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【バトル】量子力学の歴史はこの1冊で。先駆者プランクから批判者アインシュタインまですべて描く
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「量子論」の歴史はこの1冊ですべて知ることができる。天才たちの議論の応酬に大興奮
本書は、物理学の「量子論(「量子力学」とも表記する)」という分野の誕生前夜から現在に至るまでの、その発展の歴史が描かれている作品だ。
科学に関する本には主に、「科学的な知識を紹介する本」と「科学の進展の歴史を伝える本」がある。そして作品によってどちらの比重がより大きいかは変わってくる。
本書は後者、つまり「科学の進展の歴史を伝える」という方に重点が置かれている。もちろんそれを描くためには、どの科学者がどんな主張をしたのかという科学的な説明にも触れる必要があるわけだが、本書で描こうとしているのは主に、「量子論はどのように発展したのか」という歴史の方である。
あとですぐ触れるが、量子論というのは常識に反する主張を様々に受け入れなければならない幾多の天才科学者たちを悩ませた分野であり、そのため膨大な議論が繰り広げられた。中でも、「量子論の重鎮たちのリーダー的存在であるボーア」と「科学界にその名を轟かせる孤高の天才アインシュタイン」は、量子論の解釈を巡って最後の最後まで対立したことで知られている。
アインシュタインのものとして知られる名言は数多く存在するが、その中の1つに「神はサイコロを振らない」がある。実はこれは、「私は量子論など受け入れない」という決意表明なのだ。アインシュタインは死ぬまで量子論に反対し続けたが、それはつまり、アインシュタインが生きている間には、ボーアとアインシュタインのバトルに明確な決着がつかなかった、ということでもある。
しかし実は、ボーアもアインシュタインも亡くなった後、その論争に終止符が打たれることになった。そしてそこで明らかになった結論が、現在世界中で開発競争が繰り広げられている「量子コンピューター」に繋がっていくのである。
この記事では、本書に書かれている流れすべてに触れるわけにはいかないが、「量子論」への関心を抱いてもらえるように解説していきたいと思う。
量子論はどれほど難しいのか
20世紀(1900年代)に、物理学は大きな躍進を遂げた。そして、その躍進を支えた2つの理論がある。
1つは、アインシュタインが独力で作り上げた「相対性理論」だ。そしてもう1つが、この記事のメインテーマ「量子論」である。1800年代終わりの科学界には、「既に人類はあらゆる知識に到達した」という雰囲気が支配的だったようだが、1900年に入ってすぐ「相対性理論」が生まれ、「量子論」誕生のきっかけとなる考え方が提示された。人類は世界について全然分かっていなかったのだ。
そんな量子論だが、これは「相対性理論」とは違い、同時代を生きる数々の天才科学者たちの侃々諤々の議論によって少しずつ形作られたものだ。量子論に関わった物理学者の名前をズラリと並べてみれば、これでもかと言うほど有名な人物ばかりだと分かるだろう。そして、そんな天才たちが少しずつアイデアを出し合い、別の誰かの発想を批判し、新たな見方を提示することによって、それまでの常識を覆す理論が生み出されたのである。
本書はそんな歴史を概観できる作品で、長い長い映画を観ているような印象を抱くのではないかと思う。
さて、天才が数多く関わった量子論だが、そんな天才たちの「嘆き」の言葉が、本書には多数収録されている。ちょっと多くなるが、量子論がどれほど彼らを苦しめたのか理解してもらうのに必要だと思うので挙げていこう。
アインシュタインは後年、次のように述べた。「この理論のことを考えていると、すばらしく頭の良い偏執症患者が、支離滅裂な考えを寄せ集めて作った妄想体型のように思われるのです」
量子論にはじめて出会った時にショックを受けない者に、量子論を理解できたはずがない(ニールス・ボーア)
ヴェルナー・ハイゼンベルグが不確定性原理を発見する。その原理はあまりにも常識に反していたため、ドイツの生んだ神童ハイゼンベルグでさえも、はじめはどう解釈したものかわからず頭を抱えたほどだった
現在、物理学はまたしても滅茶苦茶だ。ともかくわたしには難し過ぎて、自分が映画の喜劇役者かなにかで、物理学のことなど聞いたこともないというのならよかったのにと思う(ヴォルフガング・パウリ)
もしもこの忌まわしい量子飛躍が本当にこれからも居座るなら、わたしは量子論にかかわったことを後悔するだろう(エルヴィン・シュレディンガー)
エーレンフェストはそれに続けて、「目標に到達するためには、この道を取るしかないというなら、わたしは物理学をやめなければなりません」と述べた
アインシュタインは、黒体問題の解決案を提唱したプランクの論文が出るとすぐにそれを読み、のちにそのときの気持を次のように述べた。「まるで足もとの大地が下から引き抜かれてしまったかのように、確かな基礎はどこにも見えず、建設しようにも足場がなかった」
ノーベル賞を受賞したアメリカの物理学者、マレー・ゲルマンは、そんな状況を指して次のように述べた。量子力学は、「真に理解している者はひとりもいないにもかかわらず、使い方だけはわかっているという、謎めいて混乱した学問領域である」
どうだろうか? 繰り返すが、ここで名前が挙がっている人物は皆、科学の歴史に名を残す天才中の天才たちだ。そんな科学者たちが量子論についてこれほど嘆いている。それほどまでに既存の常識と相容れない考え方を要求されたということだ。
さて、このような認識は、かなり後まで続くことになる。本書にはこんな文章がある。
著名なアメリカの物理学者で、ノーベル賞受賞者でもあるリチャード・ファインマンは、アインシュタインの死後十年を経た1965年に、次のように述べた。「量子力学を理解している者は、ひとりもいないと言ってよいと思う」。コペンハーゲン解釈が、量子論の正統解釈として、あたかもローマ教皇から発布される教皇令のごとき権威を打ち立てると、ほとんどの物理学者は、ファインマンの次の忠告に素直に従った。「『こんなことがあっていいのか?』と考え続けるのはやめなさい――やめられるのならば。その問いへの答えは、誰も知らないのだから」
1965年の時点では、謎はまだまだ残ってはいたものの、量子論という分野の大きな枠組みはきちんと完成していたはずだ。アインシュタインやボーアら、まさに構築している最中の人たちが嘆くのとは状況が違い、ある程度輪郭が完成し、理論としての形が整っている段階でさえまだ、ファインマンのような捉え方が一般的だった、ということだ。
科学者というのは、「理論や実験を通じて、世界はどうなっているのかを探求する人々」である。そんな彼らが、「世界がどうなっているのか理解するのは諦めよう」と言っているのだから、あまりに異常だろう。
この記事で紹介するのは、そんな白熱の議論と常識の転換によって生み出された量子論がどのように形作られていったのかという歴史である。
この記事は「アインシュタインの貢献」という観点で歴史を切り取る
本書は、量子論に関わる長い長い歴史の物語であり、そのすべてに触れることは困難だ(というか、すべて知りたければ是非本書を読んでほしい)。そこでこの記事では、「量子論の発展に、アインシュタインはいかに貢献することになったのか」という観点から書いていこうと思う。
これには明確な理由がある。
先ほどアインシュタインが量子論に対して反対したことを示す「神はサイコロを振らない」という言葉を紹介した。そして、具体的にはこれから触れるが、アインシュタインの反対にも関わず、量子論は世界を説明する法則として認められたわけであり、それはつまり「アインシュタインの敗北」を意味するだろう。
実際に、本書の訳者である青木薫は、解説でこんな風に書いている。
さて、アインシュタインが最後まで量子力学を受け入れなかったことについては、ながらく次のような理解が広くゆきわたっていた。「かつては革命的な考えを次々と打ち出したアインシュタインも、年老いてひびの入った骨董品のようになり、新しい量子力学の考え方についてこられなくなった」と。わたしが大学に入った1970年代半ばにも、そんなアインシュタイン像が、いわば歴史の常識のようになっていた
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