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さようなら、ミルクを飲むきみ。

これは2019年の年末、娘が1歳過ぎたころに書いたものが下書きにあったので、公開することにしました。

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うすうすずっと思っていることがある。
きみ、ミルク飲まなくなったよね。

娘は、寝る前のミルクがいつもの日課で、だいたい80ml程度飲んでいたが、10ヶ月頃から30mlくらい飲んでは途中で遊び出すことが増えた。

お風呂を上がったあとに、自分の髪を乾かしたり、娘に服を着せたり、水を飲ませたり、でもママが何かを取りに行こうとすると泣いたりして、このわちゃわちゃした時間にミルクを作るのが大変だった。

そのうえ、少し飲んではちょっと吐き出し、結局ミルクじゃなくておっぱいがいいという感じになったりして、洗い物が増えるだけで少し負担だった。

「最近あんまり飲まないし、ま、いっか。何かいつもと違う感じがあればまた明日飲ませればいいや。」

そんな気持ちで哺乳瓶にミルクをその日は作らなかったのだ。そう思ったことは覚えているけど。いつでもまた飲めると思っていた。


でもその日からもう彼女が哺乳瓶でミルクを飲む姿を見ていない。


そりゃそうだ。何となく日課で飲ませていたが、ご飯という意味では離乳食が進んでいるから、ミルクは自然といらなくなってきたのだ。

少なめの夕飯の日も、寝る前にバナナを食べるようになり、ミルクの出番はますますなくなった。

次はムービーでもとりながら、最後の思い出に哺乳瓶でミルクあげようっと思っていたものの、月日は流れあっとう間に1歳3ヶ月になっている。

もともと、娘は混合で育てていて、次第にミルクより母乳を求めることも増えていたが、それでも、6ヶ月くらいまで夜中に目を覚ましてはミルクを作っていた。
娘は母乳を少し飲むと本当にすぐ寝てすぐ起きるをいつまでも繰り返していたので、夜中はぼぼミルクだった。夜な夜な何度も何度もミルクを作った。

私だけではなく夫や母が、父があげたこともあった。朝起きて哺乳瓶を洗い、消毒をして、粉ミルクは100ごとにミルククッカーにいれておき、その作業を何回もやった。

上手く哺乳瓶でミルクが飲めなくて、吸いながら混乱して泣き出したこともあったが、自分で哺乳瓶を持てるようになるまで成長した。そんな日々を思い出す。

しかし、私が哺乳瓶ロスになるのは、それだけではない。


産後、退院して実家に帰った時ミルクと哺乳瓶が彼女を救ってくれたからだ。

私は、実家に帰宅した次の日の夜、出血が止まらなくなり、救急車で運ばれた。娘を残して。

実家にはミルクと哺乳瓶を用意してあった。
母乳が出ないかもしれないし、一応買っとこうと、産前に用意しといたものだ。正直に言うとその頃は、母乳が出なかった時に必要なら後で買えばいいかな、あんまり使わなかったら勿体無いし、と甘く考えていたのだか、ふと、レジ近くのミルク缶が目に入った。

そこまで深い考えはなく、軽い気持ちで買っていた。実際、私は産後すぐに母乳がよく出たので、入院中全くミルクを使わずに過ごしていた。

家に残された小さな赤ちゃんが哺乳瓶でミルクを飲むのかどうか想像もつかなかった。

運ばれる時、パニックになってる母がミルクっていくつ飲ませるの?と聞いてきた。内心、おいおい、見てよこの出血を!こっちは今生きるか死ぬかの状態じゃい!とといきり立ち、「ネットで調べて!」と言い捨ててきた。

もちろんその時、2階から娘がわんわん泣いている声もかすかに聞こえていた。

救急車が来る直前、夫は2階に上がり、何か娘に言っていた。何を言ってるかは何となく予想がついた。


数時間後、病院で処置を受けた。何度か名字を大きく叫ばれていて、なんか新姓で呼ばれるとしっくりこないから旧姓で呼んでほしいわとぼんやり思っていた。外で待ってる夫はきっとこの声に驚いてるだろうなぁと思ったりもしていた。すごくショック状態だったんだと思う。

やっと処置が終わると、両腕には点滴で輸血や収縮剤がいれられ、尿菅もいれるとよくわからない数の管が身体につながり上しか向けない状態になっていた。

暗い病室で天井を見つめながら、やっとそこで私は娘を心配することができた。夫からいくつか私の現在の症状の説明を受けた。アレルギー反応が出たら教えてだって、とか、朝になったらまた先生くるって、とかそんなことだったと思う。(後から聞くと夫はこの時もし血液が止まらなかった場合の説明も受けていたらしかった)

「ミルク、飲めてるかな」

私は夫にぽつりと聞いた。

夫から「飲んでるって」と、言われた時、「ああ、良かった、娘も生きてるんだ」と思った。

そして、ミルクを飲ませてる実家の両親を想像した。

私がいないとすぐ泣くあの赤ちゃんのお世話ができているだろうか、心細く世話しているに違いないと思った。あんなにも非力な小さな赤ちゃんを残してきてしまったことに、なんとも言えない気持ちになった。

いや、でも、ミルクがある。ミルクを飲めれば、なんとか生きててくれるはず、そう思った。

娘は私の不在にも関わらず、ミルクを沢山力強く飲んでいたらしい。ママの声が聞こえなくなって、生き伸びることに必死だったんだと思う。


そのミルクを、命綱ともいえたあのミルクを、今はもうすっかり飲まなくなった。


今年やり残したことはないか考えてるうちにどうしても最後に娘の哺乳瓶でミルクを飲ませたくなった。

しみじみ、あの時買っておいてよかったなぁと哺乳瓶を手に取った。

夫に動画をとってもらいながら、どきどきして、娘にミルク入りの哺乳瓶を見せると、少しだけ飲んだ。

半年前まで飲んでいたのに、すごく懐かしい感覚に襲われた。娘は、ちょっと変な顔をした。おもちゃとして楽しんでいる感じで、上を向いて飲みづらそうでもあった。何これ、ふふって感じで。



ミルク卒業、おめでとう。そして、哺乳瓶との生活、さようなら。

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