「ことばで説明してもそこにあるものを正しく伝えることはできない」 海辺のカフカ
海辺のカフカを読んだ。
「ことばで説明してもそこにあるものを正しく伝えることはできないから。本当の答えというのはことばにはできないものだから」
言葉にした途端、ありきたりで残念なメッセージに変わってしまいそうな恐怖がある。人生のいろんな場面で、異なる場所で、何度も読む価値のある小説だと思った。
私たちの社会には、想像力の欠いた人々がたくさんいる。私にもそういう部分があると思う。
突然起こる砂嵐のように、理不尽な暴力はふわっと沸き起こり、人から人へ巻き込みながら段階的に強さを増していく。
図書館に訪れた女性権利団体の2人組、自分が絶対に正しいという姿勢
性同一性障害である大島への中傷、差別
両親や先生による幼いナカタさんへの暴力、価値観の押し付け
学生運動に巻き込まれて無意味に死んだ佐伯さんの恋人
猫を虐殺してその心臓を食べるジョニーウォーカー
戦死したナカタさんの先生の夫、数百万もの命
ナチ軍の虐殺…
歪んだ環境。苦しいと思った。
無感覚に導かれ、暴力の連鎖に加担する人々。
人が人でなくなっていく姿。家族を失い、自分を壊す。
そして、犠牲となる子供達や残された人々。
海辺のカフカに出てくる登場人物は皆、何か失い損なわれている。
そして、その空白を満たそうと求める。
プラトンの神話に出てくる、失われた半身を求めて彷徨う人間のように、傷を癒そうとする。
母に捨てられた怒りと苦しみを押し殺し、生きてきた15歳の少年カフカ。
父を殺し(メタファー)、母と交わり(メタファー)、姉も犯した(メタファー)カフカは、自分を食い散らかしていく魔力的な流れに逆らうことができない。
カフカは、呪縛から逃れるように家を出て、高松での暮らしを始める。
図書館に流れる確かな時間、森で過ごすとても主観的な時間、環境や心情によって変わっていく時間の流れ。
そして、大きな森がカフカの心身を象徴するかのように描かれている。
大島との出会い。
大島は、カフカに対して森の奥深くは危険だから入るなと忠告する。
その助言が、かえって、森に関心を向かせ心理的に操作しているようにも思える。(私は、大島くんの神秘な魅力が好き。)
性同一性障害としてのアイデンティティーに悩みながらも、確固たる自己を構築してきた彼からのアドバイス、
「自分で考えるんだ」
「どうして彼女は僕を愛してくれなかったのだろう?」
「君のお母さんは君を愛していなかったわけじゃないんだ。もっと正確に言えば、彼女は君のことをとても深く愛していた。君はまずそれを信じなくてはならない。それが出発点になる。君の母親の中にもやはり激しい恐怖と怒りがあったんだ。だからこそ彼女はその時、君を捨てないわけにはいかなかった。君がやらなくちゃいけないのはそんな彼女の心を理解し、受け入れることなんだ。」
「母は僕のことを愛していたんだと君はいう。でもね、もし本当にそうだとしても、どうしてもわからないんだ。なぜ誰かを深く愛するということが、その誰かを深く傷つけるというのと同じじゃなくはならないのかということがさ。」
愛する苦悩を抱えたことがある人であれば、誰しも共感すると思った。
そして、向こうの世界でカフカは50歳の佐伯さんに出会う。
(入り口の石を開けてくれたナカタさんと星野くんの最高コンビに感謝。)
「私は遠い昔、捨ててはならないものを捨てたの。私が何よりも愛していたものを。私はそれがいつか失われてしまうことを恐れたの。だから自分の手でそれを捨てないわけにはいかなかった。でもそれは間違ったことだった。」
二人は許しあう。
友達、愛する人、文学、自然や自分自身との関係によって、失われた何かを回復させながら、価値観を形成していくカフカの姿は、尊い。
同じように、暴走族出身のトラック運転手である星野少年が、特異な才能を持ったナカタさんや音楽によって、新しい人生の価値を見つける姿も微笑ましい。
あらゆる人物がメタファーや抽象概念として語られる中で、カフカが自分の闇と対峙し、母親を許し、生きる選択をして、東京に帰っていくシーンは、紛れもない現実で、その最後の場面が強く眩しすぎた。
佐伯さんとナカタさんは亡くなってしまったけれども、その魂は、カフカと星野さんの心に残像する。
そして、カフカが生きる意味に迷うときは、絵を見るのだ。確かにそこにある絵を見る。
とても素敵な作品だった。