こんなことがあっていいのか
お昼ご飯を食べ終わり、Twitterを見ているとトレンドに"木村花"の文字。
花ちゃんどうしたんだろう。そう思い名前の部分をタップすると信じられないニュースが飛び込んできた。
彼女が逝去、自らの命を絶ってしまったと。
おそらく過激な視聴者による、匿名の人たちからの罵詈雑言の攻撃によって。
涙がとまらなかった。どう表現したらいいんだろう、この感情は。
女子プロレスラーでもある木村花ちゃんは、テラスハウスの住人だった。
テラスハウスとは男女各3人ずつ、計6人が大きくておしゃれな家で共同生活をする様子を記録した、現在Netflixで配信されている”リアリティショー”という分野の番組だ。
テラスハウスは”台本はない”とされている。
(ネット上の噂はさておき)
住人のリアルな日常をカメラで撮られ、画面を通してリアルがそのまま全世界に配信される。
正直なところ、そのままというのは語弊もある。
1日24時間あるのに、実際に放送されるのはほんの一部に過ぎない。
だから切り取り方によっては、その場にいる人と画面越しに見る人と起きた物事の捉え方が変わってくるかもしれない。
実際本編を見た後に抱いたあまりよくない印象も、YouTubeにアップされている10分前後の未公開の動画を見るだけで、良い方向に変わることもよくある。
つまりほんの1時間の本編を見ただけで、住人のリアルな姿を理解しようなんて不可能なのである。
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去年このnoteに、テラスハウスの軽井沢編について書いた。
今回の2020年東京編のテラスハウスでアンチのかっこうの餌食となっていたのは木村花ちゃんだったが、軽井沢編では田中優衣ちゃんだった。
山ちゃんを中心とするスタジオメンバーの副音声ないし、コメントがあるのとないのだと、印象がかなり変わるのではないかということ。
カメラに映っているところ、放送された内容は彼らの生活のほんの一部で、それが全てではないんだなっていうのを他のテラスハウス出演者からの発言などからも感じられたこと。
だから私の目には、優衣ちゃんはちょっと不器用で、だけど面倒見の良い、そして自分の欠点にも向き合おうとしている普通の女の子に映りました。
以上、私のnoteからの引用。
スタジオメンバーの副音声の有無で印象が変わると書いたが、今回の東京のシーズンではスタジオメンバーだったチュートリアルの徳井義実さんが、途中で別の問題を起こしてしまい離脱してしまったことから、副音声が少し過激になったようにも思えた。
山里さんが毒のある発言をするのを、徳井さんが和らげてくれていた。
ちなみにこれは決して山里さんを批判しているわけではない。
また、先週のYouTubeの未公開動画では、住人のしおんくんと花ちゃんがご飯に行っている動画があり、そこでしおんくんの相談に耳を傾け、自分の経験をもとにアドバイスをしている様子を見て、これを本編で流したら花ちゃんのいい印象も伝わるのになあ、と思っていたところだった。
花ちゃんにSNSでたくさん批判の言葉や、人格を否定するような言葉、一部しか知らないのに彼女のことを全部理解しているかのような言葉をかけるような人がいることは知っていた。
優衣ちゃんのときもそうだったが、端からそういったコメントやツイートを攻撃的なものだと"報告"をしたり、本人にメッセージで「自分は味方だよ」ということを伝えたり。
※報告というのは、インスタグラムなどに備わっている機能で、攻撃的なコメントなどを報告すると、場合によっては運営側によって削除してもらえる
他になにができただろう。
息をするようにSNSをするようになったこの時代。
息を吸ったり吐いたりするのに、いちいち意識を持ってやらないだろう。
それと同じように、いちいち後先を考えずに人は平気でナイフを投げまくってる。
そういう心ない言葉のナイフによって、SNSは血痕だらけだ。
血痕で傷口も見えない。
できた傷は、私たちの身体にできる傷のように、薄くなったとしてもいつまでも残ってしまう。
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今回、花ちゃんの死が私をよりいっそう深い悲しみに陥れるのは、自分の応援している好きな子が同じような道筋を辿ってしまったらと不安になったのだ。
私の応援している好きな子というのは、とある女性アイドルグループのメンバーのひとりだ。
彼女はグループの中で正直人気があるとは言えない。
アンチが他のメンバーよりも多い。
彼女の気に入らないところを書き込むための匿名のアカウントを作っている人までいるほどだ。
書いてあることのほとんどは、ただの理不尽な誹謗中傷で批判でもなんでもない。
本人に届いてしまったらどうしようと、アンチの存在に最近悩んでいたからこそ、今日の花ちゃんの死を受けて、自分の好きな子が、顔のない不特定多数の人間に殺されてしまったらどうしようと焦ったのもあると思う。
私は、やっぱりそういう存在を許しちゃいけない。
野放しにしてはいけない。って改めて思った。
命を絶ってしまってからでは遅い。
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ここからは、わたしの行動が間違っていないかということだ。
私のモットーは、絶対に本人に心ない言葉は送らないし、直接じゃなかったとしても少しでも本人が見れる可能性のあるところには書かないようにしている。
だがしかし、そんな私も、テラスハウスをコンテンツとして他人の生活をのぞき見することが正しいことだったのかということである。
私は2012年にテラスハウスを見始めたのをきっかけにリアリティショーを見るのが大好きになった。
バチェラージャパンなども見たし、いくつかの海外のリアリティショーや、Abema TVでいくつもシリーズが放映されているのも端から視聴している。
私がリアリティショーを見るのが好きな理由は
・色んな境遇の人に出会えること。
・シリーズを通して成長が見れたりして、自分も頑張ろうと思えるところ。
・自分自身のよくない点と出演者のよくない点が重なり、自分のよくないところを客観視する機会になること。
・性格など、憧れや目標となる人に出会えること。
が主な理由である。
最初は面白いから見始めたのだが、今どうして見続けているのかを考えたときにこの理由が思い浮かんだ。
こうして並べてみれば、一見いいようにも見える。
だが、私たち視聴者の意見や反応も合わさって作られていくコンテンツが、犠牲者をうんでしまったということについてこれから考え直さないといけないと思った。
今回花ちゃんを死に追いやった主な原因は、心ない誹謗中傷を繰り返した人たちだと思うが、誹謗中傷などをしていない自分も視聴者として加担していたのではないか、と振り替える機会にしたい。
また、こういったnoteも本当に読んでほしい人に届かないだろうというのも永遠の課題である。
ネットのいい部分、素敵な使い方、たくさん知っている。
それで救われたこともたくさんある。
だからこそ、彼女を救う方法はなかったのかと悔しくてしょうがない。