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【衝撃】「文庫X」の正体『殺人犯はそこにいる』は必読。日本の警察・裁判・司法は信じていいか?

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「読みやすさ」と「衝撃度」という点で、本作を超えるノンフィクションは存在しないのではないかと感じる傑作

「文庫X」として広まった『殺人犯はそこにいる』の凄まじさ

本書を読んだ時、事件のことも著者のことも作品のこともほとんど何も知らなかった。『殺人犯はそこにいる』というタイトルになんとなく聞き覚えがあったくらいだ。私は文庫で読んだが、単行本が発売された際話題になった記憶がかすかに残っていたのである。本書で扱われる「足利事件」も、なんとなく聞き覚えはあった。その犯人として逮捕されていた人物が釈放された、というニュースに触れた程度の記憶はあったのだが、まさかそれを実現させたのが本書の著者だったとは驚きだ。著者についても、まったく知らなかった。「桶川ストーカー殺人事件」で「警察の闇」を暴き、後に「ストーカー規制法」制定のきっかけを作った人物なのだが、『殺人犯はそこにいる』の前著である『桶川ストーカー殺人事件 遺言』のことも私はまったく知らなかったのである。

そんな、何も知らない状態で本書を読んだ。そして、その凄まじさに圧倒されてしまった。

本の面白さを評価する言葉として「ページを捲る手が止まらない」という表現がある。私はこれをずっと「ただの誇張した表現」だと考えていた。かなりたくさん本を読んできたが、私自身は、そんな経験をしたことがなかったからだ。

しかし本書を読んでいる時は、文字通り「ページを捲る手が止まらない」という状態だった。「面白い」と評していいのか悩む作品ではあるが、とにかく「続きが知りたくて仕方ない」という感覚になることは間違いない。

さらに、本書は「ノンフィクション」というジャンルの本でありながら、とにかく恐ろしいほどに読みやすい。私は普段からノンフィクションを結構読むので、「ノンフィクションは読みにくい」みたいに感じることはないのだが、やはり、読書家でも小説を中心に読んでいる人の場合は、ノンフィクションは手が出にくいと感じるようだ。

しかし本書は、そんなノンフィクションに対して苦手意識を持つ人でも”絶対に読める”と断言したくなるほど文章が読みやすい。そのことは、後にこの作品が「文庫X」として世の中に広く広まったことでも証明できるだろう。

「文庫X」に対しての感想を読むと、「『文庫X』で初めてノンフィクションを読んだ」という人が結構いる。そして、そういう人たちもまた、この作品を大絶賛しているのだ。私としても、この作品がより多くの人の手に届いてくれたことがなんだか嬉しい。

本書で描かれるのは、著者が「北関東連続幼女誘拐殺人事件」と名づけた“未解決事件”だ。著者はなんと、自らの取材により“真犯人”を突き止め、警察に伝えている。しかし、本書で指摘されているある理由から、その犯人は逮捕されていない。

こう聞くと、「自分には関係のない話だ」と感じる人もいるかもしれない。関東に住んでいるわけでもないし、その”真犯人”が逮捕されていなくても自分の生活には影響はない、と。

しかし、本書を読めば理解できるが、決してそういう問題ではない。本書が突きつけるのは、「私たちが、どんな『脆弱な足場』の上に生きているか」という現実なのだ。著者が「ルパン」と名づけたその”真犯人”が逮捕されない理由は、日本国民全員に関係があると断言していい。そしてその理由を含め、本書で示される「脆弱な足場」を知っているかどうかは、私たちの今後の人生に間違いなく影響を及ぼすと言っていいはずだ。

内容についてはこれから触れていくが、まず、本書で描かれる事件の発端・経緯・結論が凝縮された文章を引用しておこう。この文章を読むだけでも、本書の凄まじさがある程度理解できるはずだ。

ここまで読めばおわかりいただけただろうか。
「北関東連続幼女誘拐殺人事件」が葬られたということを。
五人の少女が姿を消したというのに、この国の司法は無実の男性を十七年半も獄中に投じ、真犯人を野放しにしたのだ。報道で疑念を呈した。獄中に投じられた菅家さん自身が、被害者家族が、解決を訴えた。何人もの国会議員が問題を糺した。国家公安委員長が捜査すると言った。総理大臣が指示した。犯人のDNA型は何度でも鑑定すればよい。時効の壁など打ち破れる。そのことはすでに示した。にもかかわらず、事件は闇に消えようとしている。

「北関東連続幼女誘拐殺人事件」と「足利事件」の関係性、そして著者の無謀な挑戦

まず初めに、本書で扱われる「北関東連続幼女誘拐殺人事件」について、著者がどのようなスタンスで取材に臨んだのかも含めて、その概要に触れておこうと思う。

週刊誌記者として「桶川ストーカー殺人事件」の取材を行った著者の清水潔は、日本テレビへと籍を移して、改めて事件報道に携わる。そんな清水潔が”見つけた”のが、栃木県と群馬県の県境で起こった5件の幼女誘拐殺人事件だ。非常に狭い範囲内で短期間に発生しており、「同一犯による連続誘拐事件」と考えるのが自然に思われた。

しかし、「同じ人物が5件の幼女誘拐殺人事件を起こしたかもしれない」という話は、一顧だにされていない。その理由は非常に明白であり、ここに「足利事件」が関係してくるのである。

しかし……だ。
私が立てた仮説は、実を言えば致命的な欠陥を抱えていた。
私は最初からそれに気がつきつつ、あえて無視を決め込んで調査を続けていたのだ。私のようなバッタ記者でも気づく五件もの連続重大事件を、警察や他のマスコミが知らぬはずもなかろうし、気づけば黙ってもいないだろう。なぜこれまで騒がれなかったのかといえば、そこには決定的な理由が存在していたからだ。
すなわち、事件のうち一件はすでに「犯人」が逮捕され、「解決済み」なのである。

つまりこういうことだ。著者が”見つけた”5件の連続誘拐事件の内の1つは既に解決済み、そしてその犯人は他の事件の犯人ではあり得ない、だから同一犯による犯行であるはずがない、と認識されているのである。その解決済みの事件こそ「足利事件」であり、菅家利和という人物が逮捕され、無期懲役が確定して収監されていた。

普通に考えれば、この事実を前にして「5件の誘拐殺人事件は同一犯による犯行だ」と主張するのは無理がある。著者自身ももちろんそう考えていた。

仮にだ。あくまで仮にだが、万が一、いや100万が一でも、菅家さんが冤罪だったら……。
それが記者にとって危険な「妄想」であることは百も承知だった。私だってこの道は長い。冤罪など滅多やたらに無いことは知っている。刑事事件における日本の有罪率はなんと、九九・八パーセントである。しかも今回、証拠は「自供」と「DNA型鑑定」という豪華セットだ。まともな記者なら目も向けたくない大地雷原であろう。

「自供」と「DNA型鑑定」が揃っている事件で、菅家利和が冤罪の可能性などほぼあり得ない。そして、「足利事件」が菅家利和の犯行で決着しているなら、著者の主張する「北関東連続幼女誘拐殺人事件」が成り立つはずもない。この時点で普通は、「北関東連続幼女誘拐殺人事件」という仮説の方を諦めるだろう。

しかし著者は諦めなかった。

それには必要なことがある――菅家さんをこの事件からまず「排除」することだ。「北関東連続幼女誘拐殺人事件」にとって獄中にいる菅家さんの存在は「邪魔」なのだ。事態がややこしくなるだけだ。彼が有罪になったばかりに、他の四件までもが放置される事態に立ち至った。彼の冤罪が証明されない限り、捜査機関は真犯人捜しに動かないだろう。
これを修正する方法は、菅家さんの冤罪を証明することしかない。あるいは、少女たちが夢で迫ったように、捜査機関を出し抜いて先に真犯人に辿り着くか。
まあいい。両方やればいい。

それでも私が本書で描こうとしたのは、冤罪が証明された「足利事件」は終着駅などではなく、本来はスタートラインだったということだ。司法が葬ろうとする「北関東連続幼女誘拐殺人事件」という知られざる事件と、その陰で封じ込められようとしている「真犯人」、そしてある「爆弾」について暴くことだ。

著者は、「北関東連続幼女誘拐殺人事件」の存在を証明するために、なんと菅家利和の冤罪の証明に取り掛かったのだ。そして、清水潔の奮闘により、「自供」と「DNA型鑑定」が揃った事件で冤罪を証明し、獄中から菅家利和を解放することに成功する。17年半も獄中にいた菅家利和はなんと、「再審裁判」が開かれる前に釈放されるという、前代未聞の展開を迎えることになった。確かに私の記憶の中にも、「足利事件」の冤罪が証明されたテレビニュースのことがなんとなく残っている。当時、相当大きく取り上げられたはずだ。

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