【現在】猟師になった東出昌大を追う映画『WILL』は予想外に良かった。山小屋での生活は衝撃だ(監督:エリザベス宮地)
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東出昌大にまったく興味はないのだが、映画『WILL』はメチャクチャ面白かったし、猟師として生きる彼の生活は実に興味深かった
これは物凄く面白い作品だった。正直、他に鑑賞する予定の映画との兼ね合いもあり、観ないまま劇場公開期間が終わる可能性の方が高かったのだが、本当に観て良かったなと思っている。
観ない可能性が高かった理由の1つは、シンプルに「東出昌大にまったく興味がなかった」からだ。これは別に、「スキャンダルをきっかけに嫌いになった」みたいなことではまったくない。昔からずっと、「東出昌大」という人間に特段興味が持てなかったのである。彼の出演作を観る機会もあったが、個人的に「演技は決して上手くないよなぁ」と感じていたし、他に何か私の興味を惹く要素を持っていたわけでもないので、「関心の抱きようがなかった」というのが正確な表現かもしれない。
しかし私は本作『WILL』を観て、東出昌大にかなり興味が湧いてきた。もちろん、「今後の動向を逐一追おう」などと考えているわけではないのだが、折に触れて思い出すような存在になったとは言えると思う。そして本作を観て私は、少し変な言い方かもしれないが、「東出昌大は結果的に、週刊誌報道で人生がグチャグチャして良かったのではないか」とさえ感じさせられたのだ。そんな実感を与えるほどに、なかなかに奇妙な、しかしある種魅力的とも言える生活をしているように見えたのである。
突撃取材にやってきた週刊誌記者を受け入れる「人間力」が魅力的
本作を観て私が最も驚かされたのは、彼の「人間力」である。「人間力」という表現は私の中であまりしっくり来ていないのだが、とりあえずこの言葉を使うことにしよう。もう少し説明すると、「愛され力」みたいなイメージだろうか。作中、随所でそう感じさせる状況が映し出されていた。
本作『WILL』は、狩猟免許を取得した東出昌大が、実際に山で銃を撃ったり、獣を解体したりする様を映し出すドキュメンタリー映画である。彼がしているのは「単独忍び猟」という、銃を持って1人で山に入る罠を使わない狩猟スタイルなのだが、当然1人きりで猟師をやっているわけではない。彼よりも大分年上の猟師仲間がたくさんいるのだ。そして東出昌大は、そのような人たちからかなり愛されているのである。
キャンプ場を経営している男性は、「空いている時だったら山小屋を自由に使っていい」と申し出るし、他にも様々な人たちが猟師としての東出昌大をサポートしていた。また本作には、猟師としての著作が多数あり、東出昌大が「単独忍び猟が一番上手い人」と評する服部文祥も出演している。そして彼こそが、東出昌大を猟師の世界へと本格的に引き入れた人物なのだそうだ。スキャンダルで世間から叩かれまくっていた彼に、「今大変だろうけど、山屋にはそんなこと全然関係ないから、いつでもこっちに来いよ」と連絡したのだという。服部文祥とのこのエピソードからだけでも、東出昌大が愛されていることが伝わってくるだろう。
また本作には、猟師でもある阿部達也というシェフが出てくるのだが、彼ははっきりと次のように口にしていた。
そしてさらに、東出昌大のことを、「命の取り合いから生まれた一生の関係」とも評していたのだ。猟師としての信頼関係に裏打ちされた強い繋がりみたいなものを感じさせられた。
もちろん中には、「俳優・東出昌大」にワーキャー言っているタイプの人もいるようだ。まあそれは、芸能の世界にも軸足を置いている人間には避けがたいことだろう。しかし本作『WILL』ではとにかく、猟師・東出昌大のスタンスや生き方に敬意・関心を抱き、彼と様々な形で関わろうとする人物が映し出されるのである。
さらに興味深かったのは、映画後半、「猟師・東出昌大」を知る多くの人たちが口々に、「狩猟なんか趣味でしかないんだから、彼には芸能界で頑張ってほしい」と語っていたことだ。もちろん本音としては、「若い世代のなり手が減っている狩猟の世界を盛り上げてくれたら嬉しい」みたいな気持ちを持っているとは思う。しかし彼らは、東出昌大にとって何が最善であるのかを考え、「芸能界で頑張ってほしい」と口にするのである。彼らのこのような語りぶりからも、東出昌大が愛されていることが伝わってくるだろうと思う。
そしてそんな「愛され力(人間力)」が最大に発揮されたと言える場面が、私にはとても印象的だった。映画後半になんと、週刊誌記者が東出昌大の住む山小屋へ突撃してくるのだ。どうやって彼の居場所を突き止めたのか分からないが、さすが週刊誌記者といったところだろう。
記者たちはまず、東出昌大が女性と車に乗っている様子を写真に撮ったのだという。そしてその後、東出昌大に直当たりし、「新しい恋人ですか?」みたいに質問したのである。実はその女性はマツハシという女性猟師で、恋人でもなんでもなかった。そのため、突撃取材を受けた際に「恋人ではないんですよ」みたいなことを30分ほど喋ったのだが、その後で、なんと記者たちを自身が住む家へと案内し、さらに泊めてしまいもしたのだ。当然のことながら、実際に突撃取材されたときの映像は存在しないわけだが、本作では「その時の様子を再現した映像」を撮っていたりする。
さて、改めて書くが、彼は週刊誌報道によってバッシングを受け、大変な目に遭った。にも拘らず、そんな週刊誌記者に「歓待」と言っていいほどの扱いをするのである。まずこの点がなかなか普通ではないだろうと思う。
東出昌大の家に招かれた記者はワタナベとニイツというのだが、本作『WILL』にはなんとこの2人の記者も出演している。取材なのか雑談なのか分からないが、東出昌大と話しているシーンが収められているのだ。さらにワタナベは、東出昌大が乗っているプリウスの錆があまりにも酷くて気になったとかで、家に転がっていたという錆取り剤を自ら車に塗りつけていた。記者は記者で、情報を得るために取材対象者との関係性を色々と考えるものだとは思うが、それにしたって「取材対象者の車の錆を取ってあげる」というのは、記者の行動としてはなかなか奇妙ではないだろうか。これもきっと、「東出昌大と直接接したことで、何か惹かれるものを感じた」ということなのだと思う。
さて、最初にやってきた記者は、文藝春秋(東出昌大を最初に取り上げた「週刊文春」を発行)の記者ではなかったのだが、その後彼の元には、「週刊文春CINEMA」という、いわゆる「週刊誌」ではないものの、「週刊文春」の名前を冠する雑誌の取材がやってくる。そしてやはり、東出昌大は自らその取材を受け入れるのだ。タカイチという編集長について聞かれた東出昌大は、次のように答えていた。
過去の因縁とかではなく、「目の前にいる人物の、その時その場での印象」によって判断しているというわけだ。しかしそれにしたって、人生を一変させたと言っていいだろう「週刊文春」と同じ会社の人間を笑顔で受け入れている様子には、ちょっと驚かされてしまった。
彼の周りにいる人も恐らく、私と同じような感想を抱くのだろう。誰なのか覚えていないが、ある女性が東出昌大に、「怒ったりイライラしたりすることってないの?」みたいなことを聞く場面があった。この発言から、「東出昌大が普段から、怒りやイライラを周囲に見せない」ということが伝わってくるだろう。そしてそう聞かれた彼は、「余計なカロリーを使いたくない」「人を責めてる余裕なんかない」みたいなことを言っていたのだ。なるほど、そういうスタンスなら割と理解できるように思う。確かに、「人に怒りを向けたりするのはダルい」という感覚は、私の中にもある。
また、過去の週刊誌報道やそれ以降のバッシングなどについても言及しており、その際にも、「『人を吊るし上げよう』なんてマインドで生活してるの、辛くない?」「そういう人は、普段の日常がしんどいのかなって心配になっちゃう」みたいに言っていたのだ。作中ではこのような発言を随所でしていたので、「本心からそんな風に考えているのだろうな」と感じさせられた。ま、私も、気持ちは分かると言えば分かるが、しかし「東出昌大ほど達観は出来ないなぁ」とも思う。
「山小屋で複数の女性と同棲している」と報じられたその真相について
さて、週刊誌報道の流れでこのことに触れるが、東出昌大はある時、「山奥で複数の若い女性と同棲状態にある」と週刊誌に報じられた。私もネットで、そんな記事のタイトルを目にした記憶がある(記事自体は読んでいないが)。そして本作『WILL』では、その実態についても取り上げられていた。
そもそもだが、東出昌大は「自力で家を建てる計画」を進めていたという。しかし、その予定地が道路に面しており、「人目を避けることが難しい」という理由から断念せざるを得なくなってしまう。そのため、先ほど少し触れたが、キャンプ場経営者の私有地内にある建物に住むという話になったのだそうだ。
さて、しばらくすると、彼が住む家には東京から友人や俳優仲間が遊びに来るようになった。しかし、役者の仕事もしている東出昌大は、常にそこにいるわけではない。ただ、これも東出昌大の「愛され力」の一部と言っていいと思うが、友人たちは、彼が不在でもやってくるようになったという。東出昌大に予定の確認をし、自分が行くタイミングで不在だと知った者たちは、彼の近所に住む人の助けも借りながら、家主のいない家で過ごすようになったのである。
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