【感想】これはドキュメンタリー(実話)なのか?映画『女神の継承』が突きつける土着的恐怖
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ドキュメンタリーなのかフィクションなのか混乱させられた映画『女神の継承』が描く、巫女として生きる女性の葛藤と、継承の凄まじい恐怖
なかなか衝撃的な作品だった。とにかく映画を観ながら、しばらくの間混乱していたと言っていい。
フィクションなのかドキュメンタリーなのか判断がつかなかった
最も混乱させられたのが、「フィクションなのかドキュメンタリーなのか分からない」という点だ。私の場合、観る前の時点で映画についての情報を極力調べないようにしているので、余計こういうことになる。
観る前はフィクションなのだろうと思っていた。というのも私は以前、『哭声』という映画を観たことがあるのだが、『女神の継承』のプロデューサーが『哭声』と同じナ・ホンジンだという事実だけは知っていたからだ。というか。ほぼそれぐらいの情報しか持っていなかったので、なんとなく漠然と「フィクションなんだろう」と思って観に行ったという感じである。
しかし映画が始まってすぐ、「なんだ、ドキュメンタリーだったのか」と思った。映画はニムという名の霊媒師(巫女)をカメラが追う形で始まる。そしてその状況説明として、
という字幕が表示されるのだ。これを目にして私は、「なるほど、フィクションだと勘違いしていたが、実はドキュメンタリーだったのか」と思うようになった。
しかし話が進むにつれて、時々、「こんな状況、ドキュメンタリーであり得るだろうか?」と感じるような映像が時々流れるのだ。しかし、そういう場面も目にしてもなかなか確証は持てなかった。というのも、「ドキュメンタリーだと言われれば納得出来る範囲内の映像」だったからだ。映し出されているものが「事実」であるようには思えないシーンも出てくるのだが、しかし「これはすべて事実である」と言われれば、「そうか世の中にはそういうこともあるよな」と納得してしまうような、そういう展開が続くのである。
だからしばらくの間、「この映画はフィクションなんだろうか、それともドキュメンタリーなんだろうか」という点にかなり悩まされた。
さて、この答えについては後でこの記事でも触れるが、今はその真相を書かないでおいておく。知らないまま観たいという方は、ここでこの記事を読むのを止めていただくのがいいだろう。
映画の内容紹介
舞台となるタイでは、「精霊(ピー)」の存在が信じられているという。それは、「宗教」よりもさらに古いものとして知られる存在だ。またタイの中でも、東北部では特に「精霊」の扱われ方が別格である。他の地域以上に、リアルな存在として認識されているというわけだ。
彼らは、「自然を超越したもの」すべてを「精霊」と捉えている。「死んだ人間の霊」だけを指すのではない。精霊はありとあらゆるものに宿り、森、山、木々、水田、家々など、どこにでもいると信じられている。そして、そのような共通理解を強く持つある村に焦点が当てられるというわけだ。
この村には、「女神バヤンの巫女」として知られるニムがいる。カメラが密着すると決めた相手だ。しかし巫女といっても、「霊を下ろして違う声色で喋る」「霊に取り憑かれたように身体が揺れる」のような、よくある霊媒師のイメージを彼女はきっぱりと否定する。インタービューアーを「テレビの見すぎよ」とたしなめるほどだ。また、病気を治す力を持っていることは確かだが、ガン患者がやってきたら病院に行くように伝える。彼女が治せるのはあくまでも、「見えない力」が原因の病気だけというわけだ。
彼女は「女神バヤンの巫女」として村の人々を守っている。日々祈りを捧げたり、村の祭事に関わったりすることで、その存在感を発揮しているのだ。ではそもそも、彼女はいかにして「巫女」になったのだろうか。
なんと、「女神バヤン」によって「巫女になるべき者」が選ばれ、その役目が継承されていくのだ。
代々、ニムの家系に連なる女性たちが「巫女」として選ばれてきた。ニムが知る中で一番古い巫女は祖母であり、その後叔母に継承される。それからニムが選ばれたのだが、本来であれば、ニムの姉であるノイが巫女を継承するはずだった。
しかしノイは、巫女になることを全力で拒んだ。そのため、ニムが巫女を引き継ぐと決めたのである。彼女も昔は巫女になりたくないと考えていたのだが、今となってはどうしてあんなに嫌がっていたのか思い出せないと語っていた。
「巫女の継承」は、身体の変化として明確に現れる。その変化は最初、ノイの元にやってきた。女神バヤンに選ばれた証拠だ。体調が悪化し、生理が5ヶ月も続いた。しかしノイは、不屈の精神でバヤンを拒む。その後、ニムの身体に同じような変化が現れた。ニムは巫女になる覚悟を固め、代替わりの儀式を行ってもらう。それ以来ニムは、ずっと巫女として生きている。
ニムは今、ノイの夫の葬儀に参列するために車を走らせているところだ。ノイの夫の家系であるヤサンティア家の者たちは、何故か不慮の死を遂げることが多い。ノイの夫の父親は、経営していた紡績工場に保険金目当てで放火し、その後獄中で死亡した。ノイの息子マックは、バイク事故で亡くなっている。未亡人となったノイは娘のミンと共に、彼女たちの長兄夫婦と生活することが決まった。
葬儀の場でニムは、姪のミンの様子がおかしことに気がつく。気になって彼女の部屋に押し入ると、ウコンで作られたお守りのようなものが掛けられていた。ニムはミンを問い詰める。最近、誰かに話しかけられなかったかと……。
映画の感想
冒頭で「ドキュメンタリーだったのか」と感じてから、さらにしばらくの間はドキュメンタリーだと思い込んでいた。しかし、さすがに後半まで話が進めば、フィクションであることが理解できる。とにかく、2時間強ある映画の半分過ぎぐらいまで、フィクションなのかドキュメンタリーなのか判別できずにいたことにはドキドキさせられた。今の時代、それが何であっても「先に内容や評価を知りたい」という人の方が多い印象があるが、私としてはやはり、このような経験が出来るからこそ、「何も知らずに観る」というスタイルは止められないなと思う。
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