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夏目漱石著『門』読了。

ぬるっと、或いはサクッと終わった感じがしたのでとにもかくにも解説を読んでみる。
「人間関係(三角関係)に初めてメスを入れたという点で夏目漱石著作読者にとって重要な作品である」といった旨が書かれており、なるほど、と。
どこから書くかが難しいのでひとまずそこに焦点を置いて書こうと思う。

宗介と呼ばれる中年代の男が主人公で、その妻の御米と二人が中心となって話が進んでいく。
宗介には年の離れた弟の小六がおり、親戚の家にやっていたのだが親戚側のお金の都合により宗介の家にやってくることになる。
宗介達は崖の下に住んでいるのだが、その崖上には大家である坂井宅が建っている。大家は子供が何人かおり経済的に余裕もあり、口には出さずとも(出していたかもしれないが)、宗介のとても豊かとは言えない現状を自分自身にあてがっては坂井の家とを透かして見ている描写が描かれていた。その坂井宅の主人にもその地を離れている所謂放浪者な弟がいて、その弟の懇意にしていて行動を共にしている安井という人物が、御米の兄であり宗介が学生時代親しかった人物でもある。

世間の狭さを感じずにはいられないが、とにかく複雑さを帯びた人間関係が、我々が奥底のものから逃げ惑うことを許さないと言わんばかりにリアルに描かれている。
家の縁側には日が差し込んでいるのに、決して爽やかとは言えない違和感が始終付き纏い、重い空気が腰をおろすかのように感ぜられる。
それは宗介の【中】にある御米、小六、坂井、安井との関係があって互いが互いに影響しあった結果縺れてしまったものなのだけど、最後はそれにとうとう手を出すことなく話が終わる。

『坊ちゃん』を読み終えた時は、やはり何も解決しないまま物語だけ終わっていて、「この人は気が済むために小説を書いてるんだなぁ」と思った記憶があるのだが、『坊ちゃん』と違うところと言えば、“気は済んだ”のだろうけど全く清々した感じがない、というか冒頭から雑音無しめの状態から始まっていて、まさしく読者は今から困難な問題を目の当たりにしていくという予感にいきなり迎えられ出口を塞がれた、ような感覚があった。

実際宗介はそうで、行くにも戻るにもどうにもできない地点まで来てしまっている。その事実がどんどん宗介の日常の延長線上にいる御米らへの“距離”を歪めてしまっているのかもしれない。(彼の唯一の日常は行き帰り含む仕事のルーティンである)(歪められたそれは到底手に負えない非日常になってしまった)

『解決しない』というのは重要なポイントだと思っていて、夏目漱石自身が実際にこういう体験をしたから書いていたのか或いはこれは全く空想のものであったとしても、この本に描かれていることが解決されて欲しいと思っていても、あの関係性が1行あけてその次の1行後には全ての人間の蟠りが一点の曇りなく晴れ渡っていて全員がにこやかにその後を過ごす事になっていても実はおかしくなくって、でもそうじゃないということは前述のものが形だけの解決であり本当の意味での解決ではないことを意味していて、そういう意味ではそこに踏み込むことなく物語の終わりを迎えたというのは、ある種の解決というか解決を象れるものなのかもしれない。気が済むというよりもそこに腰を落ち着けた、という方が正確だろうか。
なんでタイトルが『門』なんだろうと不思議に思っていたけど、入るも出るも押すも引くも行くも去るも同じだから門だったりして、と思ったりして。

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