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「わかりあえない」壁に、はしごをかけて

『「わかりあえない」を越える』。この本のタイトルを目にしたとき、心の隅がちくりとすると同時に、どこからか光が射すような気がした。

「人はしょせんわかりあえないのか」と傷ついてきた私と、「それでもわかりあいたい」と思っている私。その両方があるからこそ、「できることなら、ぜひその方法を知りたい」とページをめくった。

著者のマーシャル・B・ローゼンバーグ博士はNVC(非暴力コミュニケーション)を自ら開発し、提唱してきた人だ。本書はその具体的な方法である「平和のことば」で話すことについて書かれている。
「平和のことばは、本来人間が持っている思いやりの心を花開かせるようなつながりを、相手とのあいだに結ぶための方法です」(本書「はじめに」p.24)


そもそも、わかりあえなさとは、どんな時に生じるのか。

それは、
「おもちゃを片付けなさい」と子どもに言って「やだ」と返される時。
「よい親であらねばならない」という地獄に陥っている時。
息子に喫煙をやめさせたいのに、やめてくれない時。
遺産の分割をめぐり兄弟が揉めている時。

本書に出てくる例は、家庭内での身近なシーンだけにとどまらない。
ゲットーのギャングとの対話や、敵対する部族が、家族を殺された恨みを越えて平和を取り戻すための対話など、その規模や幅は限りなく広い。
相手がテロリストであっても、顔のみえない「組織」や「社会システム」であっても、そのとき対峙する「人」をひとりの人間とみなし、心のつながりを作るコミュニケーションが可能だというのだ。

しかも、家庭の日常から社会システムに至るまでが、すべて同じ「平和のことば」の文法でカバーされている。
ほんとうに?
疑いたくなるが、本書で紹介されているすべてのケースは、ローゼンバーグ博士が実際に出会った「実践の記録」として綴られている。
これらは、ほんとうに起こったことなのだ。
しかも、どの話も真剣ながら端々にユーモアがきいているところが、読んでいて楽しい。


「わかりあえない」壁にぶちあたったとき、なすすべもなくあきらめるのか、壁を越えるための方法を試してみるのか。
本書の副題は「目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC」とある。
目の前に、共に未来をつくりたい人がいるだろうか。
自分に問うてみると、いる。たくさんいる。
傷ついた経験はあれど、今、縁がある家族や仕事仲間たちとは、「わかりあえない」と距離をとりたくない。「わかりあいたい」「わかりあえない部分があるとしても、ともに未来をつくりたい」と強く思う。だからあきらめずに、わかりあうための方法を、私は学び続けている。

平和のことばは、これまで私が使ってきたことばと、どこが違っているのか、例をあげてみよう。
私が印象に残ったのは、「リクエスト」「謝罪」「感謝」についての3点である。
まず、「リクエスト」について。誰かに何かをしてほしい時にする「リクエスト」と、「強要」は違うとある。なるほど、私はずいぶんと強要してきたし、されてきた。強要するとそれは叶いにくいし、こちらの言う通りにしてもらえたとしても、つながりが育たない。
次に、一般的には良しとされている「謝罪」について、本書では「簡単すぎる」としている。
形だけの謝罪でもなく、悔いて自分を責めるのでもなく、心の底からの嘆きこそが、自分にも相手にも癒しをもたらすと書かれている。心情として想像できるし、深いところでは腑に落ちるのだが、これを使いこなすには、まだまだ練習が必要そうだ。
そして、「感謝」についての記述も目新しい。これまた一般的に良しとされている称賛や誉め言葉については、有害とまでしている。また受け取る時にしがちな謙遜についての警告も書かれている。では、平和のことばでは感謝をどんなかたちで伝え、受け取るのか。これについても、もっともっと咀嚼して、理解して、反復練習したい。

「平和のことば」は文法としてはシンプルだが、私たちの受けてきた教育とはあまりに違いすぎる。自分のものとしてすんなり使えるようになるには、少し時間がかかりそうだ。
日本語を聞きながら育ち、次第にそのことばで思考し、人とつながってきた。
それは日本語には違いないが、中身は「平和のことば」の文法にのっとってはいなかったんだな。

私を育ててくれた人たちも、「平和ではないことば」によって育ってきた。
かつては手をとりあったが残念ながら別れてきた人たちも同じだ。
誰も悪くない、知らなかっただけである。
本書は、どんな環境に育ったとしても、「平和のことば」が学べることを示している。
ゲットーのギャングが、NVCのトレーニングを必要としたように、私にもトレーニングが必要なのだ。

私は2009年にNVCと出会い、以来ゆるやかに断続的に学びと実践をしてきたが、いまだ「平和のことば」を使いこなしているわけでは全然ない。
しかし、人間関係も人生も各段に幸せになっている。ちょうどNVCを学び始めた頃に2度目の離婚をし、その後しばらくして3度目の結婚をした。今もパートナーと仲良く暮らせているのはカタコトながら、「平和のことば」を話せるようになってきたからだ。
同様に、NVCの開発者であるローゼンバーグ博士もまた、傷ついたりムカついたりした時に、自身の内側で「平和のことば」に翻訳しながら他者とコミュニケーションしている様子を描いてくれている。ほっとする。そしてとても参考になる。

平和のことばとは、選択肢なのだ。
知れば、学べば、自分の意思で選ぶことができる。
「道徳的に正しいから」とか、「市民の義務として」とかの理由で他者から押し付けられるものではなく、選ぶ主体は自分だ。目の前の相手とのあいだに、つながりを築きたければ、私たちは平和のことばを手に取ることができる。

人生で何度も「わかりあえない」壁にぶちあたり傷ついてきた自分と、幸福にみえる多くの人たちとの違いが何かずっとわからなかった。しかし、今はわかる。それは使う「ことば」だと。

もし今、わかりあえない壁の前に、傷つき佇んでいる人がいたら、本書を手に取ってみてほしい。わかりあえない壁を素手で上るのはきつい。「平和のことば」のはしごをかけて、上り始めよう。一段ずつ、変わっていく視界を味わいながら。

『わかりあえないを越える 目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』マーシャル・B・ローゼンバーグ著  
今井麻希子 鈴木重子 安納献 訳  海士の風 より2021年12月刊行 


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