M / フリーライター

コラム記事や、グルメサイトの取材記事を執筆。 / 作家が紡ぐ言葉の力や美しさを心に留め…

M / フリーライター

コラム記事や、グルメサイトの取材記事を執筆。 / 作家が紡ぐ言葉の力や美しさを心に留めておくだけでは勿体ないと感じ、ここに書き留めることにした。本を読んで思い出した事、感じた事を、勝手に記す。ネタバレ要素は殆どないが、あらすじを知りたい方には、全く役に立てそうもない。

最近の記事

「雪ト逃ゲル」 島本理生

「ほかの人にプロポーズされたから結婚する」 と切り札のように告げた。Kはしばしぽかんとしていた。私はまだ若くて今はもう似合わない短いプリーツスカートから膝を出していた。 「セックス抜きでもいいって。私がいるだけでいいって」 真剣な声を出しながらも、心のどこかで復讐を遂げたような達成感を覚えていた。 (p.147) 「エッチしてなくても、同じように会ってくれてた?」 酔いにまかせて、ずっと聞きたかったことを聞いてみた。 「当然でしょ」 そう言って私のおでこに軽くキスをした彼

    • 「ピエロ」 谷川俊太郎

      「ピエロ」 ピエロの素顔を見たことのあるのは ピエロのもとの奥さんだけです 泣き笑いの化粧の下にあったのは しわだらけのふつうのおじいさんの顔でした 素顔のピエロは泣きも笑いもせず 〈貯金はいくらたまったかね〉ときくのです ピエロのもとの奥さんはその貯金を引出して 十段変速の自転車を買って家出しました ふつうの顔をしたおじいさんピエロは あくる日月賦でトランペットを買いました (p.348) ファンデーションで隠したいものを全て隠し、アイラインを強く濃く引き、マスカラで睫毛

      • 「お医者さま」 谷川俊太郎

        「お医者さま」 お医者さまは病気をみつけるのが趣味です というのも近ごろでは何故か 病気になりたがっている人が多いからです どこも悪くなくてぴんぴんしてるのは 鈍感みたいで恥ずかしいという銀行員に 桃色と黄色と透明な薬をあげます ひとつも病気がないというのも病気の一種だと お医者さまは分かりやすく説明してくれます お医者さま自身ももちろん病気です なおらないように毎日湿布をしています (p.340) ずっと、希死念慮を抱いています。 これは、病気なのでしょうか。 精神科に

        • 「課長」 谷川俊太郎

          「課長」 課長は恋をしていました 高校生の娘が二人いるというのにね もちろん奥さんと奥さんのお母さんと シャム猫とスピッツもいるというのにね 課長は朝ひげをそりながら溜息をつきます 夜テレビで野球を見ながら涙ぐみます 昼間屋上でぼんやり街を眺めます なのに誰もそういう課長に気がつきません 恋をしていると知っているのは恋人だけ 課長の恋人も課長に恋をしているのです (p.339) 社長は恋をしていました 成人した娘さんが二人いるというのにね もちろん奥さんと奥さんのお母さんと

        「雪ト逃ゲル」 島本理生

          「黄金の魚」 谷川俊太郎

          《 黄金の魚 》 1923 おおきなさかなはおおきなくちで ちゅうくらいのさかなをたべ ちゅうくらいのさかなは ちいさなさかなをたべ ちいさなさかなは もっとちいさな さかなをたべ いのちはいのちをいけにえとして ひかりかがやく しあわせはふしあわせをやしないとして はなひらく どんなよろこびのふかいうみにも ひとつぶのなみだが とけていないということはない (p.112-113) 「ねぇ、わたし、幸せになれる?」 「なれるよ。これから。すごく良い手相だから」 このような

          「黄金の魚」 谷川俊太郎

          「いちねん」 谷川俊太郎

          「いちねん」 いちがつ いらいら にがつは にくい さんがつ さびしい しがつ しらけて ごがつ ごりおし ろくがつ ろくろく しちがつ しかられ はちがつ はったり くがつ くるって じゅうがつ じがでて じゅういちがつには じれじれじれて じゅうにがつ じきにしんねんおめでとう (p.221-222) はったりの8月が始まった。 昔は、はったりをかましているような男性が魅力的にうつった。 とにかくビッグマウスで、「もし自分が○○したら‥‥」と他者の批判をして、自分な

          「いちねん」 谷川俊太郎

          「サテライトの女たち」 島本理生

          「結衣さんって、普段なにしてるんですか?」 視線を向けると、残った新人ホストが人懐こい笑みを浮かべて答えを待っていた。長い前髪のせいか、やっぱり表情が暗く見えた。 「イベントのコンパニオンとか。でも、メインは愛人」 (p.59) 中学生のころ、「女性の顔は、本命顔と愛人顔に分かれる」とテレビ番組でやっていた。 何の番組だったかは全く覚えていない。 その翌日、「愛人顔のひと、萠ちゃんしか思いつかなかった」と真顔で言われた。 「え、ウソでしょ?」と笑ってこたえていたあのころの私

          「サテライトの女たち」 島本理生

          「夜のまっただなか」 島本理生

          「琴子ちゃん、さっきの話で俺に同情したんだろ。本当に簡単だよな、おまえ」 そう馬鹿にしたように言われた瞬間、全身の血が冷えました。 違います、違います、と何度も否定したら、後ろの壁に押し付けられ、お酒と甘い吐息にまみれたキスをされました。私は何度も北川さんを押し返そうとしながらも、心の底では泣きたくなるほどの安堵を覚えていました。 (p.10) 小説に出てくる北川さんは、もともと俳優志望で見た目の良い年上の男性です。 「おまえ」と呼ばれることで感じてしまう特別感、大人の魅力

          「夜のまっただなか」 島本理生

          『裏切らないこと』 三浦しをん

          「あんたは本気を貫く男にならなきゃいけない。簡単だよ。このひとだと思ったら、すべてを捨てて、すべてを捧げればいいだけなんだから」 (p.60) これを読んで、 「ここまで本気で愛されたら、幸せだなぁ」 と思うときと、 「いや…ここまでの覚悟はこわい。逃げたい」 と思うときがある。 すぐに思い浮かんだ人が「あんた」だったら…。 うむ…やはりこわい。 「幸せになってね」 と穏やかに言って、足早に逃げる。 二番目に浮かんだ人が「あんた」だったら…。 「どうした?大丈夫?」と

          『裏切らないこと』 三浦しをん

          『爽年』 石田衣良

          結婚とか、仕事を決めるとか、家を買うといった、人生にとってほんとに重要なことは、あれこれ考えずに自分の感覚で決めようって。固くて不自由な頭なんかよりも、感覚のほうがずっと賢いとぼくは信じてるんだ。 (p.161) 「崖の上のポニョ」を初めて観たとき、序盤で泣いた。 ポニョは、「宗介のそばに行きたい」という気持ちだけで人間になる。 宗介に拒否されるかもしれない、嫌われるかもしれない。 そんな不安は一切感じない。 ポニョの一途な気持ちが、私の胸を打った。 この決断ができないと、

          『爽年』 石田衣良

          『ベッドサイド』 林あまり

          ほんのすこしマッサージしてもらったらそこに涙が溜まっていたので (p.89) ベッドにうつ伏せになると、マッサージをしてくれた彼を思いだす。 右を向くと私の前髪に触れる彼を思いだし、左を向くと後ろから腕をさすってくれた彼を思いだす。 仰向けになると、彼の香りがする気がする。 こんなつもりじゃなかったんだけどな…。 これまで生きてきて、そう思うことが多かった。 恋も、仕事も、人間関係も、全部、ぜんぶ。 そのひとと眠ったベッドに横たわりむすんでひらいてしてみる手のひら (

          『ベッドサイド』 林あまり

          『青空』 森絵都

          朝、目覚めてすぐに思うことは、それほど間違っていない。ふとそう思った。 枕の表面にまだ夢の名残りが沁みついているような、意識と無意識のあわい。朝焼けの空へ溶けいる闇をカーテンの隙間からながめつつ、気だるく薄目を開いたままでいる。そんなとき、まだ半分眠りを引きずった脳に自然と忍び入ってくる「思い」のなかには、粗末にできない真実がひそんでいる――ような気がする。 (p.207) 「好きな人がわからない」という友人に、よく言っていた。 「目覚めてすぐに思い浮かぶ人が、好きな人なん

          『青空』 森絵都

          『テールライト』 森絵都

          以下は、森絵都著『テールライト』における、女性タクシードライバーと客との大晦日の会話である。 「でも、車の排気ガスが少ないせいか、この時期の東京は空がきれいですよ」 (中略) 「空?」 「街のネオンも少ないぶんだけ、月や星がよく見えるんです」 (中略) 「お正月のあいだも、きっと、ずっとそんな感じですよ。天気さえよければ」 「へえ」 「だからせめて、空を見上げていたほうがいいんです」 (p.153-154) 大学卒業後、私はお堅い企業に就職した。 電話の受け答えができなか

          『テールライト』 森絵都

          『あなたが消えた夜に』 中村文則

          神は全てを見てる。そういう言葉がある。でも本当だろうか? 見てるなら、なぜ世界は悲劇にまみれてる? きっと、あなたは今よそ見をしてるのだ。神のよそ見は、神からすれば一瞬かもしれないが、恐らく数千年の長さだろう。あなたは聖書時代にこの世界に現れてから、ずっと今までよそ見をしている。 (p.397) 新型コロナウイルスに世界中の人々が翻弄され疲弊している姿を、神は直視できずにいるのだろうか。 現実を直視すると、不安でたまらなくなる。 私が感染して、親にうつしてしまったら。 今

          『あなたが消えた夜に』 中村文則

          『むすびめ』 森絵都

          「正社員なだけいいよ。俺なんか正の字もらったことないぜ。求人はねえし、バイト先でもゆとり世代ってだけで差別視されるし、俺ら、つくづくツイてねえよな」 正の字に逆行するがごとく、まばゆい黄緑のTシャツを着た茶髪男子ーー思いだした、牛乳を鼻から飲めるボンチョだーーのぼやきに、「ほんと」「マジ、マジ」と周囲から共感の声が飛ぶ。 (p.110) 40代後半の知人男性と「なんだかんだ、派遣社員は立場が弱い」という話をしていたところだった。 彼は職人として仕事をする傍ら、派遣社員として

          『むすびめ』 森絵都

          『定年ゴジラ』 重松清

          以下は、重松清著『定年ゴジラ』の「文庫版のためのあとがき」より抜粋したものである。 街を歩く定年族の皆さんは、ぼくの父親の世代でもある。我が家でもその時期、実父と義父があいついで会社を定年退職していた。 観察というほど大袈裟なものではなくとも、しばらくたつと気づくこともある。どうも皆さん、失礼ながら元気がない。居心地悪そうに街を歩き、信号待ちでたたずむときなど、途方に暮れているようにさえ見えてしまう。 なぜだ――? その問いから、『定年ゴジラ』は始まったのだ。 (p.426

          『定年ゴジラ』 重松清