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大正時代のスペイン風邪ポスター

この記事は『大阪歴史倶楽部』2021年12月11日の記事に加筆をして転載したものです。

九條です。

新型コロナウイルス感染症の感染がまた拡大をしていますね。第七波と言われていますね。

私はいま、大正時代に大流行したスペイン風邪(スペイン インフルエンザ)について、1922(大正11)年に当時の内務省衛生局がまとめた当時の政府の公式記録『流行性感冒』を時間があるときにボチボチと読んでいます。

これは本文485ページに付属の詳細な統計表が12枚。内容は専門的な用語が多く医学的な詳細な分析と統計ばかり。医学的・歴史学的には第一級の資料なのですが、私は医学者(医師)でも統計学者でもないために、難儀しています。

これは医学者・歴史学者・統計学者などとの共同研究による学際的な考察が必要で、私1人では到底、手に負えないなと感じています。でもまぁ、最後まで頑張って読んでみます。^^;

下の写真は、その内務省衛生局発行の『流行性感冒』の「まえがき」の部分です。

『流行性感冒』内務省衛生局発行 1922年
(パブリックドメイン/九條正博 蔵)

さて、スペイン風邪(スペイン インフルエンザ)というのは、1918年〜1921年にかけて世界中で大流行(パンデミック)したインフルエンザです。当時はまだ今のようなワクチンが開発されていなかったために、世界中でたいへんな数の犠牲者がでてしまいました。

我が国でも1918年〜1921年(大正7年〜10年)に、このスペイン風邪が猛威をふるいました。芥川龍之介や志賀直哉、与謝野晶子などをはじめ何人もの文豪がこの時のスペイン風邪について書き残しています。

下の画像は、そのスペイン風邪が我が国で大流行した時に内務省衛生局が発行した啓発ポスターです。

「手当が早ければすぐ治る」
「病人はなるべく別の部屋に」
「マスクをかけぬ命知らず!」
「うがいせよ  朝な夕なに」

上掲ポスター画像の出典:
『パネル企画展  晶子とスペイン風邪』
さかい利晶の杜(千利休・与謝野晶子記念館)2021年3月の展示より

★さかい利晶の杜さまより特別に許可を得て撮影・掲載しました(禁転載)。


さて、上掲の2枚目と3枚目のポスターに注目してください。2枚目のポスターの女性や3枚目の電車の乗客がつけているマスクが黒いですね。

これについては、作家で英文学者だった佐々木ささきくにが1925(大正14)年に発表した作品『女婿じょせい』の中の「くしゃみ」で次のように書いています。

今日こんにちでも東京の電車に跡をとどめている。

――咳嗽せき噴嚔くしゃみをする時は布片きれ又は紙などにて鼻口を覆うこと――とある。

くしゃみはその方針を一々いちいち電車の掲示に指定して置くほど人生の大問題だろうか?

鼻腔に故障のない限りは、頼まれても無暗むやみに出るはずのものでない。しかるに当時はくしゃみから世界風邪が感染したのである。西班牙スペイン人の男性か女性か知らないが、第一回にくしゃみをしたものゝ上に百千ももちの呪いあれ!

くしゃみはその処置を市当局でくの如く制定するほどの重大事件になった。この要旨を布衍ふえんして命を惜しい人は皆、烏天狗からすてんぐのようなマスクをつけて歩いた。

佐々木邦『女婿』より「嚔」1925年


これは、いまでいう咳エチケットとマスク着用の奨励ですね。

そしていまも烏天狗からすてんぐのような黒いマスクはありますよね。^_^


©2022 九條正博(Masahiro Kujoh)
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