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【映画】ウォン・カーウァイ4Kレストア版の衝撃!『恋する惑星』『天使の涙』は特にオススメ!

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ウォン・カーウァイ監督作品5作を紹介!『恋する惑星』『天使の涙』など必見の話題作を含む、20世紀末を鮮やかに彩ったスタイリッシュな作品群

2022年8月、ウォン・カーウァイ監督作品5作が、監督自身の手による4Kレストアを経て劇場公開された。

さて、私はそれまで、「ウォン・カーウァイ」という映画監督のことを正直知らなかったし、もちろん作品についても同様である。だから、「あの監督の4Kレストア版が観れる!」みたいな動機で映画館に足を運んだのではない。

一方私は、「基本的に映画館でしか映画を観ない」と決めている。なので、「過去の名作を観る機会」はほとんどない。ただ最近は「4Kレストア版」「4Kリマスター版」などが劇場公開されることが多くなってきた。そしてやはり、そういう映画は「名作と呼ばれる作品」であることが多いだろう。なので私は、「なるべくレストア版・リマスター版は積極的に観るようにしている」のである。

そんな理由で私は、ウォン・カーウァイ4Kレストア版5作品をすべて観た。

さて、先に私の好き嫌いについて触れておこう。今回観た5作品の中で、私が一番好きなのが『天使の涙』である。そしてその次が『恋する惑星』。それから『花様年華』と『2046』がほぼ同列、『ブエノスアイレス』はちょっと好きになれなかったという感じだ。

ただ、この評価は「観た順番」にも依るかもしれないとも考えている。

調べてみると、ウォン・カーウァイ作品は「様々な形で歴史に翻弄された『香港』という土地を舞台にしている」という点にとても大きな意味があるのだそうだ。「様々な政治・国際情勢を背景にしながら、『そんな香港で生きる人々』を切り取っている」という要素も、作品の評価の一因になっているのである。

しかし私は、そういう背景的なことはほとんど知らず、作品からも読み取れない状態で映画を鑑賞していた。そのため、ウォン・カーウァイ作品の分かりやすい特徴である「スタイリッシュさ」に惹かれたと言っていいだろう。そしてその「スタイリッシュさ」は、この5作品で割と共通している。私はこの5作品を、『恋する惑星』『天使の涙』『花様年華』『ブエノスアイレス』『2046』の順に観たのだが、もし『花様年華』や『2046』を先に観ていたら、そっちを好きになっていたかもしれない。

またこの印象は、「5作品を短期間で一気見したからこそのもの」とも言えるだろう。

たとえ「スタイリッシュさ」が似通っていたとしても、作品鑑賞のタイミングがズレていれば印象もまた変わったかもしれない。しかし私は今回、1ヶ月間で5作品観た。つまり、「似た印象の『スタイリッシュさ』を続けざまに取り込んだ」ことになる。それで「先に観た作品の方がより良い印象になっている」という可能性もあるだろう。

いずれにせよ、私はウォン・カーウァイ作品の「スタイリッシュさ」にかなり惹かれたし、この記事ではそういう「表面的な見方」ばかりに触れるつもりだ。深い考察をしているわけではないので、そのような内容を期待している方はここで読むのを止めていただくのがいいだろう。

それでは、それぞれの作品を紹介していくことにする。


『恋する惑星』

劇場が満員だったことに、とにかく驚かされてしまった

さて、最初に観た『恋する惑星』の話から始めていくが、内容の前にまず、「映画館が満員だった驚き」に触れておきたいと思う。

私は元々本作を土曜に観るつもりだったので、その前日金曜の夜にチケットを取ろうと思っていたのだが、その時点で既に、シネマート新宿の335席もあるかなり広い劇場が満員で埋まっていたのである。シネマート新宿はよく行くのだが、あの広い劇場が満員になったところなどそれまで見たことがなかったのでとても驚かされてしまった。

そんなわけで、慌てて日曜のチケットを取ったのだが、結局私が観た回も満員だったようである。とにかく客席が埋まっていたのだ。さらに、ざっくり見た限りの印象だが、若い人が多かったことにも驚かされた。映画『恋する惑星』は1994年公開の映画であり、2022年に私が観た時点で約30年前の作品だ。「当時観ていた映画が懐かしくて劇場に足を運んだ」ということであれば、40~50代の人が多いはずだろう。

もちろん、昔の作品でもレンタルや配信で観れるわけで、そのようにしてウォン・カーウァイ作品に触れていた若者が、「4Kレストア版が上映される」と知って映画館に足を運んだ可能性もあるとは思う。しかし、鑑賞後に近くの席から、明らかに本作を人生で初めて観たのだろう若者の会話が聞こえてきたのである。

さらに、この4Kレストア版はなんと、私が映画館で鑑賞した時点で既に、配信でも観ることが可能だったのだ。つまり若者は、「今まで観たことがなく、かつ配信でも観られる映画を、わざわざ映画館まで観に来ている」ことになる。まず私は、この点に驚かされてしまったというわけだ。

若い人の間で「レトロ」「昭和」がブームになっているみたいなので、そういう流れでウォン・カーウァイ作品も話題になっているのかもしれないが、いずれにせよ、「30年近く前に公開された映画に、初日から若い人がじゃんじゃん押し寄せている」という状況が私にはちょっと不思議に感じられた。何にせよ、そのような強い引力を持つ作品と言えるだろう。公開館の規模が違うとはいえ、大ヒットアニメ映画ぐらいお客さんが押し寄せていたので、「アニメ映画以外でもこれほど劇場にお客さんを惹きつける作品がある」ということに少し感動を覚えさえした。


前後半でまったく異なる展開の物語であることに驚愕させられた

映画を観て一番強く感じたのは、「前後半で物語が繋がってないじゃん」ということだ。個人的な感覚では、「2つの短編映画が1作として提示されている」みたいな印象さえ受けたのである。

映画館で観たので時間経過はなんとなくの体感でしか判断できないが、私の感触では「前半の物語が全体の1/3」「後半の物語が全体の2/3」であるように感じられた。そしてその前後半で、主人公が変わる。前後半の物語の共通項は、「同じ屋台を舞台にしている」ぐらいだろう。それ以外には、前後の物語を繋ぐ要素は無かったと思う。実に変な構成だと感じられたし、正直「1つの物語としては成立していない」という印象の方が強かった。

ただ、非常に不思議なのだが、作品としてはすごく素敵に感じられたのである。正直、何が良かったのか上手くは説明できない。私は普段、割と「頭(思考)」で映画を観ているのだが、ウォン・カーウァイ作品は全般的に「心(感情)」が持っていかれる感じがした。その差が大きかったのかもしれない。

また、前後半で物語が繋がっていないだけではなく、「全体的にストーリーが破綻している」とさえ感じられた。前半の物語はまだ成り立っているようにも思えるのだが、後半の物語は「ストーリーとして成立してます?」と言いたくなったほどである。物語的な観点から捉えれば正直、「まったく意味不明」と言わざるを得ないだろう。

ただ、これもまた私にとっては不思議な感覚だったのだが、どちらかと言えば後半の物語の方が面白く感じられた。それは圧倒的に、屋台で働く短髪の女性フェイの存在感に依っていると言えるだろう。後半の物語がハチャメチャに見えるのは「フェイが無茶苦茶やってるから」なのだが、しかし同時に、フェイの圧倒的な存在感によって、後半の物語は「観れるもの」として成立できているのだ。フェイの行動は「狂気」と表現することもできるものなのだが、しかし観客は恐らく、その「狂気」をずっと観ていられると感じるだろう。私も正直、彼女のことをもっと観ていたいと思っていた。実に魅力的な女性なのである。

これは「恋」と呼んでいいのだろうか?

前半の物語は、分かりやすく「恋」と呼べるものだった。まあ、正確には「失恋」なのだが。しかし、後半の物語を「恋」と呼んでいいのかはちょっとなんとも言えない。フェイの振る舞いに対して最も適切な表現を探すとしたら、やはり「ストーカー」になってしまうだろう。そして、仮にその「ストーカー行為」の動機が「恋」なのだとしても、彼女の行動一つ一つはやはりちょっと謎過ぎる。

前半から後半へと物語が切り替わるタイミングで、「6時間後、彼女は別の男に恋をする」と表示されるので、「フェイが恋に落ちた」という理解で間違いない。というか、そのように説明されるからこそ、観客も「彼女の振る舞いは『恋』が起点になっている」と受け取れると言えるだろう。

そしてもしそのような説明がなかったら、彼女の行動だけを見てそれを「恋」と判断することはほぼ不可能ではないかと思う。いや、もちろん断片的には、「恋をしているんだろうなぁ」と感じさせる場面はある。しかしそれ以上に、「目的の分からない狂気的な振る舞い」が多すぎるため、全体として見た場合に、そこに「恋」を見出すことは難しいように思うのだ。

このように、後から振り返って冷静に分析してみると、フェイの振る舞いの「狂気さ」に改めて気付かされる。だから普通なら、「彼女の振る舞いをもっと観ていたかった」みたいな感想になるはずがないのだ。しかし実際には、フェイがメインで描かれる後半の物語の方が圧倒的に面白かったし、物凄く惹きつけられてしまった。本当に、自分でもよく分からないぐらい不思議な感覚だったなと思う。


音楽や映像もとても素敵

後半の物語では、音楽もとても印象的だった。頻繁に流れる曲に聞き覚えはあったのだが、曲名が分からなかったので鑑賞後に調べたところ、『California Dreamin'』という曲だそうだ。正直、何故聞き覚えがあるのか思い出せないのだが、子どもの頃観ていたテレビ(何かのドラマ?)でも流れていたような気がする。というか恐らく、映画『恋する惑星』がヒットしたことで、この曲が様々な場面で使われるようになったということではないだろうか。しかし、この曲のタイトルを調べてやっと、作中で「カリフォルニア」に言及していた理由が分かった。

さて、私は基本的に音楽が記憶と結びつかない人間だ。好んで音楽を聴く習慣が元々ないし、テレビなどでよく流れていた音楽についても、曲自体は覚えていても、それがいつの時代のどこで流れていた曲なのかという記憶が喚起されたりはしない。だから私は、本作で流れる『California Dreamin'』を聞いて、どことなく「懐かしさ」を覚えた理由が謎だった。聞くと何故か懐かしく感じられるのだ。そんなわけで、どうしてか「懐かしい」気分になるこの曲の存在も、作品の印象に影響を与えていると言えるだろう。

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