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『青空』 森絵都

朝、目覚めてすぐに思うことは、それほど間違っていない。ふとそう思った。
枕の表面にまだ夢の名残りが沁みついているような、意識と無意識のあわい。朝焼けの空へ溶けいる闇をカーテンの隙間からながめつつ、気だるく薄目を開いたままでいる。そんなとき、まだ半分眠りを引きずった脳に自然と忍び入ってくる「思い」のなかには、粗末にできない真実がひそんでいる――ような気がする。
 (p.207)

「好きな人がわからない」という友人に、よく言っていた。
「目覚めてすぐに思い浮かぶ人が、好きな人なんじゃない?」
その持論は、あながち間違ってはいないと思っている。

大学生のころ、バイト中のナンパがきっかけで付き合った彼氏がいた。
10歳年上の彼にとって、私は明らかに遊びだった。
でも、社会人の彼は私にとって何故だか誇らしく、荒い運転も、棘のある言動も、そのすべてが格好良くうつった。
半年程度の交際期間を経て、なんとなく別れた。
どのようにして別れたのか、よく覚えていない。
その半年後、突然彼から電話がかかってきて「結婚した」と告げられた。
あぁ、やっぱり2番目だった、と改めて感じた。

しかし、私は彼と付き合ったことを後悔していない。
朝目覚めて彼のことを思うと、不思議と元気が沸いてきたのだ。
大学が嫌いだった私は、その毎日が、そのすべてが、嫌で嫌で仕方がなかったのに、「彼がいるから大丈夫!」としゃんと起きることができるようになっていた。
彼の存在に、救われていた。

「結婚したけど、会おうよ。チューぐらいはするかもだけど」
そんなアホなことを言われたので電話に出ることは無くなったが、その怒りや悲しみはとっくに忘れてしまった。

ただ、あの朝の感覚は未だに忘れていない。
大学生だった私に生きる意欲を与えてくれたことに、感謝すらしている。

さぁ、明朝私は何を思い浮かべるのだろう。
あいにく、夢のなかに出てきてほしい人もいないのだけれど。

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『青空』 森絵都 『出会いなおし』(文藝春秋、2017) 第6話に収録

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