MIMMIのサーガあるいは年代記 ―63―
63/n
第 四 章
-戦場のプリマドンナ2-
桃子は、地下防空壕(核シェルター)の非常用脱出口から地上にでたものの、このまま全身をあらわにして路上を進むのはさすがに拙いと思い、路上を離れ茂った草をかき分けて-実は稲穂が伸びた田圃の中だった-進むと小さな土手に突き当たりました。夜目にも小さな川が行く手を阻んでいます。しかも川の只中には、遠くの火災の明るさをさえぎる樹木が幾本も生えていることが分かりました。
しかし彼女は身を隠して敵の野戦司令部に行き着くには、ここを渡るのが最短で姿も隠せると考え、円匙の柄を突き出して足元を探りながら土手を下り、水が干上がっている川中を過ぎて、向こう岸へ到ります。慎重に土手から顔を覗かせ自宅の様子を透かし見ました。
火の手はさらに勢いがあがり、辺りを照らし出しています。発煙筒が何本も使われて、煙幕が丘陵の麓と外壁を覆っています。そこに向けて敵歩兵が身を隠さずにゆっくりと歩いて攻め込み、歩兵を積んだトラックや箱乗りをしている車輌なども外壁破壊口をめざしていました。
メキシコ人たちは外周部での防衛を諦め、敷地内の蛸壺や塹壕で孤立しながら闘うことしかできなくなっていることが自明でした。
焦燥感がさらにつのる桃子は、土手を下り、邸宅へ向かいます。
ふと、視野の端に動きを感じます。
身を投げ出すより早く、横から銃声が一発響きました。土手の坂を転げ落ちて平蜘蛛のように身を伏せて周囲を探ります。敵に挟まれ、攻撃をうけたのですが、彼女にあるのは円匙の柄一本だけ、ただの短い木の棒切にすぎません。これでどう銃器に対抗できるのでしょうか。
自分が伏せている場所はもうバレているに違いない、と桃子は諦めました。反撃する術がありません。ただ息を殺し、身を伏せたまま桃子は、次の一弾を待ちました。外れるか、頭を貫通し脳みそを派手にばら撒いてくれるか? 外れても二発目か三発目は命中するでしょう。できたら一発で苦しまずに終わらせて欲しい、と彼女は頭のかたすみでぼんやりと考えていました。
……
永い時間のように感じましたが、実態は一分程度でしょう。……新たな発砲はありません。右の方から不明瞭な音がしました。
「桃子お嬢。動くな、そのままじっとしとけよ。そっちへ行くから」彼女は大きな安堵の溜息をつきました。源さんの低いささやき声です。
地面に何かを引きずるかすかな音がしますが、姿が見えません。
「婆さんの言いつけを破りおって。……それに不用心もはなはだしい」源さんが近くで囁きますが姿がありません。草の繁みがあるだけです。
「源さん……どこ?」
「気づかぬのか」こう答えたあとで、彼は小気味よい滑らかな音で騎銃の槓桿を操作して殻薬莢を排出しました。薬莢が飛び出す際に炎に反射するのを畏れて掌で覆うという慎重ぶりです。
彼は草木でその姿態を巧みに偽装していて、草叢としか見えなかったのです。
「夜間行動も偽装もなっておらん。野戦では生き残れんぞ。エリカやメキシコ人がえらく誉めていたが、さっぱりだな」と言うなり、自分の偽装から草を抜き取ると、彼女の肩や頭に取り付けました。
「目の端にはいっただけで、人は頭と肩で本能的に見分けがつく。自然界の景色のなかでは、これほど不自然な形はないからな。すぐ目につく」と、呑気に解説します。
「それどころじゃない! もう時間がないのよ。あれが見えないの?」と、彼女は叫びそうになり、火焔がたちのぼる方角に顎をしゃくりました。
「慌てても碌なことが……というか急いでもどうしようもない。とにかくついて来い。ゆっくり動け、姿勢は極力低く、音は立てるな。屁もひつるな」
彼女は源さんの草叢に従って匍匐前進しました。
その先では、火焔を背景にして二人の男がこちらに体をむけて、左右を見渡していました。距離はおおよそ五十メートル弱です。さらにそこから離れたところにSUV(スポーツ用多目的車)が一台停まっていて、屋根上に一人が立ち四方を探っていました。戦場の背後を警戒している動哨のグループです。他に何グループも分散配置されているのでしょう。
「用心深いことじゃ。阿呆たればかりでななさそうだ。お嬢。少し離れろ」と彼は囁くと、桃子とは反対側へ移動し小さな岩陰に姿を消しました。
源さんが発砲しました。左手の歩哨が倒木のように地に伏しました。命中です。源さんは、蛸薬師小路邸の銃撃のタイミングに合わせ、発砲音を紛らわせました
右の歩哨は異変に気づき、警戒しながら片膝をついて標的もわからずに乱射しようとしますが、源さんは敵が発砲する前に倒してしまいました。素速い槓桿の操作音が終わらぬうちに、彼は照準を移して車上の一人も倒しましてしまいました。
この一連の、ほんの四秒くらいの夜間射撃を横で見て、桃子はいままで大法螺話と片付けてきた源さんのガダルカナルとインパールでの従軍も、あながち嘘ではないように思いました。
「中腰で進んでもかまわん」源さんが振り向いてこう言いました。彼の顔は泥か炭で覆われていて、いつもの間延びした表情とは違い両眼が熾りのように不気味に輝いていました。
源さんは倒した三人の死体を確認することもなく、車体の陰まで忍び寄り、桃子に手招きをしました。
「さてこれから、どうしたもんじゃろう? 周りは敵ばかりじゃ」と、今更気づいたように独りごちしました。
この同時刻、お婆さんたちの状況は、戦国時代劇でいうならば城の本丸に火が放たれ、城主一族郎党は枕を並べて討ち死にする局面でしょう。女城主は、懐剣を喉笛に当てているか、介錯しやすいように首を差し伸べている筈です。
繰り返しの解説になりますが、ベンジャミンの部下に、敷地内へのヘリボーン急襲と、発見された隠しトンネルから敷地内に侵攻され、敵は予備兵力も動員した総攻撃に移っていました。蛸薬師小路側は、為す術がありません。傷ついたメキシコ人やエリカたちは、手元にあるだけの銃弾で壕や蛸壺で全周囲と闘っていました。勝算のない最末期の個別戦闘でした。
しかしお婆さんは、ゴンザレスがパニックルームに避難するよう勧めたのも拒絶して、司令棟脇の掩蔽壕にメキシコ人たちと潜んでいました。
「奥さま。これまでです」
ゴンザレスがすでに終局を確信して、覚悟の一言を告げました。このあと彼はスペイン語で何事がつぶやき、十字を切りました。
彼女はうちあおいでいた男扇子を勢いよく音を立てて閉じ、感情がこもらないが、しっかりとした口調でこう答えました。
「マイクを用意して。敵に聞こえるよう、国民全員にも聞こえるように通信機にもつないで、……発信は最大出力」
ゴンザレスは意味がわからず途方に暮れていると、
「急ぐのよ! けが人が助からない。ああ、それから橋本ナナミンをここへ連れてきて」
ゴンザレスはお婆さんの銃声をも上回る烈しい語調に愕き、訳も分からずに最後の命令に従います。
……
グラウンドスピーカーと通信機につながったマイクを、ゴンザレスが彼女に手渡します。
「もう話してもいいのね……。マイクテスト、マイクテスト」スピーカーから電気的に変調された大きな声が響きました。
「わたしはこの蛸薬師小路邸の最高責任者です。わたしのことはすでに調べているでしょう。攻撃部隊の指揮官通称ベンジャミン。それと民間軍事会社『ヴィヴァルディ』に雇われた傭兵たちに告げます」お婆さんは端整なキングズ・イングリッシュで放送しました。
「いまあななたちに、無条件降伏を勧告します。ただちにに武装解除して立ち去りなさい。繰り返します。無条件降伏を勧告します。武器を置いて立ち去りなさい」
自信にみちた口調でした。
(つづきます)
※ 冒頭の画像は、お絵かきAI (Image Creatorで)作製した『戦場のプリマドンナ』の一部分です。せっかくですので全体画像を次に添付しておきます(Microsoftさま、感謝です)。