただし、ヒポクラテスに賛成だからではなく、見苦しい振舞いはしてはならないという、東京山の手の家庭のしつけを思い出したからではあったけれど。

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ヒポクラテス

教授とその仲間たち

8月も末日になった日の午後、手術患者用の病棟を後に、リハビリ患者用の病棟に移された。ロンコーニ教授の監督下に入ったわけ。とはいえ私の立場はあいかわらず「保険外」。病室も、家具などは病院そのものだからセンスも何もあったものではないが、それでも角部屋で、だから明るくてより快適。これは長居させられる、と覚悟する。迎えてくれたロンコーニ教授も、「ベンヴェヌータ」と言う。「よくいらっしゃいました」なんていう、医者の挨拶ってあるのかしらね。ちっともこんなところには来たくなかった私に対しての言葉なのだが、機嫌を損じるよりも笑ってしまった。

ここリハビリセンターの責任者らしいロンコーニ教授は、南伊出身の大柄な男で、50代に入ったかという年頃。めったに笑わないオマールとちがって、如才なく振舞うことも知っているのは年の功か。ここを退院するときは松葉杖なしで発たせます、なんて大風呂敷を早くも広げる。ところがこの人がなかなかのオーガナイザーであることは、まもなく判明するのだが。

この彼が考えたらしい私用のスタッフは、ベテランのフィジオテラピスタ(医療整体師)2人に、いまだマスター修得中の若いのが2人。それに女1人を加えた計5人で構成されている。この顔ぶれは、ルーティーンの都合でときに変わるが、まずはこの5人。そして、大学でも教えているので「プロフェッサー」と呼ばれるロンコーニだが、部長回診などという大ゲサなことはせず、毎朝1人でふらりと訪れる。この体制で、まずは10日間と決まった私のリハビリ生活が始まったのである。

リハビリセンターに移されてからは、「医療整体師(フイジオテラピスタ)」による施術も、量質ともに本格的に変わる。午前と午後の2回になったのだ。とは言っても、大量に血を吐いた文豪とはちがって、私ときたら内臓はすべて健全な骨折患者にすぎないので、いきおい“闘病”もコメディになってしまう。漱石の「修善寺の大患」は読む側の身体が震えるくらいの名文だが、私の“大患”はゲラゲラ笑う中で進むのだから。

ローマ式指導法

1日ごとの交代であっても午前中に来るのは、どうやら親分ロンコーニの右腕と左腕という感じの2人のベテランで、1人はマウリッツィオという名の40代半ば。本業はサーフをやりながらあちこちの海をまわることで、医療整体(フイジオテラピア)はそのための手段という剛の者。いつ来てもつい今しがた海から上がって半袖の施術衣に袖を通したという感じで、一言で評すれば精悍の一語。簡単には笑わないところも、ドクター・オマールと似ている。

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