
「好き」が当たり前の中に埋もれてしまわないように
andymoriとにゃんたこと又吉直樹と
秋が来たな、と思った。
だってめっちゃ涼しかったもん今日。長袖着たよ、袖まくってたけど。
最近andymoriの『すごい速さ』をよく聴く気がする。いやよく聴く。
私の中のandymoriは?というとサークルの一個上の先輩が『革命』を歌ってたことがまず印象深い。
その先輩の空間を包みこむようでいて、かつ芯のある強い声の『革命』が好きだった。
それが僕とandymoriの最初の出会いだった。
数年後、にゃんたこさんのエッセイに『青い空』が出てきて僕とandymoriは再会を果たす。
偶然はさらに重なり、andymoriのギタボだった小山田壮平さんの詩集の帯には又吉直樹さんのコメントがある。
私の好きな人や好きなものがどんどん繋がっていく、というよりも実は既に繋がっていたことを私がどんどん知っていく。
この瞬間ほど「生きててよかった」と思うことはないかもしれない。
先生の「元気かい?」と私の悪い癖
週一で通っているボイトレスクールの先生は私が教室に入ると必ず最初に「元気かい?」と聞いてくれる。
それに私はいつも「元気です」と答える。
なんだか小学生の頃の出席確認を思い出して懐かしい。
あの時ほど活気に満ちた「はい元気です!」はもう出てこないが私はじゅうぶん元気です。
というか社会に出てから「キミ、元気?」とかあんまり言われないから、なんか聞かれるのも答えるのもちょっと恥ずかしい。
先生はなんで毎回元気かどうか確認してくれるんだろう?
先生だから?
もしかして元気じゃなさそうに見えてる?そんなやばい表情とかオーラ出てる?確かに痩せ型だし、昨日あんまり寝れてないからそう見えちゃってるかもしれない。
うわ、こういうこと考えてるってことはたぶん出てるし、見えちゃってるじゃん…
始まった。私の悪い癖だ。
「元気かい?」に恐らく深い意味は無い。いやあるかもしれないけど。
先生の優しさからくる挨拶の類いで、生徒みんなに平等に与えられている。私一人に与えられるものじゃない。
だけどそのシンプルなやり取りに救われる。
「元気かい?」と聞かれて「元気です」と答えることができる。
そこで「元気じゃないかもしれないです…」とか「元気じゃないです。」とか答えていない私はいまのところ「元気」なのだ。
それに気づくことができて嬉しい。
顔を洗って乳液つけて、髪を洗って乾かして、オイルつけてなじませる。
色つきリップを塗って唇パッパッ、最後にお気に入りの服を着てレッスンに出かける。
私は元気だ。
そしてなによりも私は歌うのが好きだし、基本全てに自信がない私が唯一自信を持って「歌には自信があります」と言える。
レッスンは辛いものでも苦しいものでもなく、私をさらに私らしくしてくれる素敵なものだ。
そこへ向かう私は紛れもなく元気なのだ。
先生の何気ない「元気かい?」によって、今日もまた私は自分が元気であると気づくことができた。
そしてこういう当たり前の中に埋もれがちな素敵なやり取りに気づかせてくれる私の悪い癖。
案外悪い癖ではないのかもしれない。
ただ正直なところ、こんなことを考えてる時点でちょっぴり元気じゃない気もするのです。
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