私の焦りの正体と焦りからの抜け出し方
いかに効率的に早く進めるか
これが私のペースを守るための必要不可欠な価値観だった。
だからいつも逆算してスケジュールを立て、計画していた。
自分でやった方が早い。
人とやる方が面倒。
なのに、最近、私の生きる時速は
どんどんゆっくりになってきて
私は私のペースで進みたい。
と思うようになった。
ハイスピードで生きていた頃には戻れなくなりつつある。
どうやって生きていたんだろうかと(笑)
目の前のことよりも先々を見通して、
早く、早くと自分を急かし、周りを急かし、子どもたちをも急かしていた。
保育園で働いていた時に、この行事に追われる感がやだなと思っていた。
楽しいは楽しいけど、準備に追われ、進み具合や子どもたちの出来具合いを評価され、自分の保育を評価され、子どもたちの発達を促し、
だけど、その子のペースを守ってあげられず、無理やり成長を促していると感じたこともあった。
だから、私は保育園から、この環境から抜けたら、
楽になると思っていた。
自分の時間が増えたのに、消えない焦燥感。
早く早く、なにかやらなきゃと休むことができない自分がいたり
常に何かに追われ続ける現実が続いていた。
仕事を辞めてしばらく経ち、
なんでいつまでも焦るんだろうと疑問に思った時
私は焦らないことに焦っていたことに気付いた。
この焦りは私の幼少期の母との関係で
出来上がったものだと気付いた。
私の母は家で、内職をしていて期限までに仕事を仕上げ会社に持っていく。
これがだいたい週一。
家の中でよく起きていたのが、
締め切り前の母のいらいら、
忙しいからと話を聞いてもらえなくなる。
そして、夏休みなど学校が休みだと、母の仕事についていき、
近くのデパートで買い物とかしながら待っていた。
もともと私は時間にルーズなのだ。
母がまだ準備始めてないから大丈夫だろうなとくつろいでいると
もう出かける時間になってて慌てる。
そして焦らされるし、イライラぶつけられるし、
気まずいと思いながら、ついていく。
家で待ってる方が不安だったから、ついていく。
これが一回二回ではなく、小学校時代何回も何十回も繰り返されていて
慢性的に私の中に組み込まれていた。
母を怒らせてしまったという罪悪感、なんでそんなに怒られなきゃいけないのというもやもや。機嫌悪いオーラを気にしないふり。口をきいてもらえなくなる悲しさ。
この経験が尾をひいていたなんて…
自分でもびっくりした。
だから思い出として特に重要ではない
なんでもない思い出だったけれど、
根深い傷になっていたことに気付いた。
全然痛いと思っていなかった。嫌な記憶とも思っていなかった。
だけど、この慢性的な経験が
私がなにかするとき、日常過ごすときに、
早くしなきゃ、早くしないと焦っていたのは
お母さんに嫌われる。怒られる。
という無意識な反応を習慣的に身体と心が覚えてしまっていたのだ。
(ネズミの電気実験みたいなやつね、電気流れなくても反応しちゃうみたいな、相手が母じゃなくても反応するし、別に怒られる場面じゃなくても反応しちゃうみたいな)
私は行事に追われていると思っていた。
時間に追われていると思っていた。
だけど、追われていたのは、母に嫌われるかもしれないという幻想。
その不安、恐怖心が大人になっても
急がなきゃいけない場面だけでなく、
日常でも焦燥感がノーマルになっていた。
だから、大人が早く早くと子どもを急かすことって
かなりのプレッシャーになっていることを今更体感している。
私の焦燥感が母に嫌われるかもしれないという幻想だったと気付いた時
もうその焦燥感から抜けられるんだと希望がもてた。
焦燥感がなくなるわけでなく、長年の癖になっていることだから、
自分が焦っていると感じることはあるけど、一緒に不安感を絡めなくてよくなった。
今私は、ただ習慣として自分が自分を焦らせているのだから、
一旦止まる。
ただ無意識に身体や心が反応しているから止まる。
焦りの中で何を怖がっているのか?
焦りの中で、自分がこうしなきゃいけないと思っていることはないか?
焦りの中で、自分がこう思われたら嫌だと思っていることはなにか?
そんな質問を自分に投げかけてあげると、
だんだん焦りから抜けて冷静になってくる自分に気付く。
今私はどうしたい??
もっとゆっくりがいい。
もっとゆっくり。
今を感じていたい。
こうやって自分を内観していくこと
インナーチャイルドを癒していくこと
自分の思い込みに気付くことで
生きづらさから解放され、
自分らしく生きていけるようになる。
いつまでも、幼い子どものころのまま
大人との関係で身に付けた習慣をやり続けなくていい
生きなくていい。
そこから抜けていこう。
ゆっくり、ゆっくり。
何かに追われるような感覚で生きているあなた
一度試してみませんか??
おすすめ💕