家族の秘密
セルジュ・ティスロン 阿部又一郎 2018 文庫クセジュ
あらゆる真実が治療的になるわけではないが、それでも<秘密>はしばしば病原となりうる。(p.158)
途中、何度か挫折しかかった本である。
未解決の問題を秘密として抱えていた人の子の世代、孫の世代になって、秘密が漏洩することがある。
目の前の人の症状は、そうした親や祖父母の世代の秘密が反跳したり漏出しているのではないかと読み解いていく。
秘密を暴き出せばよい、というものではない。
この本の前半は秘密がどういうものであり、どのように現れてくるものであるのかを、解説する。
個人のレベルの秘密もあれば、社会のレベルの秘密もある。
著者はフランス人であるから、彼の出会うケースの中に落としているのはヨーロッパ戦線の体験であり、ナチスである。その体験への理解を通じて、日本での戦争を体験した人たちの記憶と秘密について、考えずにはいられない。
その体験が、どのように親の世代、私の世代、より若い世代に反跳するのか。
なかでも、「モニュメント建立されるたびに、何かが覆い隠されてしまう危険性がある」「集団との絆を強化することに重きをおくために、各々の経験のなかで最も個人的なものを放棄することを促す」。(p.134-)
この指摘は、たとえば、靖国のような存在の役割への理解の一助となるものだ。
暴き出すための読み解き方を教えてくれるのではなく、どのように秘密を病原とならないようにしていくのか。
この点は非常に臨床的であり、極めて現実的である。
自死などの死者について、あるいは、複雑な関係性、戦争や事故といった災害にまつわる罪悪感など、秘密になりやすいものを抱えている人に接する時の参考になった。
家族の自死や複雑な関係といった秘密にしがちな出来事を、子どもたちに「あなたのせいじゃないの」と伝えることに尽きる。
それも、伝えることに早すぎることはない、ということ。事実を知ることと意味をわかることは違う次元であるので、意味がわからないだろうと考えて情報を伏せるのではなく、事実は知らせておいて後から年齢相応に意味を理解することができればいいのではないか。
とはいえ、伝える側が感情的にならずに、自分の心が傷つかずに話せる形、話せる範囲から伝えていけばいいのではないか。
何度か挫折しかかったのは、我が身と我が家の家族の秘密とはなんだろう?と引き寄せるようにして読んだからだ。
そう考えると秘密はある。きっとこのような秘密があって、このように私に反映しているのだろうと理解はできる。
理解していくことで、じゃあ、どうしたらいいかと考えると、だんだんとつらくなった。
しかし、著者の目的は秘密が暴かれることではなく、新たな病因とならないよう、秘密を次の世代に持ち越さないための努力を提言することであるように思う。
あなたのせいじゃない。
それは、あなたのせいじゃないのだ。
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母の潔癖さ。それは、両親ともに、生殖機能を早くになくしたことに起因しているように思っていた。
それがある日、結婚して間もない頃に、父が海外旅行に行き、帰ってきた時に財布からコンドームが出てきた、「あちらの女性は優しいから」と言ったという、母の「浮気された」「自分は優しくないと言われたも同義だ」という傷つき体験があることがわかった。
そして、それはきっと、母方祖父の若い頃の芸者遊びであったり、お嬢さん育ちだった祖母が結婚式当日に伴侶と顔を合わせるような結婚をして子だくさんになり、家事育児に疲労困憊したり経済的な苦労をして、たびたび逃げ出そうとしたような風景が背景があってのことなのだ。
女性は苦労する。女性は貞淑でなければならない。女性は純潔でなければならない。
女性は家事に専念し、夫に尽くさなかければならない。夫に見捨てられないように。
それが、我が家の秘密であり、伝承となっていたように思う。
と同時に、一人っ子である私は、母の理想として、白衣を着るような仕事に就くことを望まれていたように思う。
また、男児であるかのようにしっかりとすることを望まれているとも感じていた。
それは母の理想の恋人であることと同時に、後継ぎ息子を立派に産んだという満足を満たすためであり、父が息子を持ちたいという願望をかなえるためであったように思う。
勉強になる一冊だった。きつかったけど。